孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

メンバーの日記転載  若狭・小浜 仏像の旅 第4回 国分寺 薬師如来坐像

若狭の国の国分寺であるが、古代の国分寺の金堂の真上に本堂が建っており、周辺の発掘調査により中門や塔、金堂の位置がはっきり分かっており、寺域の中、それも中門のすぐそばに小山ほどの古墳があるという全国でも珍しい寺です。
本堂にいくと丈六より巨大とも見える釈迦如来座像がある。奈良朝の国分寺の釈迦如来もこれくらいおおきかったのだろうと感じさせます。お寺の住職の説明では、身体は鎌倉時代、顔は江戸時代だそうである。しかし、そのスケール感は古材で直しに直して建っている本堂と合わせて、国分寺の存在感を感じるものがあります。
そのあと道路を挟んだ別の御堂に案内されると、そこには鎌倉時代初期の重文の薬師如来坐像がある。(像高80センチくらいか?)たいへんな精作でかつ美作、修理のあとがほとんど見らせない保存状態のよい仏像です。これほど完璧な仏像は珍しい。鎌倉初期の作で、膝前の衣紋が深く、写実的になっているところなど鎌倉彫刻の特色が強く出ている。見ていてとても気持ちの良い仏像です。
そのとなりには、こちらと比べれば状態がよいとは言えないえない平安後期の薬師如来坐像2体があり、金箔の仏だが、重文に指定されていない。
古美術商氏は「君は鎌倉の薬師如来が好きだろうが、自分としてはこの平安仏のほうがよい」と言う。鎌倉仏は仏性というか精神性が薄くなり、美作なものがあるが、お人形のように工芸的になるものもあるとしても、いくら平安でも、この精作で保存のよい鎌倉の薬師より、平安の状態がよいとは言えない仏のぼうがよいとは、自分には理解できませんが、理解できない位、仏像は奥が深いのでしょう。
古美術商氏は、「あんたは鑑賞陶磁の人で、長年にわたり、仏像は顔が良くなければいけないといっていたK(名の知れた業者でハタ師)の薫陶を受けてきた。だから慶派が本当は好きなんだろう。白状しなさい。」とおちょくる。
この美術商氏は、仏が人になってしまってはだめだ。仏は人間ではないのだから、仏らしさがないとだめだ。そのため、特異な容貌であることも、これが仏の姿だということを理解すべきだといつも言っている。
自分は、古美術品を購入するとき、自分の好みで購入することは少ない。その品物の品格において、万人向きでなくても、自分の好みに合わなくても買う。「好みで買うな。その品物の格において買う」というのが、モットーであるが、自分の好みがもう分からなくなっている。
しかし、自分にも好みはあるのだろう。本当は興福寺千体仏のようなオ―ソドックスな親しみある仏像が好きだといいたいのだが、やはりこのような精作で保存のよい薬師が好きなんだと思います。
古美術商氏は「これは鎌倉期の様式が強いが、慶派でも何派でもない。自分は芳賀寺の仏像が好きだが、君にはまだ理解できないはずだ。君の好みはこの薬師だろう」というが、確かにそのとうりだと思いながら、次の妙楽寺十一面観音を見に行くこととした。
 
 
 
 

 
2014年05月11日 10時08分 
コメント
1 仏像好きの「孤思庵」 2014年05月11日 10時50分
鎌倉仏と、平安仏の好みの掛け合い面白く、拝読しました。古物商氏の薀蓄流石と思います。私も鎌倉の写実が一番解り易く、藤原仏が一番最後にその魅力が解ってきました。

昨日、藝大の法隆寺展に行って来ました。水野 敬三郎氏の講演会の方は期待外れで新しく知ることは無かったのですが、展示の看板、毘沙門天、吉祥天には驚かされました。

あの金堂内では比する諸仏が偉大過ぎて、国宝でありながら影が薄く、気にする事なしに来てしまいましたが、今回間近に鑑賞して。金堂内での遠目では解らなかった魅力を堪能できました。

写実は鎌倉でだけでなしに藤原仏に(も末に←3字抹消)は鎌倉写実の萌芽があり、鎌倉の濃さとは相違の程よい薄味の写実が在るのを感じました。

間近に拝せるこの機会をお奨めします。