孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Taさんからのメールが寄せられました。都内で瀬谷先生の講義を聞いて…

ある日記のあるコメントを見て この掲載に踏み切ります。

Taさんからのメールを頂きました。

昨日は、江戸時代中期の大阪の両替商の番頭から身を起こし、生涯番頭で通した、商人でもあり学者でもある、『夢の代』の著書を遺した「山片蟠桃」(やまがたばんとう)の事績などを、大阪市高砂市に行って見て回って来ました。

 今日は、夕方から、都内で瀬谷先生の講義を聞いて来ました。

また、別の先生から、「阿弥陀如来像の大日如来光背について」の研究論文(仏教芸術)と、「壇像の請来と日本的展開」(奈良国博・鈴木善博氏)の研究発表論文のコピーをいただきました。また、僧侶や仏像の着衣について名前などが分からない、と質問したら、「古代仏像の着衣形式と名称」という駒澤大学の仏教学部論集までコピーして下さいました。親切な先生がいらっしゃいました。

 昨日の朝日新聞の1面下段と3面中段に、日本各地の仏像をはじめとした文化財が、過疎・高齢化・檀家の減少・盗難などで維持管理が困難な地域が多くなり、寺や地域が博物館などに寄託・寄贈が多くなっている、との記事が出ていました。とりあえず、掲載記事を添付しておきます。

ご覧になっていらしたら、このメールは削除して下さい。

 私も、10年ほど前に、滋賀県の湖北地方を巡った際には、鶏足寺などの散逸した文化財を、地元の方々の運営によって資料館「己高閣」、「世代閣」で維持管理をしていたり、近くの黒田観音堂などは、民家の庭先のような場所にあるお堂で、民家の奥さんが世話をしていたりと、浅井、朝倉の戦国時代から、地域信仰などの地元の結束があって初めて現代に遺る保存がされているという場所を、巡ったことがあります.以前伺った湖北の方々は、自分が持ち廻りでお堂を護ってきているが、お堂や仏様の学術的なことや、ましてや個々の部位がどうのということなことなぞ、何も知らない、ただ地元の大切なものだ、次の人に伝えるのだ、という気持ちだけで守っている、とのことでした。

そういう地域が少なくなっていくということですね。

 白洲正子の「十一面観音巡礼」や「近江山河抄」、「かくれ里」、「私の古寺巡礼」などには、そうした地方の多くの寺院の歴史と、先哲の信仰がギッシリと詰まっています。山深く修業の地を探し求めて、行き着いた先哲の苦労と足跡をたどるのは、観光寺院では得難い趣きがあります。読んでいると、山道をたどっていく風景がイメージされて行きます。神護寺高山寺西明寺を尋ねた20年前に、寄ろうと思い、かなわなかった月輪寺などは、空也上人の物語だけでなく、十一面観音像や阿弥陀如来など本堂内の仏様に圧倒されそうだな、という気がしていました。それにしては寺の周囲がにぎやかになってしまったな、という感じです。深く心に遺り、またいつか、と思いつつ時だけが過ぎてしまいました。

 今日から、『満つる月の如し・仏師・定朝』 澤田瞳子著(文庫本)を読み始めました。定朝のことよりも、叡山の僧侶や内裏の女房など権謀術数の世界が多く、生々しい世俗の話しとなっているようです。「誰のために仏像を造るのか?」を定朝を通して語らせているようです。軽い気持ちで読める小説のようです。




 【孤思庵の 返信メール】

何時もながらの時間・資金の遣い惜しみし無い 行動力に感心です。

鑑真随行の仏師達、そこから始まると思われる代用壇像の展開、その宗教的背景には私も興味です。どうぞその骨子を教えて下さい。また阿弥陀如来の光背に大日如来が付いているのに気付いてから、平安時代は浄土信仰との思いに?と成りまして その時代には密教がかなり盛んな事に、遅まきながら気付き始めました。仏教芸術に掲載された「阿弥陀如来像の大日如来光背に付いて」は私も一読したいです。

