孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

7/9 東博で、特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」と総合文化展

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7/9は、「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」の 「仏像愛好の集」グループ鑑賞会でしたが、この日に行かれるとの連絡が1件もありませんでしたのと、午後は荒天との天気予報でもありまて、7月 30日(土)の「仏像愛好の集」グループ鑑賞会は 7月 30日(土)の2回目の設定もあります事ですので、 孤思庵は 9日の 「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」の 「仏像愛好の集」グループ鑑賞会には、私 孤思庵は欠席しますと、ブログに急報しまして、諦めていたのですが、前のブログで書きましたように、東博の 特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」の招待券を貰って居ました、思えば明日の10日までと迫って居ます!明日は最終日でさぞ込みあうが予測されます、強ばかりは雨天が幸いと特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」に行くを思い立ちました。そうなれば、ブログで不参加を表明しました、「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ」の 「仏像愛好の集」グループ鑑賞会ですが、どなたかお見えになるかもしれないので、幸い近くでもありますので、「ほほえみの御仏展」の前に「観音の里の祈り」展の集合時刻に寄ってみる事にしました。藝大美術館に10時5分前に付けました、開館時間直前でして、30名ほどの列が出来ていました。幸いというか、予測的中で、メンバーの顔は在りませんでした。
集合時刻の10時まで待ってみました、来館者の列は60名程に増えましたが、メンバーの方はお見えになりませんでしたので、東博に向いました。
東博に向かう道すがらも、藝大美術館に向かう人をメンバーは居ないかと気にしなら5分程で東博の入り口に
付きますと藝大美術館とは打って変わって、そこには、7重に折り重なった長蛇の列が在りました。そんなで30分程入門までに掛かりました。入門時の手荷物検査に手間取っての長蛇の勢でしょうか…、同特別展会場内は、混んでは居ましたが、存外鑑賞は出来ました。私は韓国国宝の方は殆ど見ないで、中宮寺像だけを見てました、流石に仏像のスーパースター、前回の来訪より、数日しかたっていないのに飽きることなく素晴らしかったです。お隣の成人男子と言葉を交わす、会話の中で、像の残る彩色が在るとの事で、その場所を訪ねましたら…、組んだ右足の裏 薬指の付け根に 金が残っていると教えてくれました。早速そこを見てみましたが、そこに金色の残があるのかな?程度でして、私には見えるとも見えないとも言えませんでした。


   宝珠形 頭光背の内側の二重線の円の外周に7躯の如来形の坐像らしきが 認められます。    


そして続く会話に、前回グループ観覧時にKaさんが発見し、私が過去七仏ではと想像した、光背(造像と当時のもの)の七つの化仏を話題にしました。 彼は双眼鏡を持って居て、それで見ました、次に私に貸してくれました。 良い双眼鏡でしたのでかなり見えました。間違いなく 化仏は如来形と認識できました。そして彼に、あれは過去七仏で無ないかと告げましたら、意を解してくれて、 大いに うなづいてて喜んでくれました。 しかし、まだ過去七仏なのか どうかどうかは 分かりませんので、帰ったら この件をネット検索や書籍で、過去七仏の論評を探してしてみようと思いました。(中宮寺の半跏思惟像の光背の7つの如来形の彫物化仏は、ネット検索しても、ヒットしませんでした。どなたか ご存知の方は お教え願います。)まずは Yahoo知恵袋に質問してみました。

中宮寺の半跏思惟像の光背に七つの彫物の化仏が在るのに気付きました。 それは、..


2016/7/1023:17:29
中宮寺の半跏思惟像の光背に七つの彫物の化仏が在るのに気付きました。
それは、如来形らしいとは見えるのです。如来形だとすると…、過去七仏ではないかと想像しました。
それで、いろいろ調べてみましたが、その件についての論評は、未だ発見に至りません。中宮寺の半跏思惟像の光背に七つの化仏には、どんな意味があるのでしょうか?

中宮寺の半跏思惟像を弥勒菩薩とし、その化仏を、毘婆尸仏から釈迦仏までの過去仏すれば、未来仏の弥勒と、過去七仏との、取り合わせは 納得のゆくところと思えますが・・・、 そう考えて良いのでしょうか?  と質問しました。 
回答が来ました。
  

回答

1〜3件/3件中
2016/7/1101:14:38
たぶんそうでしょうね。
                                                                         

  • username
    質問者
    2016-07-15 09:17:23
    もうちょっと詳しく教えてください。

    どうしたら 確証を得られますか?



  プロフィール画像          
2016/7/1109:24:32
けぶつ、で検索すれば?

お望みの答えがありますよ。

  • 質問者
    2016/07/1509:02:41
    ご回答有り難うございます。

    ご提案通りに「化仏」で色々ネット検索しましたが・・・、質問の回答的が見当たりません!

