孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

我流 仏像の鑑賞

過日に東京文化財ウィーク特別公開で都指定重要文化財の仏像2躯を観てきました。

一つはあきる野市光厳寺の釈迦如来坐像 南北朝 寄木造 法印運朝作
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明治初年、建長寺塔頭釈迦三尊像が火災にあい脇侍像焼失し残った本尊を同寺が土蔵つくりの本堂が建った時に安全との事で移されたそうです。

禅定印の為、爪の長いは確認できなかったが、まず垂下する裳懸けに宗元風は一目で解ります。

衣は潤み朱で肉身部には金泥がほほ完全に残っている。光背台座の金泥の綺麗さから観ても、像の方も最近の修理と思われます。

低い肉髷,大きめの螺髪、そり込風の髪際、頬の豊かさ、正に南北朝宗元風です。 

身体の方も豊かな肥満の表現は部分に見られるも、全体としてプロポーションに打たれるものは感じられません、よく言われるようにひざ部分が在り、その上に胴のブロックが乗り、そして頭部はぞの上に乗る、積み上げた像様のようです。

仏像彫刻は鎌倉中期までで、それ以降は評価が落ちると云われます。そう見るせいでしょうか、整った像でありながら、惹かれるものに乏しい感を持ちました。

法印運朝の署名が在るとの事です。法印は僧位最高位、でもこの時代僧位は乱発と思われます。
鎌倉で作像と「運朝」との名に鎌倉在住の慶派は想像できますが、「運朝」を調べましたが、たどりつけませんでした。

一般仏像史で、取沙汰はやはり鎌倉時代までのようです。




もう一つは八王子市の龍見寺の (智拳印)大日如来坐像 平安末 寄木  後補玉眼
http://ic.mixi.jp/p/a7272471c0eeb27e7022e8c544845c39d6dd4b23cf/527ef386/diary/1915611440_90s.jpg
此方の方が好感を持てました。 『吾妻鏡』に、この辺の武士集団、横山党の経兼が1062年、源頼義に従って奥州の阿部貞任を打ち、手柄により、奥州出羽三山のひとつ湯殿山本地仏である大日如来を勧請したとあります。

その像だとすれば平安後期の像でしょう。正直 藤末鎌初(定朝の様式から運慶・ 快慶を中心とする慶派の様式が変化していく事から、藤末鎌初(とうまつけんちょ)として 取り扱うこともある。近年は 研究が進み藤原末と鎌倉初期を分ける傾向にあるらしいです。どうやら仏像の腰布・裳の衣褶にて区別するらしいのです)、私はそれをまだよく勉強してませんので、この大日を藤末鎌初とは思うのですが・・・観ただけでは区別がつきません。只 膝脛の衣褶は直線的に並行して斜めに走り、特異と思いました。

只 前述の『吾妻鏡』の像だとすれば藤原仏です。きゃしゃな体つき、端正で優美なお顔なかなかです。但し目がいけません。 玉眼は平安末から作られ始めたそうですが、此処の玉眼はよくあるように彫眼だったものを後世に玉眼に作り直したものだそうで、何とも良くなくて残念です。

良く観察を進めますと、両の手先の古色に遠慮が見えます。本物のエイジングでは個体差が出ますが、付ける古色には遠慮が出て均一に成る傾向が在ります。

手先は後補です。友達の事前調査メモによれば、昭和40年代に大規模な修理と在ります。その時欠落の手先を後補したのでしょう。(仏像の手先は剥ぎつけて取り付けますので、手首で外れやすく、古仏で手先の在るのは後補が多いです。造像当初の手の場合が稀です。)

ローカル色の無い、中央作の感で良いです。玉眼に改造なしの彫眼のままで、手先がもう少し残っていたなら、国指定の重文に成るのではないかと思います。

仏像は出来の他にも状態が問題に成ります。そんな中で首だけの残欠ながら、只今開催中の仏頭展で賞賛の旧山田寺の仏頭は国宝とは出来の素晴らしさのたまものなのでしょう。

この様な都指定文化財や各県指定文化財クラスの仏像はかえって拝観機会が少ないので、改めて、超秀作の国宝 重要文化財の良さが引き立ちます。もっと手軽にその重文クラスが鑑賞できる東京国立博物館での鑑賞を重ねてお奨めします。

毎月 第一 土曜or日曜日に勉強会「仏像愛好の集いin東博」をやってます。 仏像美術史や仏教がらみの勉強してます。「孤思庵」で検索 ブログを見て頂き、ご参加ください。

そんな中、自分の買い集めたガラクタ仏像が20体程ありまして、それを改めて見てみますと、顔は・・・人形と同じなのでしょうか?仏像も一般は顔が命なのでしょうか、何れも顔はそこそこ端正に成っています。そして衣襞も細かく彫られて居る物もあります。

しかしその衣襞の下に在ります躯体の表現は全然です。襞にだけ気を取られ、衣の下の体を感じさせないのです。

荒彫でもそのプロポーション、躯体表現の出来ているものを愛でます。

マイコレクションのそんな仏像のなかにわずか、そうした意識を持ったもは。現代著名作家の原作から起こしたブロンズ像一躯だけです。それはわずかに曲げた膝の意識が衣襞の下に見えました。

他の美術でもそうでしょうが、仏像鑑賞も全体と部分の着目をしたいと思います。まずは全体のプロポーションを観て、そして今度は部分の匠を鑑賞する。そんな風に広角にまた接写して仏像鑑賞をしています。


自分で仏像彫刻はできませんが、最近も仏像彫刻の趣味を持つ方が多いようです。 是非にその方たちに 古仏の秀作を鑑賞して頂きたく思います。

今ふと思いました。仏像製作者と仏像鑑賞者のコラボです。多くの秀作を見てきた仏像鑑賞者は技術は持たぬものの、きっと良い感想、アドバイスは出来るのではと・・・

門外漢が思い付きをと言われるれるかもですが、温故知新ここにも言えるのでは?・・・・、大言失礼しました。



東京国立博物館の展示は期間を置いて展示替えがされてます。毎回秀作の仏像が間近に鑑賞出来ます。
それらの鑑賞をして、見所の話し合いディスカッションをして、その他 仏像関連の勉強、情報交換などを「仏像愛好の集いin東博」と銘打って、毎月第一土曜or日曜日にやって居ます。

お気軽に参加ください、詳細は以前の日記に募集の分が在ります、ご参照願います。また12月の「仏像愛好の集いin東博」の参加募集広報を近々掲載いたします。

仏像趣味の達人の方には、いろいろ教えて頂きたく、また入門、初級の方には先輩たち皆で手ほどきして貰えます。