孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Takさん からの寄稿   榊莫山の『大和仏心紀行』

仏像愛好の集のメンバーのTakさん からのメールがありました。面白かったので皆さんにもご紹介します。書家・榊莫山の文は東大寺の雰囲気がよく出ていて、そこに行っているかの様です。

先の便りに依れば、Takさんは講演会と当集の来年のツアー企画の準備が主目的で・・・今日は東大寺に行かれている様です。

尚、紹介の『大和仏心紀行』文の下には挿絵の画像があったと思われますが 著作権の問題かで、残念ながら消えていました。

何時かのメディアで、奈良地元の人の言葉に・・・奈良には名刹あまたあるも、地元人に取っては大仏殿は特別な散在の思いなのだ と聞いた事がありました。 改めて来年の東大寺の訪れが楽しみです。あなたも是非に参加して下さい!」 孤思庵





【以下Takさんの文です。】

2階の納戸部屋のタンスに残る、亡き妻の衣服を再度整理しようとして、つい脱線して、幾つかの段ボール箱に入った書籍や、文庫本を広げて見てしまい、読みふけってしまいました。
 
そこに、『大和仏心紀行』という書籍がありました。書家・榊莫山(さかきばくざん)氏の著わしたもので、毎日新聞の日曜版に紀行文として、1年間新聞紙上に掲載されたものを抜粋しまとめた、15年も前の書籍でした。以前に眼を通したことがあったのですが、そのまま本棚からあふれて段ボール箱入りとなっていました。
 
東大寺について、彼が記したページを見繕って、以下に紹介します。
 
●「東大寺ノ松林 仏さまが呼吸している」
大和の寺は、なべてゆったりとしている。庭があっても、京都の寺のように人工美をそなえていない。松の林でも雑木の林でも、なんとなく自然がある。…ゆったりのなかを、ゆらゆら鹿が歩いている風情なんて、どこにも見られぬ風情といってよい。…わたしは、そのあたりが好きである。東大寺春日大社興福寺、万葉植物園、飛火野など、いつどこを、どう歩いても、このあたりには退屈がない。
かつては、志賀直哉がエッセイにかき、會津八一は歌にしたし、入江泰吉はカメラのシャッターをきりつづけた。文人墨客を、心よく迎えた旅舎・日吉館というのもあった。公園には、古い松が肩をよせあって、風にゆれていた。東大寺の松は、そういう松の仲間として、千古の歳月をすごしてきた。
 
「古キ甍スヰカズラ匂フソノ香二天平ヲ戀フ」(絵の下に書かれた榊莫山氏のことば)

●「東大寺散策 ゆるり愉快な気分で」
ゆっくり一日いても、決して退屈しないのは、東大寺である。
左手に南大門が見えると、辻をまがればいい。茶店があって、土産物の店があって、門前町のコンパクトな見本といってもよい。ここは帰り道に、よることが多い。
南大門の前に、ことしの春すわった大きな石の碑がある。「世界文化遺産東大寺」と彫ったモニュメント。その字は、たのまれてかいたわたしの字。東大寺の三文字に、力をこめて昔といまを棲まわせている。
南大門をくぐって、まっすぐにゆけば大仏殿。それをよこに見て、二月堂へと坂をのぼろう。林はいつきても季節の風にまどろんでいて、気分がよい。…ゆるゆる石段をのぼるときの愉快な気分は、東大寺ならではの気分である。
コノ辺リニ 天平ノ匂イガ 息ヅイテヰル  とかいたこの辺りは、わたしの大好きな所である。向こうに二月堂が見えて美しい。 …色あざやかな東大寺の風景を、くぐりぬけるようにして散策すると、いのちさえながくなったような気になってしまう。
 
「コノ辺リニ 天平ノ匂イガ 息ヅイテヰル」 (絵の下に書かれた榊莫山氏のことば)   
*私がよくお話しをする「中性院」もこの坂道の途中にあります。今では観光客の人気の坂道になっているそうです。                         

●「法華堂の落書き―仏にすがり千余日」
かれこれ九百年まえの、長承元年。東大寺法華堂(三月堂)の柱に、字を彫る人がいた。
きらびやかな平安時代も、ようやく末期に近づいて、世相はどんより曇っていた。食べることさえままならぬ庶民の苦しみをなめるようにして、疫病がはやる。「この世は、もうどんづまりや、のう」。誰彼いわず、人々のストレスがふくらんだ。
さてその法華堂の柱の文字には、「長承元年十一月二十八日カラ向フ千日 不断ノ花ヲ供エマス」 という、大願起願を彫ってある。
千日といえば、花のない冬を三たび越さねばならぬ。花屋さんのある時代ではない。でも、千日忘れずに供えつづける、というではないか。柱に字を彫りつけた人は、庶民なのか、僧なのか。いまにのこるこの文字は、小刀のようなもので彫ってある。エッジはかなり鋭くて、文字に願力がひそむ。文もたしか、彫りもたしか。これは、僧にちがいない、と思ってしまう。
晩秋の、青い光の月夜のしわざ、とわたしは思う。
月日をかぞえて千日の願い。花はやすむことなく供えられた。咲きのこりのヨメナヤノギクの日もあった。白いサザンカの花びらが、地にぽろりと落ちている日もあった。花のない日は、シキミの小枝のときもあった。
やがて、千日目の八月二十三日がきた。でも、願いはかなわなかった。花は、つづけて供えられていた。そして、九月十二日。ついに大願はかなえられた。起願の主は、反対側の柱に、ため息ついて文字を彫る。
「保延元年八月二十三日千日満 但結願九月十二日畢」と。字のたて画が、木肌に深く食いこんでいる。でも、文字に乱れがない。願いがかなって、心にやすらぎが出来たのか。
われら人間、生きてゆくためには、なさけないことではあるが、煩悩とかストレスにさいなまれることがある。願望とか情欲も湧いてくる。そこから抜けだす手だてとして、人間は宗教とか倫理を考えた。
だが、弱いのは人間の性である。だましたり、あざむいたりするやつは、政治にも近隣にも出没する。誰だって、腹の虫のおさまらぬときがある。生老病死もやってくる。
苦しんだり、腹をたてたり、からの逃亡は、一杯ひっかけて発散するとか、周囲のものに当たりちらすとか、仙居よろしくふとんにもぐるとか。落書きの心理も、いやな現実から逃亡する手だての一つ、だと思う。
法華堂という、兵火に一度も焼かれていない「夢みる御堂」の柱に、彫られたのも高級な落書きにちがいない。
苦しいときは、仏さまに 昔もいまも、かわらぬことを教えてくれる。
 
「二月堂ノ柱ニ落書キガアル 長承元年十一月二十八日カラ向フ千日不断ノ花ヲ供エマス ト彫ッテアル 誰ガ彫ッタノカ何故彫ッタノカナニモワカラナイ」
(絵の上に書かれた榊莫山氏のことば)

 
【以上Takさんの寄稿でした】