孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

国宝 興福寺 仏頭展 追記


 
以前に国宝興福寺仏頭展の 筆頭展示の厨子入り木造弥勒菩薩半跏像について日記を書きました。何故この仏像が筆頭に展示されているかを一考してみた日記でした。
今回はその続編を書きます。

この興福寺の宗派は法相宗で、法相宗の中で中心の教学は「唯識論」(この世の事物・現象は、客体として実在しているのではなく、人間の心の根源である阿頼耶識が展開して生じたものであるとする思想。)で、その教祖とされるのが弥勒菩薩です。そしてそれが、この展覧会の筆頭展示に弥勒像としている理由です。
 
 その弥勒(梵名・サンスクリット マイトレーヤ)像の厨子の正面の扉に、描かれて居たのがれているのが、無著(梵名 アサンガ)は、インドの4世紀頃の唯識学派の学者)と 世親(梵名 ヴァスバンドゥ 説一切有部(部派仏教時代の上座部から分派した、あらゆる現象(諸法)を構成する基として、法(ダルマ)を想定し、そしてこの法は過去・現在・未来にわたって存在し続け、無常で無いと主張)から、後に唯識に転向して大成した)との兄弟でした。
 この事はすでに前回日記に書かせて頂いています。
 
最初に見た時には彌勒が「唯識」の先師で、唯識を論理付けた無著、世親は唯識の祖師と言われていることは知っていましたので、そこまでは解りました。あと一番下に配されているのは四天王の内の二天と判りました。その時には時間もないので何天かは読まずに来てしまい、今になって残念と思ってます。
 
写真を見て身色が緑と赤ですので、四天王の配置の如くで、持国天増長天と思ってます。そんな詮索が後から出てくるのなら、やはり同展の図録を求めるのだったと反省仕切りです。ちなみに後ろ側の扉に法相の祖師たちの下側には残る二天の広目天多聞天が配されて、扉を閉めた状態で四天王が廻を囲む配置に成る様です。
 
そして、上の無著・世親と下の 持国天増長天とにはさまれたニ像は、向かって左は文殊と読めましたので、認識してましたが、その対の像には「浄名居」士と在りまして、自分の知らない居士(在家の仏弟子)と思ってスルーしてしまいました。後から考えまして、文殊と対に配される居士・・・と言えば維摩居士です。と思って調べましたら、やはり維摩居士の異名でした。
 
維摩サンスクリットでヴィマラ・キールティー、音写:毘摩羅詰、維摩詰、漢訳(意訳):浄名(旧訳)、無垢称(新訳)と在りました。つまりヴィマラ・キールティーとは、汚れ無き名前との意味を持っていたのです。(cf 尊名には音写と漢とが在る訳です、阿弥陀如来は音写、無量寿如来は漢訳、そして毘沙門天は音写で多門天は漢訳)
 
音写で通っている尊の漢訳は意外と知らないで来ていました。この厨子の主の彌勒菩薩はマイトレーヤの音写で、漢訳は慈氏菩薩なのです。
 
おそらく、図録には掲載されているのでしょうが、扉には前述の法相祖師たちの他に明王も居ると聴きました。それがどの様な明王か存じませんが、此処に相応しい明王は大輪明王と思います。その明王は 八大明王の一つで、弥勒菩薩の化身で、忿怒の姿だと事だからです。
 
そんな事からも図録を求めていたなら、と悔やまれます。
 
この厨子は各時代を通じて、厨子の中で最もポピュラーな種類の春日厨子と呼ばれるものです。この弥勒像自体は13世紀と見られてますが、厨子はそれよりも少し後で南北朝時代14世紀の作と見られてます。天井から吊るされたり壁に飾られた飛天の彩色や截金文様が彌勒坐像と作風一致から、同時代の13世紀と見られるそうです。ただし天蓋の雲形と華形が重なる形式はその時代には無いそうで、14世紀以降に取り付けと見られるそうです。
 
厨子の話をしてきましたので 、肝心の彌勒坐像に付いても述べましょう。元は大乗院持仏堂本尊として伝わったと言われて居まして、とでも荘厳 豊かな美麗の像です。
 
まず、この像は仏像の中でも珍しい像と言えると思います。弥勒菩薩というと、広隆寺中宮寺像の飛鳥や白鳳時代古仏で上半身裸の彌勒菩薩像が思い浮かびます、それら等は朝鮮様式、。古仏様と言えるのでしょう、外で弥勒菩薩像として有名なのは、ボストン美術館所蔵の快慶作が思い浮かびます。これは一般菩薩形の条帛を付けた姿です。そしてまた快慶の醍醐寺弥勒菩薩坐像が有名でして、衣裳は大衣を通肩に纏っています。菩薩の大衣姿も地蔵以外には珍しいです。
 
この像の興福寺彌勒菩薩像の衣裳は唐風でして、鰭袖に 背子に天衣と見える意匠でして、女天の衣裳の様で、菩薩としては珍いです。この未来仏の菩薩たるは、通常菩薩とは相違の特異性を示しているのでしょうか?実に珍しくて興味深いです。
 
ヒノキの前後二枚剥ぎに腰と脚部は別財のようで、指首のようですが、違っているかもでしてまた図録が欲しい処です。内繰りがていねいに施され漆箔仕上げがされていて、多くの摺仏(刷り仏)や印仏が納入されていたそうです。
 
キャプションに魚鱗葺き蓮華座の連弁には一枚ごとに弥勒菩薩が彫り上げられているとの事でして、よく観察したのですが、遠目ではっきりしませんでした。しかしその連弁に掛かる裳懸けには、その下の連弁が見事に表現されています。
 
その下の台座中の獅子を囲む6本の華脚は五鈷杵の二段重ねと密教色です。五鈷杵といえば 光背にもあります。この像は光背も珍しく「壬生光背」です。壬生寺の半跏地蔵菩薩の光背から付けられました名前で、頭光背には幾筋かの纏まりをもつ放射光が幾つか在り、椅子の背当ての様な 四角の形の身光背を持ちます。その四角の光背の縁には、これまた五鈷杵が繋がり垂れています。
 
そして最下段の框には愛染明王の宝瓶から吐き出された宝珠や宝が配されているのとは意味が違うのでしょうがそれを思わせる様な6個の据玉という 擬宝珠状の物も配されており、華麗の限りです。
 
斯様に見どころ一杯の像でありながら、今までこの像を知らずに来てました。自宅蔵書の興福寺大型写真本に捜しましたら在りましたが、これまで注視していませんでした。というのも興福寺も秀作仏像の大宝庫で、秀作仏像が在り過ぎなのです。
 
興福寺を尋ねては見るもの数多で、この様な見方はできませんでした。 改めて今回の様に絞られた陳列の良さ、有難さを感じました。
 
今日は重文の厨子入り弥勒菩薩半跏像とその厨子で終わってしまいました。また時間が在りましたら、主役の国宝仏頭と、大関クラスの脇役の国宝十二神将の2グループも語りたいです。
 
尚、NHK番組、日曜美術館が 今度の27日にこの仏頭展を取り上げます。それを見てから、また4度目の鑑賞をしたく思います。
 
今度の「仏像愛好の集いin東博」で同好の志を募ります。
 
★今度の「仏像愛好の集いin東博」11月例会を2日(土)に致します。皆さま振るって御参集願います。詳細は別途日記 、【11月の「仏像愛好の集いin東博」は2日(土)に】をご覧ください。