孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

18日は教養趣味の梯子で多忙でした&鎌倉期仏像彫刻は十二神将が面白い!

 
写真は、【左】願成就院 毘沙門に似た雰囲気の 曹源寺 因達羅大将(巳神)・ 【中】一番手前がシリアス瞋怒の 曹源寺 珊底羅大将(午神)・ 【右】手前 とぼけた感じの興福寺の毘羯羅大将(子神) 


18日は教養趣味の梯子で多忙でした。 月2回の木曜は船橋市での「教養講座 仏像の見方」に受講でしたが、もう一つ、NHK文化センター練馬光が丘教室での「仏教経典の心--経典による仏教入門」講師:国際教養大学特任教授 金岡 秀郎氏と重なった為、光が丘教室分をチョイスして、1.原始仏典-パーリ仏典ではパーリの五部とそれに対応の漢訳の四阿含などと、漢訳の発句経の基の『ダンマパダ』Dhamma=法、真理 Pada=言葉 Buddhamma=仏教などを習いました。

そして昼食を採って、東博に特別展「和様の書」を観覧、国宝 平家納経などを観て、その後3時より、同館11室にての陳列作品の解説、ボランティアによる彫刻ガイドに参加しました。特に重文十二神将立像 木造、彩色、玉眼  鎌倉時代・12~13世紀  神奈川・曹源寺蔵 の解説が良かったです。

キャプションと他の資料によれば、横須賀市の曹源寺に伝来した像で、鎌倉初期の運慶派の清新な作風をしめす。一具中の戌神像内に鎌倉末の正安(しょうあん)2年(1300年)の修理銘にの修理銘の中に「けんきゅうのころのほとけなり」(建久の頃の仏なり)の文言があって、一具が建久年間(1190~99)に製作された事を暗示する。作風から運慶周辺の仏師によるものと考えられる。12軀が完存し保存状態がよいことや、図像的に東国の十二神将像の起点となる特徴を具えていることでも注目される。鎌倉初期運慶派の力強い造形を示す作例であり、また東国鎌倉彫刻中の重要作品として評価される。

これまで注目してこなかった彫刻でしたので、調べてみましたら1966年に神奈川県指定文化財、そして、昨年2012年に国の重要文化財に指定されました。

指定の該当基準としては 国宝及び重要文化財指定基準1号(各時代の遺品のうち製作優秀で我が国の文化史上貴重なもの)が当てられています。

概容の認識はあるものの、ここで重要文化財指定基準なるものを調べてみたら「昭和二十六年文化財保護委員会告示第二号(国宝及び重要文化財指定 ...」がウェブに在り、その絵画、彫刻の部を抜粋掲載します。

重要文化財

一 各時代の遺品のうち製作優秀で我が国の文化史上貴重なもの

二 我が国の絵画・彫刻史上特に意義のある資料となるもの

三 題材、品質、形状又は技法等の点で顕著な特異性を示すもの

四 特殊な作者、流派又は地方様式等を代表する顕著なもの

五 渡米品で我が国の文化にとつて特に意義のあるもの

国宝

重要文化財のうち製作が極めて優れ、かつ、文化史的意義の特に深いもの

とありました。

曹源寺伝来の十二神将立像 は現在東博に寄託されていて、度々展示されてきているのに、余り注意を払わないで来てしまったが、近年は評価を受け、金沢文庫での特別展「 運慶・中世密教と鎌倉幕府」のも陳列されていたので、必ず見ている筈ですが、それに強い印象は無かったのです。

ところが東博ボランティアによる彫刻ガイドの説明を受け見所が見えてきたのです。十二神将は平安時代からの像もあり、そこそこ見る機会は多いのです。平安期の動きの少なさに比べ、鎌倉彫刻のそれは動きの点で真骨頂です。

鎌倉彫刻の特徴は写実ですが、型に嵌められた如来像とは相違でして、儀軌に喧しい制約を受けない、天部などに本領発揮で、中でも十二躯一具、その変化を求められる十二神将立像群は本領発揮の場で、鎌倉彫刻の動きの写実を観察には絶好の対象と思います。

