孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Kaさんの拝観紀行文 『いわき・仙台観仏記』


を寄せてくれました 此処に転載致します。



015.5.2324 いわき・仙台観仏記


3月下旬、JUさんから白水阿弥陀堂に関する問い合わせがあり、私は行った事がないので行きたい、MUさんも行きたがっていたしOTさんも行くと思うと答えると、何とJUさんの友達SOさんの友達のいわき在住AIさんに車で案内して頂けるとの話を纏めて下さった。


それでは白水阿弥陀堂だけでは勿体ないと、市内の仏像を調べたところ、薬王寺、長隆寺、能満寺、如来寺重要文化財の仏像があることがわかった。能満寺に電話したところ拝観の申し出を快くお受け下さったが、折り返しご住職から電話があり重文の虚空蔵菩薩4/246/21まで仙台市博物館に出張なさるのを忘れていたとの事。事前の調べで、薬師寺文殊菩薩像に非常に似ているとわかっていたので残念だった。


また、如来寺銅造阿弥陀三尊像は現在いわき市所有という記事があったので教育委員会に問い合わせたところ、東京国立博物館に寄託しているとの事だった。


 


5/23(土)



 重文文殊菩薩騎獅像(鎌倉)は木造、素地、玉眼。髪型、衣紋が宋風。東日本大震災の余震で獅子から落ちてしまわれたが奇跡的に大事には至らなかったとの事。腰の辺りをテグスで支えの棒に結わいてあった。顔を正面ではなく斜め左に向けている獅子は推定鎌倉末作。筋肉質で躍動的な脚だった。


 また、桐箱の中に大事にしまわれた重文宝篋印舎利塔を見せて下さった。厨子の中、梵字大日如来を表す字の下に1×2㎝位の大きさの釈迦涅槃像が安置されていた。他に重文弥勒菩薩来迎図が掛けられていた。


 


長隆寺


 思ったより薬王寺から近く、予約時間まで間があったので、AIさんが長隆寺近くの「トマトランド」に連れて行って下さった。ここで買った五色のミニトマトがとてもおいしかった。地元の方と一緒でなければ知る事もなく行く事もなかったお店だった。


 重文地蔵菩薩立像(鎌倉~南北朝)は欅寄木造り、金泥、彩色、玉眼。円覚寺から贈られた像との事。伝快慶作だが制作年代が合わない。緑色が基調の彩色が美しい。こちらのご住職は91歳になられるとおっしゃるので驚く。


 また、東日本大震災後の調査に来た文化庁の人が、地蔵菩薩像の向かって左側に安置されている毘沙門天立像は地蔵菩薩像より古いと言ったとの事。


 ちょうど昼時になりAIさんの友達の娘さんがアルバイトしているお店で昼食を摂る。デザートやコーヒーのサービスをして下さった。


 


願成寺(白水阿弥陀堂


 駐車場近くの広場で野点の会が催されていた。「どうぞどうぞ」と勧められ遠慮なく席に座らせて頂いた。こちらのお茶の先生もAIさんのお知り合いの方のようだった。桜餅もお抹茶もとても美味しかった。


 現在見られる浄土庭園は昭和47年の発掘調査後復元されたものだそうだが、その中島に建つ阿弥陀堂は国宝。椹(さわら)板で葺いた栩(とち)葺きの屋根が美しい。栩(とち)葺きとは厚い板を用い、薄い板を用いると杮(こけら)葺き、その中間が木賊(とくさ)葺きになるとの事。(お寺のパンフレットでは杮葺きになっている)


 ここまで書いてMUさんから貰った別冊太陽「東北の仏像」のコピーを読んだら、阿弥陀堂は明治361月の暴風雨により倒壊、同37年に復興されるとある。倒壊しても復興すれば国宝になるようだ。


 国宝の阿弥陀堂の中には重文阿弥陀如来坐像(平安後期)、重文観音菩薩立像、重文勢至菩薩立像、重文持国天立像、重文多聞天立像が安置されている。中尊は定朝様式の寄木造り、漆箔の像で飛天の舞う透かし彫りの光背が美しい。中にいたお坊さんから格天井や長押に彩色が残るとの説明があった。復元された模様の見本が少しあったが、全体を想像するのは難しい。


 


いわき駅で案内して下さったAIさん、ここから東京に帰るJUさんとOTさんと別れ、MUさんと私KNは仙台に向かう。いわき駅から磐越東線ゆうゆうあぶくまライン)で郡山に出、郡山から「やまびこ213号」で仙台に出た。仙台市博物館で開催されている特別展「吉祥天女が舞い降りた」に出展されている能満寺虚空蔵菩薩坐像に是非ともお会いしたくなったためだ。


