孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

【続・続・続】 7/6「仏像愛好の集いin東博」報告

【前の投稿の続きです】
 
素晴らしいご教授有難うございました。とても勉強に成りました。

諸尊の耳の表現も確認出来ましたとのお言葉です。穴は開いていないが、耳たぶが下がっていれば、過去にイヤリング(耳當)をしたことがあり、穴は開いていると判断すべきと判りました。とのご発言に、

僭越ながら可能性は否定しませんが、そのように断定してよいでしょうか?との想いがよぎりました。

梵天 帝釈天は、それぞれ、バラモン階級の象徴、クシャトリア階級の象徴とは名言と感服しますが、其の両階級は貴族以上の階級の人なので、耳飾りはあって当然かなと思います。と断定的にされてますが・・・、

片方のクシャトリア階級の服装、耳飾は釈迦の王子時代として、ガンダーラ仏などに良く見るところですが・・・、バラモン階級 Brahmanaの風俗を私は存じません。

しかしながら「貴族以上の階級の人なので、耳飾りはあって当然」との即なる結論は如何でしょうか?自身不勉強で、僭越なのですが、司祭者、バラモン僧と云う言葉は耳にした事があります。司祭・僧侶階級の人々は、いったいどんな風俗をしてたのでしょう?僧侶階級とあるので、ある種、出家なのでしょうか?どんな風俗をしていたかを私は存知ません。しかし、他の根拠が無いのならバラモン階級は耳飾をしていると言い切ってしまて良いのでしょうか?

よしんばバラモン階級は耳飾をしてたとしても、我が国の当時の仏師たちがバラモン階級は耳飾を意識して仏像の耳を造形したでしょうか?もっと違う事が影響していませんでしょうか。

余談ですが、少なくも藤原以降では、仏像造像の際に、仏師に色々注文を出し始めています。特に顔貌は色々云ったみたいです、その中で、耳だけは殆んど注文が出ないようで、為に耳には仏師の癖が良く存在すると聞いた事があります。

今回、耳朶に拘って頂いたも、余りそこは頃関心をもたれないからです。今回機会でしたので、仏の三十二相に環状耳朶を捜してみました。三十二相八十種好は取り上げている経典類(竜樹菩薩の「大智度論」「観仏三昧海経」)などにより小異が在るらしいのですが、私の調べた内では、三十二相に存在するものは無く、一部八十種好中に在るとの説もあったが、ネット検索できた八十種好には見出せなかたです。

貴兄の所詮趣味人、知識は書籍や講演からの知識とのお言葉は、同感です。そでも、只それを鵜呑みにする事ではに無しに、並列の他の論説にも耳を傾け、検証し、判断するプロセスを通して、納得してから持論に加えてます。

一方からのみの知識の丸の見込みは感心しません、少なくも複数の論説を知り、その中で自身が正しいと判断したプロセスを経過してから、自身の判断を基にして、持論とすべきと考えます。

そしてあるとき、同意できないと思った説に直面したならば、とことん真意を聞きなおして、まだ違うと思ったときには、反論すべきと思います。

またある時に、持論と相違しても、納得のゆく論説に接したときには、翻意し同調する潔さをもっているつもりです。

奇抜をの楽しんでも良いかもしれませんが、持論とすべきはスタンダードの見識がほしいと思います。知識欲なのです。ですから持論としてきた事より納得の行く論説は大歓迎でして、おおいなる喜びなのです。



学者・研究者で無いので、自論は持ち合わせませんが、正論を選んで持論としたいですから、納得の行かない時には大いに論争したいです。勿論に平行線で、結論のでないことも在るでしょうが、とことん論議を尽くすが好きです、そして持論を正しいものに更新してゆきたいのです。知識欲だと思います。

浄楽寺像を仏像らしい規範の中にいて好きだと言うを文句は言えませんが、芸術的に完成されているとの評は当らないと思います。

運慶の完成された様式を示していて、天平への復古と鎌倉彫刻の写実を基調としながらも、衣の処理法などに彼独特の妙を見せている。そして様々な要素が集約された形で入っているのが、彼の遍歴の末の作品と伺えて興味深い。全体としては誇張の無い落ち着いた作品というのなれば、それは興福寺弥勒仏と人は言うでしょう。けして浄楽寺像にそのような評はしないと おもいます。

がしかし、し好みの問題と成ると、致し方ないものでして、運慶作の願成就院像VS浄楽寺像を、好みの問題で論議すれば、彫刻芸術性を取るか、はたまたスタンダードな仏像らしさを取るかを、好みの意見とするならば、判定は付けられません。なにせ好みの問題なのですから・・・。

