孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

帝塚山大の西山厚先生 思考  パートⅡ

私達は仏像好きの仲間で集い 勉強をしています。その仲間のお一人が 月末の仏像拝観旅行の直前にメールをくれました。発信人の了解を得てますので、ここに転掲載をします。

30日、今日は、長時間の講義受講、お疲れ様でした。
私は、このところ体調不良でしたが、今日は皆さんにお会いして、元気になったようでした。
 
只今、NHK総合TVの番組「ニュースWEB」(23:45~)が、いつもの東京のスタジオからではなく、大阪のNHK放送局からの放送になっていました。
その訳がすぐ分かりました。
 
帝塚山大の西山厚先生が、ゲストとして出演して、奈良の仏様について、短時間でしたが簡単に紹介していました。
 
1. 奈良県内にある国宝指定の仏様は、全体の半数以上で、飛鳥時代から満遍なく歴史時代を網羅している。歴史的重要なものばかり。京都には平安遷都以降のものだけ。東京には1体しかない。
 
2. 仏教は、元気な人には必要のないものかもしれないが、心に悲しみ、苦しみ、悩みのある人には必要な教えになる。
 
3. お釈迦様の母親は、お釈迦様を産んだ後数日で亡くなった。お釈迦様は悲しんだが、その後人々を救うことを考えた。
 
4. お勧めの仏様は、
五劫院・五劫思惟阿弥陀如来坐像(長いこと考え抜いて、散髪に行けなかった仏様)、福智院・地蔵菩薩坐像(人の体のなん倍もある大きい仏様)、西大寺・釈迦如来立像(清凉寺式・生きたままの姿を写している、胎内に臓器が入っている)
と紹介していました。
 
画面のテロップでは、番組視聴者からの、西山先生は穏かな話し方で仏様のよう、奈良地方の番組(よもやま話という番組があるそう)だけでなく全国放送に出演してほしい、解説が分かり易い、などの投稿が流されていました。
NHKの「ニュースWEB」番組では、見たことのない放送内容でした。ちょっと変わった編集だったようです。
 
以上が貰ったメールです。


それに対して 私の返信メールは・・・
  
昨日まで 二日間の奈良京都へ 拝観の旅に連れて行ってもらってました。関係で ご返事遅れまして済みません。

西山厚先生 紹介1は、 その通りと思います。私も本でその言葉に接し、先達の請売りで、以来、入門の仏像ファンには、よくその様に奈良が一番と言っております。

紹介2は、拙ブログ2015/8/23(日) 午前 8:25の一番易しい 仏教の解説」で  紹介しました。8月23日早朝に NHK Eテレ「こころの時代~宗教・人生~」に奈良の帝塚山大学・西山 厚教授が出演されてまして「仏に学ぶ 悲しみの力」 と云う題で出演され・・・、 その時も同様のことを紹介されてました。

紹介3も、西山 厚教授が番組「仏に学ぶ 悲しみの力」で紹介されてました。

紹介4は、紹介の仏像達は 仏像趣味は、仏像の意味を見るとの私の自論(持論)に合致する仏像たちです。

偶然に昨日に福智院・地蔵菩薩坐像に再会してきました。寺の説明では、丈六に非ず、丈八像との事でした。大きな仏像を望む人心もテーマにしたいものです。

西山教授 「こころの時代~宗教・人生~」と同じ主張と思います。同番組で、私も西山教授の ファンになりました。


貴兄が、同じ感覚を持たれます事に喜びを感じます。 最後に、重ねてご返信遅延をお詫びします。

頂いたメールは私信とは思いますが、仏像愛好の方向性の紹介として、今度の私のブログの中に、紹介させて頂手も宜しいですか? 

以上が私の返信でした。

仏像趣味の方向には、作風を論じる美術史、その仏像の造られた時代背景、や造像の歴史などの歴史、 仏像の美しさを考える耽美主義的 美術 塔色々ありますが・・・
冒頭の挨拶文に出ています長時間の講義受講の方向性も在ります。受講した講義は、東京文化財研究所の第49回オープンレクチャー の内の「仁和寺阿弥陀三尊像と宇多天皇の信仰」
皿井  舞
東京文化財研究所 企画情報部 主任研究員)でして、京都・仁和寺阿弥陀三尊像は、平安時代の9 世紀末に宇多天皇が父の光孝天皇の菩提を弔うために造立した像である。偏袒右肩に衣を着用し、阿弥陀の定印という印相を結ぶ姿の本像は、これ以降によくつくられる阿弥陀像の最初期の像であり、また後の11 世紀に完成する平安後期様式(和様)の端緒と見なされることが多い。9 世紀末から10 世紀にかけては仏教・神祇をはじめとする基調が変化し、次代の文化が萌芽する時期にあたる。本発表では、図像形成などをはじめとする本像の諸特徴について、こうした時代背景を踏まえながら再考してみたい。との内容でした。

内容はこの像、偏袒右肩に衣を着用し、阿弥陀の定印という印相を結ぶ姿の本像は、これ以降によくつくられる阿弥陀像の最初期の像であり、また後の11 世紀に完成する平安後期様式(和様)の端緒と見なされることが多いというものでして、坐像で定印の形の発生を考察するものでした。
要は浄土教の中にも密教曼荼羅像の影響が考えられるというもので、曼荼羅の尊像図像は円形の月輪に入っての坐像で、それが仁和寺の定印坐像の基で、以降の定朝様の阿弥陀坐像と説明されました。 然りと思います。

に書きました 勉強内容に近似するものでして、時代の信仰の変遷を考察するする同じようなテーマだったように思いました。

 これらに興味もですが・・・此処に紹介された西山 厚教授の視点は 仏像より 宗教・信仰の面の様に思えます。 私達の仏像仲間にも哲学としての仏教や、信仰に関心の方も居ます。また仏教史から、神文を学ぼうとされる方も居ます。

其々、微妙に違いますが、仏像を通して、各々の考を知り、察して行きたいと思います。

浅学で、上手く言えませんが、それぞれ違う関心の中で、お話をして、影響し合い、考察してみたいと思います。 集のお仲間の皆さん 宜しくお願いします。また宜しければ 新たな お仲間も集って頂けたらと思って居ます。

纏まらない文章で済みません。