あなたの仏像趣味を、今少し深めてみませんか? この「仏像の基礎勉強会」では、よく見る
仏像の名前、大よその時代区分が じきに見極められる様になります。
またベテランの方には、ご自分の勉強発表の場とされたり、後進に対して仏像コンシェルジュや
アドバイサー役をされてみませんか? 先達のメンバーにはかなりの碩学の方もいます。
手ごたえは在るはずです、きっと満足のゆく仏像友達が出来ますよ!そして、 独学では
気付きにくい、自分の知らない事が聞けるかもです・・・ !?
また良き 仏像関係の情報交換の場になってます!
本会の「仏像愛好の集in東博」の最近のメンバーには高度の方々が居て、かなりのレベル
の勉強をされ、その発表がなされてます。 為に…反面、中には 難しすぎる、解らないとの声も
出て来ましたので、補講的に仏像の基礎勉強会を数ヶ月前よりはじめました。
どなた様も、お気軽に「仏像の基礎勉強会」 に参集してみませんか? 当メンバーの先輩達
が懇切に仏像の楽しみを増す知識を提供します。レベルアップし母体の「仏像愛好の集in東博」
にも馴染んでください。
まだ「仏像の基礎勉強会」は始まったばかりです、参加のチャンスの時と思います。お試しで
結構です、中退もかまいません! まずはお出で下さい。
一方、ベテランの方々には、みなさの仏像趣味のよき仏像コンシェルジュやアドバイサー役を
お願いしたく思ってます。
「仏像の基礎勉強会」は毎月第三火曜日に開催してます。11月は17日(火)に実施します。
午前中は11室等にて、参集の先輩より、陳列仏像の見所を聞きながら、仏展示仏像を観賞し、
午後は館内の適所か、ファミレスで気楽に勉強会をします。
●集合
【日時】 11月は17日(火)10時
≪当日スケジュール≫
①仏像関係展示品の鑑賞
午前中は仏像関係展示品の鑑賞です。先輩メンバーが 個々解説をしてくれます。
・11号室では平安から
鎌倉時代の木彫像を中心に展示し、日本彫刻の魅力を鑑賞できます。
今回は比較的に取り上げられにくい肖像彫刻を多く展示します。仏像との相違点を考えて
みましょう!
また今回は 都内では唯一の国宝仏像である、あの大倉集古館の
普賢菩薩騎象像が展示され
ていて、大倉集古館の陳列と相異の明るい照明の下で細部まで鑑賞ができます。
★この像は 文殊と対で中尊釈迦如来の脇侍であったか、単独像であったのか推測が話題になりました。後日その関係の記事を掲載予定です。
・2号室では、絵画・書跡の名品をゆったりとした空間で、心静かに鑑賞していただくため特別に
設えた展示室です。当館所蔵あるいは寄託の国宝から選りすぐった作品を展示してます。
今回は国宝 :絹本著色千手観音像
平安時代・12世紀が、11月29日(日)までの展示です。
この尊ならではの多くの持物の数々を今回は詳しく見たいと思います。
国宝
指定名称:絹本著色千手観音像
1幅
絹本着色
138.0×69.4
平安時代・12世紀
東京国立博物館
A-10506
千手観音は、千の手と千の眼を持ち、生きとし生けるものを救う。11の小面と
阿弥陀如来の化仏
(けぶつ)を頭上に置き、杖(錫杖 しゃくじょう)と武器(三鈷戟 さんこげき)を持ち、掌に眼がある
とされる大きな42の手と、無数の小さい手を描く。両脇に天女姿の功徳天(吉祥天)と婆藪仙
(ばすうせん)が従う三尊形式である。婆藪仙は観音に仕える
バラモン出身の仙人。
観音と功徳天のからだは細い墨線の上から朱でぼかしをかけ、観音の着衣には金箔や金泥
とともに、金箔をきわめて細く切った截金(きりかね)で一面に文様をほどこしている。精緻な截金
の表現は
平安時代の
仏画の中でも特に美しい。光背にも箔や彩色の文様を散らしている。
★婆藪仙人(ばすうせんにん)と功徳天(吉祥天)が従う三尊形式でした。この三尊形式の意味は?