わが国最古の十二神将は新薬師寺の天平の塑像でして、先月拝観してます。
その時も秀作を感じたのですが、同時代の東大寺戒壇堂の四天王の押さえた感じに比して、新薬師寺像の瞋怒はストレートさを感じました。また動きの表現では古様でして、十二神将の表現の見所は鎌倉期かと思います。

鎌倉期の十二神将群は、その動きを示す表現姿勢を、その面貌以上に味わって行きたく思います。とは申せ面貌も魅力です。必ずとぼけた感じや諧謔味 のある像が含まれていて、仏像の中で最も親しみを感じます。十二躯一具で作者は変化を工夫します。その意味でも楽しめます。

ここで曹源寺の十二神将の内に、象印象に残る三躯の大将が在って、それが此処の解説の中でも秀作と指定されいて、自身の観方も 的を射て来たと自覚しました。 そんな偉そうな事を云わずとも、「良いものは良い」と良し悪しは多くの方も感じられている事でしょう。

一々の名前はうる覚えなので誤謬有りかもですがすが・・・その上段中央の 因達羅大将(巳神)は何んとなく願成就院の運慶作の毘沙門天に感じが似ているのです。下段真ん中の像毘羯羅大将(子神)はとぼけた感じの味わいがあり、興福寺の毘羯羅大将(子神)や 浄瑠璃寺像の安底羅大将(申神)のとぼけた味に通じます。もう一つ下段の右端の 珊底羅大将(午神)はそれとは逆にとてもシリアスな瞋怒で諧謔・とぼける所など微塵も無く真剣なる怒りそのものでして、また別の力量を感じます。

今はまだ不勉強で何処の十二神将がとは言えないのですが、同じような鎌倉期の十二神将に似ている気がしてます。浄瑠璃寺、興福寺、当たりだと思います。何れも鎌倉期の十二神将ですので似ていて当然なのかもしれませんが、この曹源寺像を含め、鎌倉期の十二神将は勉強価値がありそうです。

写真を求めてネット検索していて、「十二神将を比較してみる」で検索したら最初の二つに、十二神将を分類したブログを発見しました。お試しあれ、同氏のブログは他にも面白企画でして、閲覧お奨めです。

「国宝興福寺仏頭展」で隣の東京藝術大学美術館に9月3日から興福寺十二神将は展示されますので比較観察が楽しみです。

その仏頭展がらみで、当日18日は5時30分より、定例の新宿の文化学園での『奈良興福寺文化講座』の第1講は「興福寺東金堂十二神将-鎌倉彫刻の真髄-」でして、それも、受講の梯子をしました。講師は興福寺国宝館長 金子啓明氏で、題名そのままの公演内容でした。

先月末に興福寺東金堂を訪れテーマの木造十二神将も拝観しているのですが、他にも観るもの数多でさほどの注視は出来ていませんでした。しかし副題の-鎌倉彫刻の真髄-に相応しく鎌倉彫刻の素晴らしさ再発見でした。

講演の論旨は、十二神将は、以前より動きのある像として造像されてきているが、平安期までの十二神将像は動きはあっても、左右の動きでして、鎌倉期の十二神将像の動は前後も加わるというのです。確かにスライドで見る波夷羅(はいら)大将像や珊底羅(さんていら) 大将像は戦う姿勢で前後に動いているのです。また伐折羅( ばさら)大将像ではそれに上下の動きがあるのです。その顔は下を向いているのです。そう敵は既に倒していてそれに留めの剣を突き刺さんとしているのです。斯様に鎌倉期の十二神将像の動きの真髄を理解して観ると、何を見ていたんだろうと自身を呆れます。

東京藝術大学美術館の「国宝興福寺仏頭展」で9月3日から展示されますので、是非にそんな観方をお奨めします。

その様に武器を携え戦いの像の中、子神の毘羯羅(びから)大将像はとぼけたしぐさと顔でおどけているようです。どうしてなのでしょうか?毘羯羅は戦闘の女神ドゥルガーであると言うから驚きで、それがこの諧謔であるから?分からない。どなたかお教えいただきたい。

