孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Mさんの投稿 12月5日 仏像の集いでの宿題事項 その他

Mさんの投稿です。

先日の集いでテーマとなった項目のうち、疑問点として残ったことや不明確だった件について確認しましたので報告します。
 
1)仏師長快と兵庫県朝光寺千手観音について
私が説明した仏師長快の関連で、集いの日にOさんから「Wikipediaによると兵庫県朝光寺の千手観音に『実検長快』の銘がある」との情報がありました。朝光寺の千手観音については数ヶ月前に報告書を読んでいて、京都三十三間堂の像が移設されたものということは承知していましたが、長快銘のことは忘れていたので、今回再度読み返してみました。結論としてはこの「長快」が仏師長快であるかどうかは分からないということです。三十三間堂から朝光寺へ千手観音を1体移設したことは以前東博11室の千手観音像3体(湛慶と院派・円派仏師の作)の前で集いのメンバー何人かには話したことがありますが、一度詳しい報告をしようと思っていました。長快銘の件と合わせ、詳細については次回の集いで説明します。(写真:朝光寺の千手観音)
 
  
 
2)西大寺四王堂の十一面観音の像高について
西大寺四王堂の十一面観音の像高と髪際高について、山本勉著「日本仏像史講義」の記載値は正しいのか、という議論がありました。他の本を確認したり写真から測定した結果、やはり日本仏像史講義の数値は誤記でした。(頂上仏面から髪際までは1m以上ありました。)
また、この像については簡単に説明しましたが、作者名が推定できる院政期の重要作であるため、定朝・長勢から明円に至る円派の系図の中で、各仏師の現存作品とともに(像高の件と合わせ)次回の集いで紹介します。
 
3)東大寺重源像の造像年代の件
Taさんがご紹介した東大寺重源像の遺像・寿像説の講演会報告に関連して、先日「南無阿弥陀仏作善集」活字版のコピーを入手しました。(美術研究301934
私も作善集の全文を見たのは初めてです。Taさんの講演会配布資料(瀬谷氏作成)に書かれた史料記載の「阿育王山奉渡の木像」や「伊賀別所の重源像」安置時期について、瀬谷氏の説のように解釈できるのか、作善集を読んで少し考えてみます。何か報告できることがあれば次回の集いで説明します。
 
4)快慶の建保度長谷寺再建記録
上記作善集活字版と合わせ、「建保度長谷寺再建記録」活字版のコピーも入手しました。(美術研究621937)作善集とともに戦前の古い資料ですが、今でもこれが役に立っているようです。長谷寺再建記録についてはパラミタミュージアムの十一面観音の説明の時に、快慶が手がけた事跡として簡単に紹介したものです。小仏師の中に長快・栄快の名前がないので快慶の孫弟子かもしれないと話しましたが、全文を読んだ上で、何か追加することがあれば次回の集いで説明します。
 
5)東大寺僧形八幡神の再検討について
Taさんの最後の報告「東大寺僧形八幡神坐像再説」の講演会報告は時間切れのため次回送りとなりましたが、同じ岩田茂樹氏が仏教芸術最新号(3432015.11月発行)にほぼ同名の論文を発表したので、そのコピーを入手しました。次回の集いでTaさんが報告した後に、何か補足することがあれば説明します。