孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

10月「仏像の集いin東博」報告

今回は第一日曜の恒例をずらして、土曜6日に「仏像愛好の集いin東博」の開催となりました。お蔭様で参加が10名の大台に初めて達しました。男女構成は丁度半々でした。
変わったこととしては私が先月の17日に座骨神経痛と思われます左足全体の疼痛にて、左足が突けない状況になり、未だに歩けませんで、それで車椅子にて参加となり、介添えをして頂く破目となり、同胞には大変お世話に成りました。皆さんに良くして頂きまして本当に嬉しかったです。
 \¯\ê\寤¹¤ë¤ȿ·¤·¤¤\¦\£\ó\ɥ¦¤dz«¤­¤ޤ¹ 東博 前庭
 
朝9:30開門で三々五々11室前に参集、約束の時刻前に揃いましたので、初めての方もいらっしゃるので自己紹介や、本日のスケジュール案内などして、10:00より11号室の陳列仏像を鑑賞始めました。 
 
インフォーメイションで恒例に貰います、当館ボランティアさん作成の陳列品の解説印刷物が、今回は解説がまったく無しで。リストのみと成っていました。 前回も何時もと相違でして、陳列仏像に添えられているキャプションがそのまま印刷されていました。これも今までには異例で、夏休みの勢でかと思っていました。それまでは展示のキャプションとは別のボランテイアさん作文の独自解説がされていたので、とても価値がありました。それが前回は展示キャプション通りと成ってしまい、そして今回はそれも無く、展示品リストのみと成ってしまっていました。お蔭で、皆さん展示キャプションを書き写す手間と時間のロスが生じたようです。この変化はホランテイィアさんのスタッフに何か事情かと案じられます。是非に元に戻ってもらいたいものです。
 \¯\ê\寤¹¤ë¤ȿ·¤·¤¤\¦\£\ó\ɥ¦¤dz«¤­¤ޤ¹ 東博 11号室
 
前回より、他客への迷惑を考慮して、展示作品の前での解説は止めての観賞とし、その代わりに時間を切って、都度、隣階段室のスツール・テーブルのあるコーナーに場所を移して観賞後のディスカッションを計画しました。当日もその伝達をしていたのですが、皆さん丁寧な観賞で、予定の時刻を過ぎ45分経過しても全展示17件中5件までの前室でしたので、此処で一度 階段室コーナーに集まってディスカッションをしました。参加の方の中には、このブログ前号の数回に「仏像愛好の集い、広報」と「仏像愛好の集い予習」と題しまして投稿しました。解説文を事前のお読みいただいたり、またそれをプリントアウトして持参の方もありました。拙い解説ですが、先述のホランテイィアさん作成の解説資料が無い状況では、拙文でしたが意味はあったかと存じました。
 
皆さんは、特に善派仏師 作の菩薩像の美しさに感じられたようでした。「その唇に水晶の技法は他にも多いのですか?」とのご質問には、「玉唇技法の作例は私は他に知りません」とお答えしました。他に簡単な説明をして、次の集合は12:15とお伝えし、また展示仏像観賞に戻りました。
 
あとの此処の展示作品の事は省略します(「仏像愛好の集い」予習と題しましたブログに菩薩立像日光菩薩坐像毘沙門天立像愛染明王坐像の4作品の解説はあります)。皆さんの観賞が実に丁寧でして、またの予定時刻も過ぎてしまい、12:30にようやく「お腹が空いた」の誰かの一言を機に、やっと昼食の場所、平成館講堂前の休息コーナーへ移動しました。
 
各自持参のお弁当を和気藹々と頂きまして、後半のディスカッションを再開しました。
 
\¯\ê\寤¹¤ë¤ȿ·¤·¤¤\¦\£\ó\ɥ¦¤dz«¤­¤ޤ¹ 毘沙門天像立像 東博蔵 (面部)
 
毘沙門天像の玉眼が赤く見えるが・・・」との問いが出ましたが、おそらく玉眼裏に当てた紙に彩色かと思います。その玉眼は特筆すべき玉眼と言えましょう、玉眼といえば鎌倉期の作品が殆んどの中、これは平安期の玉眼でして、他でも平安の玉眼もたまに見ますが、その多くは当初は彫眼で造られて、玉眼がもてはやされた後の時代に改造されて玉眼に成ったものが多いです(同室前回展示の不動明王12世紀 当館臓もその玉眼に改造) 。しかし今回の毘沙門天像は改造ではなく当初からの玉眼でして、稀少価値あるものと言えましょう、また納入品の印仏の裏面に年紀応保2年(1162)が在るので制作年代がはっきりしている事と、その様な遺作は彫刻史上で基準作となり、貴重が増しています、先の玉眼と制作年代件を合わせますと、玉眼技法は 平安時代遡るという事の実証となっているのです。
 