日を改めて大宮駅から仙台に行くのと、いわき駅から仙台に行くのとどちらが安いか計算したら、このまま仙台に行った方がわずかだがお得と判明。もう乗る機会はないであろう新緑の「ゆうゆうあぶくまライン」の景色を楽しんだ。




5/24(日)



 仙台駅のバスターミナルはバス停の島ごとの横断歩道がない。間違えたら歩道橋を昇降しなければ隣の島に行けず、仙台初心者の観光客には不親切な設計。乗るバスを間違えて、仙台駅まで歩いて戻るハプニングがあったが何とか博物館・国際センター前バス停に辿り着けた。緩やかな坂を上り博物館に着くと当日券売り場には長蛇の列。我々は前売り券を購入していたのですぐに入場できた。


 国宝吉祥天女像の前はかなりの人。以前東博でお目に掛かった事があるが、「こんなに小さかったっけ?」と思った。薬師寺のお坊さんが「1階ロビーで講演があるから降りて来て下さい」と呼び掛け、そちらに向かった人も多かったためか、拝観する人数が減って来たのがラッキーだった。


 重文四天王立像(平安・西塔安置)は持国天増長天はバラバラの残欠だったのを近年修理。以前薬師寺東京別院でお目に掛かった事がある。


 重文弥勒菩薩坐像(鎌倉後期)は天衣を付けず、条帛のみの姿で密教の尊格に多く見られるとの事。臂釧にリボン結びが付いているのが珍しい。宝冠は後補との事だが整ったお姿。


 平安時代鎌倉時代のどちらも重文地蔵菩薩立像も出展されていた。鎌倉時代の像は善円作で春日神が姿を変えた存在との事。彩色・截金が良く残り何回かお会いした事のある美しい像。


 奈良県指定文化財地蔵菩薩立像(室町)は宿院仏師源次、その子源四郎作。宿院仏師については過去にSBさんから教わり、2013.12奈良県大福寺にある十一面観音立像、難陀竜王像、雨宝童子像と千万院にある十一面観音立像を拝観した事がある。


 次にお目当ての能満寺の重文虚空蔵菩薩坐像(奈良~平安)と薬師寺の重文文殊菩薩坐像(奈良~平安)が並んでいらっしゃる。写真で見るよりずっと似ている。共に木心乾漆像で、足の組み方も左右対称。どちらの像も本来の名称は不明との事だが、元は一具だったのは間違いないと思われる。能満寺像はかつて奈良に伝えられたと説明書きがあったが、第二次世界大戦後能満寺に寄付されたと書いてある本もある。この展覧会開催のために能満寺でお目に掛かれず残念だったが、展覧会があったからこそ並んでお目に掛かる事が出来たと思えば却って良かったと言える。


 最後の部屋に国宝聖観音菩薩立像が安置されていた。薬師寺でお目に掛かった事はないが、東博と九博でお目に掛かっている。大津皇子がモデルとか。いつお目に掛かっても美しい。


常設展には昨年東博の「日本国宝展」に出展されていた、ユネスコ記憶遺産の国宝支倉常長像が展示されていた。どこかで見た顔と思ったが思いだす事が出来た。


 博物館・国際センター前バス停で仙台駅行のバスを待っていたら、横に座った男性が「仙台は今が一番いい季節です」と話し掛けて来た。新緑がさわやかだった。


 


龍寶寺


 仙台駅バス停から作並行きのバスに乗り換え龍寶寺入口バス停で降りる。境内の広いお寺で立派な多宝塔が目に入る。


重文釈迦如来立像(鎌倉)は土蔵のような造りの釈迦堂(収蔵庫)の中、大きな厨子内に安置されている。全国に百躯位あるといわれている清凉寺式釈迦如来像の一つで、その北限と言われているらしいが山形県山形市の法来寺にも清凉寺式釈迦如来はあるようでどちらが北なのだろうか。ご住職の話では像内に納入品はなかったそうだ。お寺で頂いたパンフレットや入口の案内板には金売吉次が京より勧請したと書かれていた。


ご住職は関西の出身で5,6年前に来られたとの事。奥様が入れて下さった冷たいお茶が美味しかった。


 


4/25長野、5/810京都・和歌山・大阪、今回のいわき・仙台と約1か月の間に3回も観仏の旅をしたことになった。いくつも並行して計画を立てお寺に予約するのも大変だったが、旅の後、忘れてしまう前に観仏記を書くのも大変だった。ただ7月下旬まで何の計画もないとなると、それはそれで寂しい。我ながら勝手なものだと思う。いつもお付き合い下さる皆様に感謝したいと思う。


 


                           KN 記