◆二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)は、千手観音の眷属です。典拠となる経典は『千手観音造次第法儀軌』(善無畏 637年-735年訳)です。その二十八部衆中に婆藪仙人と功徳天も居ます。その婆藪仙人と功徳天は共に千手観音の脇侍として必ず登場する尊です。
婆藪仙人は、四韋陀=バラモン教の四ヴェーダ(聖典) を収める婆羅門の仙人だったが、殺生・肉食を悪と認めなかった為、生きながら地獄へ堕ちる。無量劫の罪苦を受けていたが、釈迦に救われ、仏法に帰依することで仏神の一尊となった。
功徳天は、通常、吉祥天と呼ばれる施福の女神
②座学【勉強会】 午後は座学の勉強会としてます。
仏像の基礎勉強の基礎は、まず 仏像の定義・成り立ちと歴史・仏尊の種類・素材と技法 など
ではないかと存じます。
この「仏像の基礎勉強会」の始めの頃に、
未だでしたなら、それは一読なさった方が良いかと思われます。
★当日は「日本仏像事典」真鍋俊生の 仏心と仏像の接点 1頁から9頁を読んで概ね理解をしました。
仏像の名前やその意味は図像学と言う分野です、テキストとして「日本仏像事典」真鍋俊生
を使ってます。また時代区分の見極め等は美術史と云う分野、「日本仏像史」水野敬三郎
をテキストとしています。別冊太陽「日本仏像史講義」他の参考書も使って行きたく思ってます。
●前回の「仏像基礎勉強会」は此処の2015年10月21日付けの日記「毎月第3火曜日 定例の
「初級 仏像基礎の勉強会」をしました。」に在る様な、我が国では、仏像の名は漢字で表記され
てますが、音写と翻訳(意訳)がある等を勉強しました。
◆次回11月17日には、 仏像の大きさ(サイズ)に付いて勉強しょうと思ってます。ベテラン陣
には 何か良い勉強の披露をお願いします。
【仏像の大きさ(サイズ)に付いて】
★何故に 1丈6尺が釈迦の身長と考えられるのか??千体仏等の数の信仰との類似で、仏像も大気いものが望まれて大仏が作られるのだと想像が付きます。ところで何故に 1丈6尺が釈迦の身長と考えられたのか?・・・
◆周尺(約20㎝)では8尺の常人の身長は160㎝となり、釈迦は大丈夫で偉大で、常人の2倍の身長と考えられました。で1丈6尺が釈迦の身長と考えられました。 「尺」という文字は親指と人差指を広げた形をかたどったものであり、元々は手を広げたときの親指の先から中指の先までの長さを1尺とする身体尺であった。この長さはおおむね18cmくらいでありましたが身体尺は人によって長さが異なるので、後の時代に一定の長さを1尺とする公定尺を定めるようになった。しかし、公定尺は時代を下るにつれて長くなっていた。そして用途や時代によってさまざまの種類の尺があったが康熙帝時代の1713年に営造尺の標準化が行われた。この営造尺は清朝滅亡後の1915年にメートル法との対応が1営造尺 = 32cmと定義された。1尺が32cmと成った時点では仏像の基準の大きさ1丈6尺が485cmとなった様です。
[尺]曲尺(30,3㎝)・古代中国尺(約23㎝)・周尺(約20㎝)
【身の丈】 周尺(約20㎝)では、人間:8尺(160cm) 釈迦:1丈6尺(320cm)
仏像の丈六(30,3×16=485cm)
[像高]総高・像高・髪際高
[立像・坐像]像高:坐像高は立像の背丈の約半分になる。
[仏像の像高規定]
一寸八分(浅草寺 観音金像)・三尺・等身大・半丈六・丈六・(丈八)・十六丈(奈良大仏)丈六
の十倍です、十倍は無限の意味
愛染明王像の等身大像には、指4本の幅の胎児大、そのサイズを等身大の像として造る事あり。
しています。桁外れの大きさで、
那由他は10の60乗、
恒河沙は10の52乗、由旬は約7キロメートル
です。
60 × 10の4乗 × 10の8乗 × 10の60乗 × 10の52乗 × 7キロ・・・
60.0000.00000000.0000000000.0000000000.0000000000.
0000000000.0000000000.0000000000.0000000000.0000000000.
0000000000.0000000000.0000000000.00 × 7キロメートル = ?????
想像が付かないです…、誰か
天文学的スケール、銀河系の直径の何倍などとで表現できない
ものでしょうか?
★千体仏等の数の信仰の類似で、仏像も大気いものが望まれて大仏が作られるのだと想像が付きます。ところで何故に 1丈6尺が釈迦の身長と考えられたのか?・・・ 追って記事にしたいと思ってます。