また様式論的には、願成就院から3年しか立っていませんが、一つ劇的な変容が出たといえるでしょう、玉眼使用の制約です。この時期から明王・天部には玉眼を嵌入するも、如来、菩薩の顔には玉眼で無しに、彫眼とするのです。きっと玉眼表現が生々しすぎると考えたからではないでしょうか。以降運慶はその鉄則を守っています。

成就院像群vs浄楽寺像群好みとの論点では優劣つけるべきでないのでしょうが、しかし、先月に願成就院像支持派には嬉しい事がありました。ついに6月19日付の官報で国宝となることが告示されました。『彫刻』では中部地方初の国宝指定です。その国宝指定 理由として、運慶の優れた彫技を伝えるとともに、近年の運慶にかかわる研究の進展の中で、当作品が「運慶様式」ひいては、鎌倉彫刻様式の成立を示すものであることが明らかになり、国宝に格上げされました。との評は願成就院像評価派はスタンダードと言ってよかろうかと存知ます。


但し、我執と断定の危うさは知る所ですので、「集いin
東博の席」では、ご諫言に従い、重々パワハラめいた事など無きように勤めます。


「集いin東博」を、お互いの感じを話し合う場、例えば、観音さまは女か男かなど。結論の無い話をします。潤滑油です。趣味の場ですから・・・」としておられるる向きもありますが、ここの勉強会では、サルーンにしてしまいたくないです、知識吸収の場としたいと思っています。サルーン的懇親は、他に在りますし、ここにもアフターの飲みながらの場が在りますので、区別したいのですが如何なものでしょう・・・?

尚、お言葉の、観音さまは女か男かなど。結論の無い話とされています。しかし、観音菩薩、梵名アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokiteśvara )は、男性名詞ですので、私達は観音の性別は男性と考えて居ります。絵画などでは はっきりと立派にお髭をたくわえられています。

但し、何にでもも例外はあるもので、白衣観音 梵名パーンダラヴァーシニーは、女性です。阿弥陀如来の明妃ともされ、また観音の母とも見られています。尚、梵名の最終母音が長母音(○ーと伸ばす音)だと女性名詞で女尊と成ります。

仏母や仏頂尊などの如来同等の女尊も在ります。智慧が仏を生むから「仏母」と呼ぶのですが、 「智慧・般若(プラジュニャー)」、「波羅蜜(パーラミター)」、「空( シューニャ)」はすべてインドでは女性名詞なので、これらを女性の尊格とすることは、かなり後で勉強しました。何時でしたか梵名の最後が長母音は女尊を習った時は大変に喜んだのを覚えてます。

こんな話や、やれ唯識とか、発句経・涅槃経からで原始仏教に関心の方、アビダルマや中観といった教学論争に関心お方、心経から皆空に関心の方、、密教曼荼羅を勉強してる方、「覚禅抄」「阿娑縛抄」など図像文献原文を読んでる方、仏像史で運慶を深く勉強の方、明王・天部に取り込まれたバラモンヒンドゥーの神々の勉強の方 中でも貴族の日記に宗教史を研究の方・・・・・云々と、少し小難しい話をする仲間が出来ています。

ここ「集いin東博」でも、そんな話をご紹介して行き、只のサルーンで終わるのでは無しに、興味を深めて頂き、無理をしない程度でも、前述の「かなりの仏像好きのグループ」の予備軍になって頂きたいとの夢を持って居るんであります。

賛同の皆様どうぞ「仏像愛好に集いin東博」にご参集お願いします。

「完」

長文最後まで お付き合い頂き感謝です。

★【追伸】
A氏とバラモン階級が耳飾をしていたかの論争で その後、色々調べてみました。先ずネット検索では 他の事は在ってもバラモン階級の風俗・私生活に関するものは在りませんでした。岩波文庫「真理のことば(ダンマパダ)」の目次の最後に第25章 僧侶と、第26章 バラモン とあるのを見つけ読んでみたが此れも、宗教家の心構えについての釈尊の言葉でして、バラモン階級の生活や経済問題には言及していませんでした。次に友人が「仏教に取り入れられたヒンドゥーの神」との講座を受講中でしたので、その講師に同疑問続日記を聞いてもらいました。お応えは「はっきりとは解からない、マヌ法典に書かれているかも知れないとの事で、たぶん聖紐はしているがイヤリングはしていないのではと思う」との事で、解決に至りませんでした。
それでもお蔭様にて、これを機にバラモンの事を色々読み聞きを致しました。カースト制への強い反対が、 仏教のが成立の大きな理由の一つですのに、カーストバラモンの事をあまり良くは知らずに過ごしていました。今般勉強させて頂き良かったです。
 
★れで本当に終わります。長文を お付き合い頂き誠に有難うございました。