「古代仏像の着衣形式と名称」も興味です。それまで通肩の着衣と思って居たものが ある時 覆肩衣・褊衫を知り、目から鱗だったのを思い出します。 服装史関係の先生が仏像の着衣に付いても 書かれているのを散見した事があります。貴顕天部の衣裳も唐風などで、色々あって面白いようですね。勉強したいですね。 

 私は個々の仏像の研究よりも、そういった全般に通じる知識に興味です。個々の樹ではなしに、森を見たいのです。そしてそこはどの様な気候風土なのかを知りたいのです。ですので上段のテーマなどが大好きで 仏像通史その裏側を考えたいです。 勉強会でのテーマとして大歓迎なのですが・・・、今は 思うに任せていません。

なぜ貴兄には、発表して頂けないのでしょうか?! 甚だ残念です。何時ものメンバーが何時も、同じ風の発表では如何なものでしょうか?また この頂きましたメールは何故に公表してはいけないのですか?←要請の返信メールで個々への掲載は許して頂きました。 このブログでも勉強会同様に、皆さんとの交友を計りたいのです。出来れば 投稿に対してのコメントも盛んに成ればと思って居ます。コメントへのコメント的に成っていけたら面白いと思うのですが…
  
 勉強会とブログへの投稿の両輪で 勉強したいと 思って居ますが、どうも私の想うように進んで居なく 参集者減少傾向に憂いを覚えています。特に以前は居た素質のある参集者に見捨てられているのが残念です。 参集その呼びかけの為にも、是非に良き寄稿が欲しいのです。

自分の事は見えずらい用です。貴メール中に「権謀術数」のお言葉があり、 感じ入りました。私の悪い面、間違って居る事を、どうぞご指摘いただきたく思って居ます。

本のご紹介がありました。自分も拘りが強く この種の本は苦手で、恥ずかしながら、白洲正子の「十一面観音巡礼」しか読んでいません 其れも途中までで、完全に読破していません。この本では明治の頃のから寺に居た今は古老との対談で、昔話の事ががちりばめられて、昔のその寺は、そういう事があったのかが、面白かった記憶が在ります。 本は数多あるのに読める数には限です。 さすれば少しでも良い本に巡り合いたいものです。斯様に自分お気に入った本を紹介しあいたいものです。

お仲間の女性陣の複数の方に新刊本のNHKブックス 「弥勒の来た道」を読まれたとお聞きしました。大乗は菩薩乗とも言います。弥勒は、菩薩の中で、観音と共に古くから信仰された菩薩で、また唯識の祖とも言われる尊で、最近ようやく無著がどうして弥勒に教えられたかそのロジックが解り、納得でした。 この頃に自身も 弥勒をもう少し勉強したく思てます。インド発で、西域 中国と朝鮮のルートで弥勒は如何に変化して行くのでしょうか?読まれた方から、寄稿でも勉強会ででも骨子を紹介して頂きたいものです。

尚、添付いただきました新聞記事は、我が家の新聞も朝日ですので最近に私も読んで居ました。 骨董店を時々冷やかしに訪れて、見る仏像達に 明治の廃仏毀釈の勢で流失か? 地域社会の変化で護り切れなく成った仏像だろうか? 盗難が廻り売られて来てはいないのかと、縷々思をめぐらしたりしてます。私も古物商の免許を受けた時に 盗品の問題警察甲州で習いましたが・・・ 仏像盗難はモラル低下と共に 最近の社会全体の宗教心の薄れも関与かとも思います。 世の中全体の問題で、なかなか難しいですが、システム的に何とかならないものでしょうか? 私の仏像収集は、殆ど駄物で 新物(あらもの)も レプリカ、 彫刻趣味人の習作 などで問題はないのが… 逆に情けないで す。

最近の寺社への油の様な物がかかられ続けた事件は、容疑者逮捕で決着が付いて来たようですが。これから模倣犯が出ない事を祈ります、私達仏像拝観者をも、締め付けが激しく成るは悲しいですから。

明日の「仏像愛好の集明後日の県立金沢文庫の講座会・鑑賞会の方も宜しくお願いします。