くどいようですが、、武士の時代の神将像、そして儀軌に縛られない自由な姿勢、鎌倉期の十二神将は面白いに決まっています。どうぞ、藝大美術館の「国宝興福寺仏頭展」の興福寺東金堂の十二神将と東博11号室の曹源寺像と同時に見られては如何でしょうか、できれば東博と東京・静嘉堂(せいかどう)文庫美術館に分蔵されている。同じく鎌倉期は慶派の十二神将像も同時に鑑賞したい思いです。尚、仏頭展には国宝 板彫り十二神将 平安時代も陳列されます。

『奈良興福寺文化講座』の第2講その仏頭展がらみで、当日18日は5時30分より、定例の新宿の文化学園での『奈良興福寺文化講座』の第1講は「興福寺東金堂十二神将-鎌倉彫刻の真髄-」でして、それも、受講の梯子をしました。講師は興福寺国宝館長 金子啓明氏で、題名そのままの公演内容でした。

先月末に興福寺東金堂を訪れテーマの木造十二神将も拝観しているのですが、他にも観るもの数多でさほどの注視は出来ていませんでした。しかし副題の-鎌倉彫刻の真髄-に相応しく鎌倉彫刻の素晴らしさ再発見でした。

講演の論旨は、十二神将は、以前より動きのある像として造像されてきているが、平安期までの十二神将像は動きはあっても、左右の動きでして、鎌倉期の十二神将像の動は前後も加わるというのです。確かにスライドで見る波夷羅(はいら)大将像や珊底羅(さんていら) 大将像は戦う姿勢で前後に動いているのです。また伐折羅( ばさら)大将像ではそれに上下の動きがあるのです。その顔は下を向いているのです。そう敵は既に倒していてそれに留めの剣を突き刺さんとしているのです。斯様に鎌倉期の十二神将像の動きの真髄を理解して観ると、何を見ていたんだろうと自身を呆れます。


その様に武器を携え戦いの像の中、子神の毘羯羅(びから-
)大将像はとぼけたしぐさと顔でおどけているようです。どうしてなのでしょうか?毘羯羅は戦闘の女神ドゥルガーであると言うから驚きで、それがこの諧謔であるから?分からない。どなたかお教えいただきたい。



くどいようですが、、武士の時代の神将像、そして儀軌に縛られない自由な姿勢、鎌倉期の十二神将は面白いに決まっています。どうぞ、藝大美術館の「国宝興福寺仏頭展」の興福寺東金堂の十二神将と東博11号室の曹源寺像と同時に見られては如何でしょうか、できれば東博と東京・静嘉堂(せいかどう)文庫美術館に分蔵されている。同じく鎌倉期は慶派の十二神将像も同時に鑑賞したい思いです。尚、仏頭展には国宝 板彫り十二神将 平安時代も陳列されます。

前述の第1講に続き、第2講の興福寺田川俊映貫首 の連続講和「奈良・祈り・心」で『唯識 三十頌』の解説をも受講しました。

思えば豊島区光が丘のNHK文化センター「仏教経典の心--経典による仏教入門」受講の10時から始まって、東博 別展「和様の書」を観覧、同館11室 にての「ボランティアによる陳列作品の解説」、新宿の興福寺文化講の第1講「興福寺東金堂十二神将-鎌倉彫刻の真髄-」第2講の興福寺田川俊映貫首 の連続講和「奈良・祈り・心」で『唯識 三十頌』の解説をも受講して、終了は午後八時、思えば忙しい1日でした。


なお藝大美術館の「国宝興福寺仏頭展」に絡んで「奈良興福寺文化講座」の今後の分は8月8日(木)「銅像仏頭の来歴-国宝仏頭展によせて-」興福寺執事 夛川良俊  9月19日(木)は「興福寺東金堂旧本尊 銅造仏頭-白鳳彫刻の白眉-」興福寺国宝館長 金子啓明 が予定されています。いづれも事前申し込み無しで、当日午後5時30分前迄に行かれればと思います。先着200名

http://ic.mixi.jp/p/f3f39ac3ed9ad2a5119af785c9bbe1254442dbd755/51f20605/diary/1908066506_229s.jpg      http://ic.mixi.jp/p/8b89a38e77b156ee0e2789ee9c1bf3dbaf768842d3/51f205dc/diary/1908066506_188s.jpg