Sさんの寄稿 1.16~18 京都・大阪・奈良観仏記
1月16~18日に 近畿へ観仏ツアーに行って来て、今 私はその日記を書いている途中です。 そんな中、同行したSさん(今回の観仏旅行のプランナー)が紀行文を書いて送って頂けました。
直ぐに読みたいんですが、私も途中まで紀行文を書いてますので、読んでしまうと私の日記を書き直さなければならなくなりそうですので、私の日記が書き終わりましたら読ませて頂きましょう。仏像仲間のKさんの日記は読まずに、ここに掲載します。
どうぞコメントをお寄せ下さい。やっと発信してくれる同志の出現の励みにしたく存じます。
2014.1.16~18 京都・大阪・奈良観仏記
1/16 レンタカー移動
北向山不動院 毎年1/16のみ御開帳。インターネット情報では境内に駐車出来るとの事だったが念のため事前にお寺に電話して伺うと、御開帳日は境内に縁日の屋台が出るので駐車は出来ないとの事。北側に専用駐車場があるとの事だったがわからず、以前阿弥陀如来坐像を拝観したことのある安楽寿院の少し先に路駐する。
年に一回の御開帳日のため境内は人であふれるよう。靴を備え付けのビニール袋に入れて縁側に上がる。なかなか列が進まないと思っていたらお堂の入口で若い山伏さんがお浄めして下さっていた。さらに堂内では中年の山伏さんが咒を授けて下さる。
その後内陣の厨子入り不動明王を拝観させて頂く。咒を授けて頂くのが目的の地元の信者さんが多いようで不動明王坐像はゆっくり拝観することが出来た。右足踏み下げが不動像としてはめずらしいらしい。玉眼で一層迫力あるお不動様に感じられる。左足の指を甲側に反らせている。
金剛院には重文の仏像が数多くあるが(金剛力士像、阿弥陀如来坐像、増長天立像、多聞天立像、執金剛神立像、深沙大将立像)、訪問目的の初期の快慶作執金剛神立像、深沙大将立像が見当たらず内心焦る。執金剛神立像、深沙大将立像は宝物館入口右側、正面にずらりと並んだ仏像の向かい側のガラスケース内に安置されていた。執金剛神立像は東大寺法華堂像模刻、東大寺像と似たポーズを取る。深沙大将立像はすごい迫力。かなり多く拝観した三尺阿弥陀立像とは全く違う力の漲りが感じられた。脇の壁に大英博物館に出展された時のポスターが飾られていた。
1/17 レンタカー移動
行願寺(革堂) 毎年1/17,1/18日が御開帳日。前日の北向山不動院御開帳時の混雑に懲りて早めにホテルを出発。開扉時間の10時より早く着いたがすでに開扉されていた。こちらは御開帳にも関わらずひっそりしていた。
残念ながら千手観音立像の前には中央から両側に斜めに幕が掛かり、合掌手と宝珠手以外良く見えない。受付の尼さんとお婆さんに聞いて、葉っぱのように見えたものが掌をびっしりと貼り付けた脇手であることが初めてわかった。行円上人の願により建てられたので行願寺、行円上人が仏門に入る前に射止めた鹿の革を常に纏っていたので革聖と呼ばれていたところから革堂と呼ばれるようになったとの事。
三室戸寺 宝物館は毎月17日開扉。入山受付の女性が「今日は17日か」と呟く。宝物館は丘の上で正面の石段か脇の坂道を上がる。三回目の公開時間の11:30には少し遅れたが他に拝観者がいないためか入れて頂ける。
重文の阿弥陀三尊像、釈迦如来立像(清凉寺式釈迦如来の最初の模刻例)、毘沙門天立像を安置。脇侍の観音菩薩、勢至菩薩は跪坐。観音菩薩には足裏が彫られているらしい。毎年秋に宝物館が特別公開され、観音様の足の裏を拝する会が催されるとの事。機会があったら拝観してみたい。
萬福寺 次の西導寺の拝観予約時間まで余裕があったので同じ宇治市の萬福寺に行く事にする。范道生作の弥勒菩薩の化身の布袋さんが天王殿正面で迎えて下さる。天王殿には他に韋駄天像、四天王像が安置されている。大雄寶殿(本堂)には釈迦三尊(脇侍は阿難尊者、迦葉尊者)、十八羅漢(十六羅漢に慶友尊者、賓頭盧尊者が加わる)が安置されている。