    具体的に どのウェブ が参考に成りますが 良いウエブサイトと、参考に成る個所を 教えて下さい。

               susumu_shiba@yahoo.co.jp


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2016/7/1119:20:34
東博に通われているのなら
こんなところで聞かず
淺湫先生に伺えばいいじゃないですか
  • username
    質問者
    2016-07-15 09:15:25
    回答ありがとうございます!

    東博での一般観覧者が・・・、淺湫先生に伺う 手段方法を お教え願います。        
     
  • 私としては どの回答を ベストアンサーに すればよいのでしょうか?!



   





今日の鑑賞で、中宮寺像とは、また暫しのお別れと成ります。名残を惜しんで お別れをして来ました。この日も、前回同様に、 東洋館に廻って、5階10室の、韓国国宝像似る 小金銅仏
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 菩薩半跏像 三国時代・7世紀    TC-669    「韓国国宝78号 半跏思惟像韓三国時代・6世紀

を観て、 ついでに隣の、見なれない智拳印の毘盧舎那仏立像 高麗時代_9-10c 像高52.8 TC-668

 毘盧舎那仏立像 高麗時代_9-10c 像高52.8 TC-668

 
    
を見て、法隆寺宝物館 に廻って、展示中の 小金銅の半跏思惟像10躯を見に行きました。 特に注視したかったのは159号と160号像です。

    半跏思惟像 品番号N-159  
 
 

  半跏思惟像 品番号N-160


この両像の榻座の裳掛が掛かって居る部分の下部を見てください、両像は共に鏨の線彫で山が描かれています。そうです法隆寺 百済観音の光背の支持棒の根元と同じです。そこにも山が描かれてます。それは須弥山と教わったことがあります。 さすれば半跏思惟像の榻座の下部の山も須弥山でしょうか?! 須弥山とするならば、弥勒菩薩が在り、そこで思唯し、閻浮提に下生成仏する時の来るのを待っているところが兜率天ですので、また兜率天の所在は須弥山の頂上、12由旬の処にあるとされてますので、弥勒如来の下の、榻座に描かれるのが須弥山は、合点が行きます。
山の上の存在で居れば、足は地について居るより、空中にある足の方が理屈に合います。ですので半跏思惟像の左の足は地につくよりは、浮かせておくのが妥当です。
 それに依り、中宮寺像は榻座を高く作り、弥勒如来の下げた方の足は宙に浮く造形となるのです。 その足が宙に浮くのが疲れるだろうと、後のいつの時代にか、足置きの蓮華台が付加されたのでしょう。
しかし この付加は、須弥山・弥勒の所在が山頂の空中にある事を無視か忘れて、 斯様な無用の長物的を付加しまったものと思われます。因みに、その足置きの蓮華台は、良い造形には無くて、不細工でして、いかにも後補と見える代物です。

今、思い当たりました。隆寺 百済観音の光背の竹型の光背の支持棒と、そこに書かれた須弥山の絵は後補と考えられます。 それにて、類推するなれば、法隆寺宝物館 半跏思惟像の159号と160号像の山の絵も 鏨の線彫りですので、後から描かれた可能性大です。されど159号と160号像の弥勒菩薩の下にある、須弥山の構図は大いに図像学的です。 それによって、中宮寺像の垂下の右足は宙に浮くままがが合理と思えますが、この様な解釈は、皆さんには如何に思われますか?

もう一つ広隆寺宝物館の半跏思唯像に 想像をしました。N-163 N-164です、両像良く見ますと違いが在るのが解ってきますが、一見全く同じ像かと思ってしまう程ですから、一具の両像だろうと思います。 

 菩薩半跏像 N-163                    菩薩半跏像 N-164


N-163 N-164です、両像良く見ますと違いが在るのが解ってきますが、一見全く同じ像かと思ってしまう程ですから、一具の両像だろうと思います。 



 
  N-185の勢至菩薩立像               N-185の観音菩薩立像

ですが、N-185の観音菩薩立像と勢至菩薩立像の様に、三尊の両脇侍の筈は在りません。では何かと考えてみました。

釈迦如来も 弥勒菩薩と同様に兜率天で、閻浮提に下生成仏する前に須弥山で思惟されたと在ります。そんな事から、もしかしたら、N-163とN-164の両像は…、片方が過去の準備段階の釈尊、つまり、釈迦の菩薩的 浄幢菩薩(ラリタヴィスタラ(大方広荘厳経)の スメーダ仙人 (釈尊の前身) )在兜率天でのブッダ生誕前と、もう片方が現在兜率天で、思惟中の弥勒菩薩 では無ないだろうかと 思えてきました。

そんな考えは、また如何なものでしょうか? ご意見を伺いしたく思います。


菩薩半跏像 N-163 ・ 菩薩半跏像 N-164 の類似の事も Yahoo知恵袋に質問してみたく成りました。



今回は難解のお話だったかと思います。また難しい言葉もあるかもです、その場合 それをパスワードに ネット検索 して頂けたらと思います。長文に お付き合い頂き有難うございました。
 m(__)m