孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Mさんから、仏像関係 情報 のお知らせ その2

★★★【急告】★★★
 Mさんが仏像関係の情報提供をして頂きました。「Mさんから、仏像関係 情報 のお知らせ」 & 「Mさんから、仏像関係 情報 のお知らせ その2」です。 未だご意見が届いてません ! ご一緒に 参加されたい企画が在りましたら、この前日記、前々回の日記にコメントを付けて、お知らせください。 日にちが迫って居るものもあります。お急ぎください! 




Mさんから慶派仏師に関する新発見の情報が寄せられましたので、以下に転載します.。
 
Mです。仏像関係でまた興味深い情報がありましたので、お知らせします。
それは3/14中日新聞3/17の読売オンラインに載った「静岡県浜松市岩水寺の木造地蔵菩薩(重文)の胎内から慶派の仏師運覚が建保五年(1217)に作ったという文書その他の納入物が発見された」という記事です。(詳細は下記アドレス)
 
この像は平成23年に重文指定されていますが、その時の月刊文化財H23の6月号)を見ると、製作は13世紀後半と考えられていて、裸形着装像であることと彩色がよく残っていることが注目される、となっています。今回解体修理により納入品が判明し、納入品が「附」として今回重文に追加指定されたので、下の記事で書いた4月末からの東博特別陳列でもこの納入品が展示されるのではないかと予想しています。(集いの皆様が特別陳列をご覧になる時の予備知識として必要だと思ったので、この投稿をしました。)
 
今回の発見で何よりも重要なのは運慶一門の仏師と考えられている運覚の作品が初めて発見されたことです。運覚の事績として今までに判明していることの第一としては、興福寺北円堂弥勒仏の台座墨書銘に「法苑林 頭仏師 法橋運覚」とあることです。次の行には「大妙相仏師 康運」とあります。運慶一派作の弥勒仏の、今は存在しない脇侍菩薩として、運慶次男康運の大妙相と並んで、運覚は法苑林の担当仏師となっています。なお、同銘記では中尊弥勒仏は源慶(吉野如意輪寺蔵王権現の作者)と静慶(現存作品なし)の担当、また四天王から世親・無著までを運慶の6人の子息が担当しています。
 
運覚のこの他の事績としては、建久八年(1197)の東寺講堂諸像修理の際に、遠江別当という小仏師が阿弥陀仏の頭部にのみを当てたところ、仏舎利が出てきたという記録があるが、この遠江別当が運覚であるとされています(黒川春村 歴代大仏師譜)。なお、この歴代大仏師譜によれば運覚は定覚の男とあります。
 
私は次回集いの定例会で仏師康助周辺の話を、そしてその次(5月初め)で運慶仏像の銘文の3回目として「東大寺南大門、興福寺北円堂弥勒仏無著世親、光明院大威徳明王」の銘文の話をしようと思っていましたが、今回運覚の作品が発見されたことで、興福寺北円堂諸像の説明を先にやった方が4月末の新指定重文特別陳列の見学に役立つと考え、北円堂諸像と仏師運覚の話を44日にやることにします。(これはサントリー美術館高野山展の直前に快慶作執金剛神・深沙大将・四天王の銘文の説明を行った時と同じ考えからです。)
 
なお、岩水寺の地蔵菩薩は普段は秘仏ですが、3/29の午後に虫干しとして御開帳されるそうです。(下記ブログ参照)