孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

一日講座 『運慶・快慶の周辺 鎌倉彫刻のバラエティ―』 山本勉


【10/4孤思庵の追加コメント】 申し込みに対し 主宰者の清泉女子大学 生涯学習センター より
込用紙が届きましたので、本日後刻 振り込み処理致します。


仏像愛好の集のメンバー Takさんから 投稿があります。

以下 Takさん の文章です!

以前貴兄と話しをしていた「仏像修復」の件で、期せずして恰好な話題を提供したようで、面白く読ませてもらいました。教室では貴兄から聞かされていた「わざと一見して分かるように 修理するか?」など、「西川杏太郎」氏にも伺いましたが、当然のことながら、模範的な回答しか得られませんでした。 忘れていました。当日教室で西川氏から配られたプリント資料を、次回お会いする時にお配りすることとします。
 
貴兄の追文にあるように、「出て来た考えは、仏像修復はニーズにこたえた修復が為されると思う様に成ったのでした。 国宝クラスの修復と、 無指定の仏像の修復 同じであろう筈がないと 思い当たりました。 慎重さや丁寧さの事では在りません、その仏像の存在意義に違いが在るという事です。 無指定の仏像、確かに後世に伝えるべき的な、文化財的価値は低いと思いますが・・・、 それらの仏像の存在意義には 文化財としてではない意味があるのです。 そうです、仏像の「本来の拝む対象」としての意味です。 あるお寺の僧侶から 修理の目的を聞いたことがありました。手や首が外れて、居ては痛々しい。 その様な姿の仏像に手を合わせたいですか? と・・・、 然りで、文化財として無指定の仏像は、 文化庁地方自治体の文化財担当から修理費の補助は出ません、 それらの仏像は、 お寺からや、檀家・信者 の浄財で賄われます。 さすれば その修理の目的が 文化財の補修と 同様ではないと気付きます。文化財でしたら、本来は後からの物は邪魔でして、むしろ後世の修理が無い方のが、文化財的には好ましいはずです。 しかし 前述の如くで、お寺の事情はそれとは違った処に在ります。〔近頃提唱し始めてます、仏(像)の心の分野ですね!〕 Takさんの文中の西川氏のお話しでは、維持・修理のルールはあっても、結局は担当者の受け止め方ひとつで、現場で個別に、どこまでの範囲で手を加えるか、江戸時代や明治時代の修理をどこまで補修するかは、状況分析の結果で、担当者の判断に任される、とのことでした。 に裏打ちされた思いです。 」
 
私が、最初に記した点は、以下の通りでした。
「著者の牧野氏が修復にあたる仏像は、「美術院」が手掛けるような国宝や重文のような文化財レベルの仏像ではなく、県・市の地域の指定文化財か、無指定の仏像です。そうした仏像が全国には数多くあり、文化財としての価値は低いとは言うものの、価値とは関係なく地域の人々の篤い信仰に、長く守られている仏像が対象で、放置されればいつの間にか、なくなってしまう可能性のある仏像なのです。著者は、地元の仏教信仰、仏像に対する取り扱いや社会生活と文化財保存の間で、どのようにあるべきか、感じたことを素直に書き記しています。本書に登場する仏像は、幸いにも地元に篤く信仰されて伝わり、次第に朽ちていきながらも、地元の人々の信仰の中で支えられ、祀られ守られてきたのです。それでもこのような幸運な仏像は少なく、いつの間にか世の中から消えていくものが多いことを、知らねばならないのです。」
 
しかし、著者の牧野氏の他のページには、「今回われわれが行った修理の際、指定文化財として現状を維持するという考えのもと、欠失部分を補うことは厳しく制限された。現在正しい文化財修理だと信じられているこの手法を、厳密に適用することを求められたのである。・・・ 魂を抜かれ、公費によって保存されることとなり、展示品としての役割に特化することになった像にとっては、なくなった手先を望むのは贅沢というわけなのか、・・・ ところが、修理を終え、新設された美術館に展示された像を見学・鑑賞(もう拝観ではない)に来るさまざまな人々の目は、ごく素直に欠失している部分を注視し、「なぜあの像には手先がないのか」、「腕がないのは何ゆえか」と疑問を持つ。人の五体を範として造られた像である以上、見る人のこれはごく自然な正しい感想であろう。普通の人にとっては、あったはずのものがないことに違和感が生じるのは当然である。ましてや人を救うための表現として造られ、活躍を期待される立場の仏が、である。」
というくだりがあります。
仏像に対する視点の違い(文化財か、信仰対象か)が、大きな認識の違いを生んでいるのです。
また、先日の金沢文庫の瀬谷貴之氏の講義の中でも、国の政策では予算を取って高級文化財の保存維持に、毎年相当な予算をつぎ込んでいるものの、末端の市町村での文化財対策は手付かず、民間任せの有様だそうで、「国指定の文化財」と「市町村指定、無指定の文化財」では、大変な格差があるということです。
でも、考えてみてください。文化財としての評価が低くても、仏像は、価値とは関係なく地域の人々の篤い信仰に、長く守られているものです。つまり「本来の拝む対象」なのです。対象とする仏像に相対する人々の受け止めは、それほどに違うものなのです。だから、「仏像の町医者」が必要なわけなのです。
 
 
 
今日のご連絡は、以下の件です。 すでにご存じの方が多いことと思いますが、広報します。因みに私はすでに今春申し込み済です。
 
『清泉ラファエラ・アカデミア』一日講座 『運慶・快慶の周辺 鎌倉彫刻のバラエティ―』
 
 
講座番号 72   
講師
山本 勉  清泉女子大学文化史学科教授
山本勉先生2016秋
日 時
2017121日(土) 13301540 要予約
会 場
清泉女子大学 240教室(予定)
受講料
一般:1500円、ラファエラ講座生・泉会・麗泉会・発展協力会:1000円、在学生:500
※入会金は不要。お申し込みのあと、振込用紙を郵送いたします。
申 込
1.インターネット申込
2.FAX:03-5421-3212 FAX申し込みフォーム(119KB
3.電話申込 Tel3447-5551(代表) 清泉女子大学 生涯学習センター
講座内容をみる
 鎌倉時代初期の南都復興や新たに樹立された武家政権のための造像などに活躍した天才仏師運慶・快慶の名前はあまりにも有名です。しかし、この時期あるいはそれに続く時期には、この2人以外の、独特の個性をもった仏師の活動も多く知られ、造仏界の隆盛に彼らも一役買っていたことがわかります。この講座では、彼らの系譜と作品を紹介しながら、バラエティーにあふれる鎌倉彫刻をみつめる視野を広げてみたいと思います。

以上 Takさん の文章でした。




尚、添付ファイルにて 善円の五髻文殊の画像、清泉女子大の1日講座「運慶快慶の周辺 鎌倉彫刻のバラエティーwww.seisen-u.ac.jp/rafaela/lecture/oneday.php - キャッシュのポスターを 送って頂きましたが 例によって.添付ファイルにての 画像が添付できません! その画像は本文中に散りばめて頂けますと 私にも ブログに転載できるのですが・・・・、技量不足をお詫びします。


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Takさん

『清泉ラファエラ・アカデミア』一日講座 『運慶・快慶の周辺 鎌倉彫刻のバラエティ―』 講座番号72 を 申しおこみしました。 goisご一緒を宜しくお願いします。削除
2016/9/28(水) 午後 1:00[ 孤思庵 ]返信する

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