孤思庵の仏像ブログ

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7月21日の興福寺文化講座(東京)に行ってきました。

7月21日の興福寺文化講座(東京)に行ってきました。 今回は、私達「仏像の愛好集」のメンバーの内、 Tさん,Oさん,Yさん,Fさん,Kさん と私との6名もの参集でした。

第一講義は「運慶と興福寺北円堂の諸仏」 興福寺国宝館長・金子啓明氏でした。北円堂の仏像を紹介解説されましたが、金子館長は、仏像を彫刻作品と見るより宗教の像として、興福寺の仏教に根差した見方で紹介してくれました。

今更 言うまでも無いのですが、 1180年、平氏が放った戦火によって興福寺はほぼ全焼、北円堂も焼け落ちた。まもなく復興が取り組まれたが、北円堂の再建はどうしたことか他の堂よりも遅く、仏像は1208年につくられはじめた。造仏の経緯は、近衛家実の日記『猪隈関白記』、および弥勒像台座内の銘文(戦前の修理時に発見)によって、かなりよくわかって 、統率の仏師は法印運慶であった。個々像の担当大仏師は運慶の子どもたちと一門の実力派の仏師たちでは在りましたが、運慶が棟梁として彼らを率いていたと考えられ、夫々の仏師作というよりは、プロジュース、ダメ出しの結果で、それは運慶の晩年の作と取られて居ます。然りと思います。


北円堂の本尊は弥勒仏坐像は、運慶の完成の域の作品 完成期の作行きとファンも多い秀作ですが、講師の金子氏の講演中の言葉に運慶が大安寺の釈迦像を観ていたと聞こえる節が在りました。大安寺の釈迦像に付いて大江親通の『七大寺巡礼私記』の、薬師寺の項で、本尊像(現存、国宝)についての記述のなかで、「薬師寺の本尊像は優れた作だが、大安寺の釈迦像には及ばない」という趣旨のことを述べてい居ます。それほどの傑作を天才の運慶が見ていて、この弥勒仏像の参考にしたのであれば、そういう面からも、大変に興味ある事と思えます。なのですが、 不勉強で大江親通の観た大安寺の釈迦像がいつ消失したかを知らないので、運慶が見た見ないの判断に及べないの が残念です。自分なりに調べてみましたが安寺の釈迦像がいつ消失かは、歴史的にははっきりししていない様ですね!その件ご存知の方は教えてもらいたいものです。

   世親像                         無着像
 

上述の本尊以上に人気なのが無着、世親の像です。運慶の指導のもとに無著像 は運助、世親像は運賀が担当したことは知りますが、前述の本尊弥勒仏像同様に運慶作と考えます。

その様な事よりも今日の金子先生の解説で、運慶の配慮に驚かされました。今までは兄弟の一対での両像との認識でしたが、金子先生の曰く、両像との認識でなしに、その一対二躯体で一つの作品ととらえるべきと教わりました。 未だに、よく解らないままですが 唯識に興味ででして、無着、世親の事は少し聞きかじって居ました。歴史的には、西北インドガンダーラ国(現在のパキスタンペシャーワル地方)にアサンガ(無着)、とヴァスバンドゥ世親)、というの10歳違いの兄弟が居て、唯識学を創始、大系付けた様です。その師として、3~4世紀頃にマートレイヤ(弥勒)、という人物も存在した様です。
法相宗ではそのマートレイヤ(弥勒)、という人物と釈迦の後世56億700万年に下生すると云われる弥勒菩薩 とは、同じとしているそうです。
そして運慶はこの両人を巧みに造形しました。無着は年かさの「老」に、世親は10歳若く「壮」に、それは着衣の襞にのも・・・、無着は細かい襞に、世親の襞は荒いのだそうです。これは同寺の乾漆十大弟子の年齢表現にも同じ工夫がされて居るのを継承しているのだそうです。若い人の着衣は大まかで、老人の着衣の皴は細かいそうです、今まできずきませんでした。天平乾漆像に改めて感心です。

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また無著は優しい目で下を見て、世親は意思の強そうな目で上を見ています。これは無著は菩薩行位の初地・修習位に達していて仏果に近く、菩薩行の下化衆生の段階に在りに在り、一方の世親は十廻向の最終段階の加行位に在りて、未だ菩薩とは云えませんが、やがて菩薩になるべき者として、修行者菩薩に加えられる程度です。依って私は修行に励む菩薩行の上求菩提の段階と考えました。それで下化衆生の下を見る目と上求菩提の上を見る目に現わされて居ると理解できました。 また斯様な表現をした運慶の仏教の理解に驚きまっす。流石の法印です。

  世親像                           無着像

他の先生の無着・世親の講演を聞いてますが、そこには仏は彫眼に人物は玉眼にの使い分けに運慶の芸術的際に感心したものですが、それは、全く「様式論」の探究です。ここでは「形式論」の図像学で、運慶の仏教的知識の深さに驚かせられました。またそんな見方をされる金子啓明先生の益々ファンになりました。

解説に気付きました。無着・世親は、もはや菩薩の域に達していて、この2躯は、其々ではなしに、2躯の一具で上求菩提下化衆生の菩薩をを現すと知れました。上求菩提が世親で、下化衆生が無着の眼なのです。細かくは忘れましたが、この興福寺文化講座の 続く第2講で、夛川貫首法話に無着・世親の境地の差(菩薩行位)についての講義がありまして、世親は菩薩行位 (十住 ・十行・十廻向・十地)の内の十廻向の加行位に、無着 さらに上の十地の初地に足していたとの講義を受けました。 第一講に関連した話で 実に面白かったです。
 
金子先生は興福寺の施設である 興福寺国宝館の館長 流石に仏教の理解は 他の美術史の先生とは違うと感じ入りました。私は(様式論の)美術史よりも、仏像は仏教絡みでの斟酌の(形式論)図像学の方が好きですので、大満足でした。

続く第2講の 多川俊映貫首法話は 連続の『春日権現記絵』の世界の連続でしたが、解脱上人貞慶のお話で、釈迦信仰=舎利信仰にも触れられまして、解脱上人の信仰を教えて頂きました。
出て来ました舎利信仰に、先述の無着像が手も持つのは舎利容器との解説が思い出され、形式論的に納得で腑に落ちました。 第1講に続く、関連づいていた法話で、第二講の法話の方も興味深くお聞きしました。

同席した、お仲間達は、異口同音に今日の講演・法話は素晴らしかったと言ってました。そんな訳で・・、どなたかが、更にもっとましな、この講座の説明・感想のブログを投稿してくれるでしょうから、そちらをご期待・楽しみ下さい。 

お仲間の良い感想分が投稿される前を狙っての書き殴り、重ねて、読み返も今日はしてませんので、多くのインプットミス、誤変換が在ると存じます、後日に修正機能にて、手直ししますを言い訳に 不調法 お許し願いましょう。m(__)m

半世紀前の学生時代に愛読した本が仏像趣味の出発点  NHKブックス「仏像 心とかたち」です。いまだに続くロングセラーなんですね!
最近の傾倒する仏像学者は、金子啓明氏  その著書は岩波書店の「仏像のかたちと心」です。

両書の題名  そっくりですね! 私も「仏像はそのかたちにこめられた心を知ること」とNHKブックス「仏像 心とかたち」に教えられ…、 半世紀以上たっても、まだ仏像好きを続けてます。そして今も、岩波書店の「仏像のかたちと心」を愛読し 仏像のかたちに、その心を知りたいとの姿勢です。