孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

③東博 インドの仏展 の参考に

(特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」 3月17日(火)~5月17日(日) 
於いて 東博 表慶館
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「仏像愛好の集」ではグループ鑑賞会を4月18日 13:00 (藝大保存彫刻研究室の 研究報告発表展のグループ見学の後) 表慶館 同展入り口の付近に集合下さい。


【第2章 釈迦の生涯】

インドで最初に仏像が作られたのは、ガンダーラ北インドのマトゥラーで、紀元後1世紀頃のことと考えられています。この時代に北インドから中央アジアを支配したのはクシャーン朝で、仏教美術も大いに隆盛しました。
 特にガンダーラでは、釈迦の生涯をたどる仏伝説話の美術が発達しました。釈迦の偉大さを示すために、説話には超自然的な出来事も数多く含まれています。ここでは、時代を超えて愛好された仏伝美術の作品の数々を紹介します。(東博 同展解説より)

釈迦の生涯
 
以下、No. 作品名称 出土・流派 時代・世紀 の順


6 仏伝「托胎霊夢
パキスタン、マルダーン
 クシャーン朝・2世紀頃
 














横たわる摩耶夫人の上の丸に象が居る

 母の摩耶夫人は懐妊にあたって、白い象が、右脇から胎内に入る夢を見たという。
 何故に象なのか? 最強の動物・長寿の動物=動物の王

7 仏伝「誕生」 インド・ビハール州、ナーランダー パーラ朝・10世紀頃
 



釈尊は摩耶夫人の脇から生まれた!これは釈尊がクシャトリアの出身であることを暗示していると思われます。バラモン教の『マヌ法典』や『リグ・ヴェーダ』によれば、梵天ブラフマーバラモン教の神)の口からブラーフマナが、上半身からクシャトリアが、下半身からヴァイシャが、足からシュードラがそれぞれ生まれたとされています。また、なぜ右かというと、インドの習俗によると、右は清らかで、左は汚れているからです。

このレリーフには、左下に五重蓮華座に釈尊が立つ、右下の像は払子を持ち数個の頭が在る像がありますので、梵天とわかります。 




 

8 仏伝「占相」 パキスタンロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃
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仙人は占い この方は如来に成られる、自分は老い先が無いのでその説法を受けられないのが残念と嘆く







9 仏伝「出家踰城」パキスタンロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃
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ダールタ太子が出家をするためにカピラヴァストゥの城を出ていく場面、愛馬カンタカ蹄の蹄の音で周りに気づかれないためにヤクシャ神が蹄をもち太子には傘が差しかけられ、太子の周りでは神々(梵釈に執金剛が居るようです)が太子の出家を讃嘆しています。
仏伝「出家踰城(しゅっけゆじょう)」


10 仏坐像 インド・ビハール州 パーラ朝・10世紀頃
11 仏坐像 パキスタンロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃



12 仏伝「初転法輪パキスタンロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃
説法の釈尊の下には鹿が見える「鹿野苑」。 5比丘もその数を数えられます。
初転法印の場所は鹿野苑元の5人の修行仲間(五比丘)に初めて仏教の教義を説いた事を指す。当初は誰も耳を傾ける者がなく、鹿を相手に法を説いたとする経典もある。



13 仏伝「帝釈窟説法」 パキスタンロリアン・タンガイ クシャーン朝・2世紀頃
 帝釈天ガンダルヴァやパンチャシカなどとう(シンニョウに刀)利天の神々をつれて洞窟を訪ねる。パンチャシカに琴(左図ではハープ)を弾かせ、三昧から釈迦を目覚めさす。


14仏伝「従三十三天降下」インド・ビハール州、クルキハールパーラ朝・10世紀頃



15 仏伝「酔象調伏」 インド・ビハール州 パーラ朝・10世紀頃



16 仏伝「涅槃」 パキスタン、ユスフザイ クシャーン朝・2世紀頃










17 四相図 インド・ウッタルプラデーシュ州 、サールナート グプタ朝・5世紀頃
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「⑤東博 インドの仏展 の参考」に続く