西導寺 駐車場があるとの事だったが道が狭そうだったので昼食を取ったカフェの駐車場に車を置かせて頂いて歩くことにするがまた迷う。
重文の定朝様の薬師如来坐像は以前どこかでお目に掛かったことがあるような穏やかなお顔の仏様。同じく重文の毘沙門天立像はお顔立ちスタイル共にきりっとしている。京都府HPによると収蔵庫内の別の毘沙門天立像は台座と一体で幾度も転倒したため修理助成をしたと言う。ご住職のお顔が笑っている石仏のお地蔵様のようで親しみを覚えた。
橋寺放生院 せきどさんのHPに念のため事前に連絡した方が良いとあったので電話すると、公開期間外なので拝観は受け付けていないと言われ驚いた。交渉して外陣からの拝観のお許しを頂いた。公開中は足元まで入れて頂けたらしい。
ご本尊の重文地蔵菩薩立像は彩色、切金が素晴らしい仏様。袖の内側には緑青の緑が残りそこにも切金が見られる。横から見ると前のめりの姿勢で救済に向かう姿らしいが、残念ながら外陣からの拝観なので見ることが出来ない。重文は他に平安時代の不動明王像がある。また室町期の釈迦如来坐像が清凉寺式の特徴を表し(通肩、縄を巻いた髪)珍しい。堂内にはお地蔵様の写真が大きく写った京都非公開文化財特別公開時のポスターが貼ってあった。
駐車場前の和菓子屋さんで買った茶団子を車の中で分けて食べる。
1/18 レンタカー移動
安明寺 拝観予約した時、タクシーの運転手さんも行きたがらない人がいる程の山の上と伺ったので、路駐してナビが指示した急な坂道を上る。ところが途中で聞いたところ道が違うとわかりガックリ。気を取り直して精華幼稚園脇の坂道を上る。狭い所もある非常に急な坂道で晴天で助かった。
県文の薬師如来坐像は玉眼で慶派仏師の作。落ち着いた印象。光背は当初のもの、螺髪と左手が後補との事。台座下に十二神将が取り付けられている。いずれ重文に指定されるのではないかと思える程の素晴らしい仏像。ご住職にこの仏像をどうして知ったのか尋ねられたので、奈良学文化講座から送られてきた小冊子からとお答えしお見せする。
大念寺 拝観予約した時の印象からお話が長くなると感じたがその通りだった。お寺の創建から廃仏までの歴史を伺う。時間に余裕を持たせていたので焦らずお話を伺うことが出来た。
宝積寺 重文の十一面観音立像の拝観を目的にしていたが、12/27~節分まで開帳しないと言われ耳を疑う。事前に電話で確認していたのですがと言ったが、申し訳ないが駄目の一点張り。同行の皆様には本当に申し訳なかった。まるで本堂右手の閻魔堂内に安置の司禄(堂内の名札では俱生神像)のような雰囲気のお坊さんだった。
十一面観音像は作者が法印院範、法橋院雲とわかる貴重なものだけに残念過ぎる。閻魔堂内には閻魔像の他、司禄、司命、俱生神、暗黒童子(すべて重文)が安置される。
遍照寺 まだ3時だしこのままの気持ちで帰るわけにはいかないと、1日目に行けなかった遍照寺に行くことを思い立つ。幸い事前連絡なしで行けるお寺だが、ナビでの到着予定時間が閉門の4時ギリギリ。行くだけ行ってみようと芝さんが運転を頑張って下さり4時に到着。受付のインターフォンを押すと奥様らしき方が気持ちよく本堂に入れて下さる。
重文の不動明王坐像と十一面観音立像は本堂に繋がる収蔵庫内に安置されていて、暗くてお顔がはっきり見えないなあと思っていたら、奥様が大きな懐中電灯を付けて下さりお顔や全体の様子が良く見えた。ご本尊の不動明王は赤不動といわれ成田山新勝寺の本尊と同じ木で造られたという。新勝寺像は平将門の乱平定に霊験があったとの事。十一面観音は優しいお顔立ちで右足を軽く曲げたお姿。ともに一木造で臂釧と条帛が良く似ていて同一作者の可能性があるらしい。お寺で買ったお写真でも
臂釧と条帛が似ているのが確認出来る。
★以上は 仏像仲間のSさん(このツアーのプランナー)の寄稿 紀行文です。呼びかけに応じ、日記を発信して下さいました。 どうぞこれにコメントをお寄せ下さい。日記を書き続けてくださる。励みになると存じます。