孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

仏像の基礎の勉強会 5月15日


 5月15日に 「仏像基礎の勉強会」を東博でしました。

絡めて、鳥獣戯画展を見ようと思ったのですが、開巻9時前より長蛇の列は出来ていたそうです。現在2時間待ちで、やむなく本館の通常展で時間をつぶしました。しかし列の短く成る事がなかなか無く、次はインド展、それでもだめで法隆寺館に、そこを出ましたら7時頃でした。再び平成館に向かいましたが、列は短く成っては居るものの未だ1時間数十分以上待ち状態で、鳥獣戯画展のみは、9時まで延長の配慮がされるという事でしたが、それでは遅く成り過ぎるとの判断で 今日は諦めてようやくに、7時過ぎに博物館をあとにしました。

それでも早く着かれた方は9時からでして7時退館でも10時間以上!山手線のダイヤ遅れで10時15分ごろ到着の方でも9時間お付き合いいただきました。

お互い興に乗って、楽しく怠惰は無く過せたようで、時間が早く過ぎた様に感じましたが、
(自分はそう感じていましたが、お付き合いいただいたお二人Ocさん・Haさんには、そうでなかったかもしれませんね!)今になって、長時間お付き合いさせてしまった事、猛反省です。
お二人には長時間熱心に聞いて頂き有難うございました。お二人の側としては如何でしたのでしょうか?

これに懲りず19日も参加宜しくお願い致します。

本館平常展では11号室の展示は、6月の定例会で鑑賞しますので、それは観ないで、他のコーナーを回りました。 驚いたのは刀剣コーナーに長蛇が出来てました。 仏像仲間のTaさんからも情報を貰ってました、天下五剣の一つ「国宝 
太刀 銘三条(名物 三日月宗近」が展示になっている為の様ですが、列には驚きました。国宝はやはりすごい人気です。
連れもあり、混んでいるので列には並ばず、後ろからの遠目で我慢しましたが、「天下五剣」の中でも最も美しいとも評され、「三日月宗近」の名の通りに、茎(なかご)から腰にかけて強く反り、先はほとんど反りがなく、風格ある、また優美な太刀姿でした。

列を避け、お二人に刀全般の説明をしました。 太刀と刀の区別、 刃文とは… 拵え 刀装具の説明 など、関心を持って頂けましたので、30分は解説をしてしましたでしょうか、女性として珍しく 良くお付き合い頂けました。いずれに、一日がかりでの刀の講釈もしたいものです。

本館1階を甲冑など簡単にお話して、他のコーナーは殆ど止まることなく一巡しました。2階には上がらず、一度館外に出て
昼食をとりました。


昼食を済まし再入場の博物館、未だ鳥獣戯画展は相変わらずの長蛇列ですので、今度は空いて居ました表慶館の「インド仏展」に向かいました。

そこでは以前のブログ「インド展の参考に」の①~③に書きました様な、本生譚や仏伝の説明を中心にお話をしました。また、ここでは仏像のサンスクリット原名にも関心を持ってもらう提案をしました。

「インド仏展」の後に、お茶タイムを館内レストランカフェで取りまして、三時のおやつを頂きながら、お寺の仏像と博物館の仏像の違い、つまり「撥遣」と云う修法・供養を説明し、仏像と云うものの捉え方をご解説しました。

お茶の後「インド仏展」での仏像の黎明に続き、 仏像が我が国に入ってからの、飛鳥仏の勉強に、法隆寺館に向かいました。 ここはさらに空いて、殆ど人が居ませんでした。

まず受付で出版されている
法隆寺館の書籍を紹介して、その本の写真で収納品の中には、法隆寺を建立した、その当時に使用したという鋸などを紹介しました。

1階展示室で、国宝の灌頂幡と、お目当ての飛鳥時代小金銅仏 通称「四十八体仏」を観ます。 内お一人は正倉院御物と勘違いされ聖武天皇光明皇后ゆかりの品と思われて居たようですが、それより古い、7世紀からの品々で、明治11年に法隆寺から皇室に献納され、戦後国に移管された宝物です。

飛鳥時代に小金銅仏が多く作られたは、周知の明王が欽明 天皇に仏像・経典等を届けたという所謂が起源でしょうが、 「各家に仏像・ 経を置いて礼拝供養せよ」という天武天皇の詔が出されたことに因んで 多く小金銅仏が作られた感を この頃持つようになりましたが、如何なものでしょうか? それらの各家の小金銅仏等は、やがて時代の変遷の中、諸事情で寺院に納められたと思います。 それが法隆寺に伝来の小金銅仏群等と思います。

以前この法隆寺から献納された48体仏の多くは、元は岡寺に在ったものが途中 法隆寺に移されたものと聞いた事がありまして、此処に書くにあたりウェブ検索してみましたが、どうも出て来ません。どなたか真偽お教えください。

何れにしましても 此処の48体仏展示は壮観で、鑑賞しながら、飛鳥仏の直立姿、 非人間的なプロポーションは仏像の崇高さの表現、 薄い躯体は磨崖仏からの影響、三冠頭飾の方が山形宝冠より時代が下がる事、今気付きますに、山形宝冠の頂に見える日月紋はササン朝ペルシャの紋章を解説し忘れてましたね!
それから、展示の仏像の中に渡来仏は無いのかとの良い質問が出ました。渡来仏像と判明のそのキャプションには年号が三国時代などと、日本の時代でなく半島の時代区分が表記されて居ます。

丸鏨による連珠模様は白鳳期に入ってからの特徴、尚、「白鳳」と云う年号は無いのでして、「白鳳」は公年号の「白雉」「朱鳥」から それぞれ派生した年号であると考えられるそうで、その呼称は、明治時代のある博覧会で何か目新しいことをとの企てで定められた呼称とのことです。でか、を最近は学会筋では使われなく成ってきてます。現に、ここ法隆寺館のキャプションには「白鳳時代」とは無く、皆「飛鳥時代」と成ってます。ただ何とも優美な「白鳳」の名称は愛されて居て、今年7月~9月に奈良博での特別展「白鳳ー花開く仏教美術ー」は白鳳時代の名称が使われていて、白鳳の呼称が無くなってきた事への抵抗と見る向きもあります。

その様な 仏像関係の話を聞いて頂きながら時間を潰し、7時に成りましても 「鳥獣戯画展」の長蛇列は解消されずで、当日の鑑賞は諦めました。

朝の9時から夜の9時までは… 流石にないでしょう!それにしてもOcさん・Haさんには お疲れ様でした、私も喋り過ぎて、今日は声が枯れ気味です。

今度は配慮しますので、これに懲りず、19日の「仏像の基礎勉強」にも お付き合いください!