 
  (現)月光菩薩 藝大蔵        薬師如来 高山寺蔵               日光菩薩 東博\¯\ê\寤¹¤ë¤ȿ·¤·¤¤\¦\£\ó\ɥ¦¤dz«¤­¤ޤ¹\¯\ê\寤¹¤ë¤ȿ·¤·¤¤\¦\£\ó\ɥ¦¤dz«¤­¤ޤ¹\¯\ê\寤¹¤ë¤ȿ·¤·¤¤\¦\£\ó\ɥ¦¤dz«¤­¤ޤ¹
   (修理前)藝大像          (現)菩薩像 龍華寺蔵        (補修前)龍華寺像(脚が誤取付)
 
A氏から「日光菩薩は半跏像で、この天平時代の脇侍は立像筈ではないか・・・」との質問が出ました。とっさに思いつけたのは近年にばらばらだった仏像が天平期と判明で復元された、横浜市の龍華寺の脇侍菩薩像でした。龍華寺像は、この日光菩薩像、と一具でした、此処の隣の東京藝術大学の保管の月光菩薩像(現在 京都市高山寺薬師如来の脇侍)と酷似でしたので、想い出せたのですが、他の例は思い付きませんでした。宿題にしてまらい、帰宅して調べてみましたら、上記二件の遺作の他には天平以前の坐像の脇侍は見つけられませんでした。半跏踏下坐の脇侍はずっと後代(平安末)の判っている玉眼像最古像で有名な長岳寺 木造阿弥陀(1151)まで見つけられませんでした。坐像脇侍で見ても、上述の二乾漆像以外では、平安時代時代前期(藤原時代当初)の清涼寺の阿弥陀三尊(896)が見られる最古のものでした。私の調べの範囲では天平の坐像脇侍は先述の二例のみのようです。確かに天平以前のの脇侍に半跏像を含み坐像脇侍のは遺作は非常に少ないいようです。そういう意味でも先述の平安仏の玉眼の毘沙門天と並んで乾漆日光菩薩は稀少な仏像といえるでしょう。
 
わき道にそれますが、此処で脇侍菩薩の姿勢を考えてみました。本尊の「結跏趺坐(成道途中は降魔坐、成道完成後は吉祥坐)」に対し、「菩薩坐」というもあって、それは片足を解いた「半跏趺坐」です。
「半跏趺坐」は「結跏趺坐」に対する言い方でして、細かく分類すると、趺坐の内、下の足を組上げない、つまり片方の足の裏が見えない趺坐と、この日光菩薩のような「半跏踏下坐」分けられるのではと思ってます。
 
「半跏踏下坐」と「半跏椅坐」とは同じなのか、異なるも中のかの疑問に当った。共に菩薩特有の坐法であるようですが、。「半跏踏下坐」は「半跏趺坐」「結跏趺坐」など趺坐の一種で、「半跏椅坐」の方は「椅坐」の「善跏椅坐」(台に座り、両足を踏み下げてそろえたかたち)に対する椅坐の一種でと成っているのではと思います。と成っているのではと思えます。自分の考えですが、弥勒の半跏思惟の半跏は、榻座(とうざ)に坐しているし、必ず右足をまげて左膝の上に置く方向性がありますので、「半跏椅坐」なのでは、一方の脇侍の「半跏踏下坐」は、蓮華座ですし、左右の方向性は規定してませんので、
「結跏趺坐」に対する「趺坐」の一種で「半跏趺坐」で、そのまた変形が「半跏踏下坐」なのではあるまいか?
 
整理すると弥勒は釈迦の坐法「善跏椅坐」(台に座り、両足を踏み下げてそろえたかたち)の変形の「半跏椅坐」(右足をまげて左膝の上においたかたち)なのでしょう。一方の脇侍の坐法は蓮華座であり、シンメトリーで左右どちらも必要で吉祥坐・降魔坐のそれぞれの変形と思い当たりました。そこで「半跏趺坐」の変形「半跏踏下坐」と思い当たりました。
 
好整理してみると「半跏踏下坐」と「半跏椅坐」を混同してたのがバカな様に思えます。
 
上記の考察や、如来の「半跏踏下坐」は見ない・・・この様に坐法には意味があるようです。まだ確かめていませんが「結跏趺坐」は如来の坐し方で、菩薩は「半跏趺坐」規定が在って良さそうです。揺るぎない如来には一寸やそっとで崩せない 「結跏趺坐」、その補佐的役割の菩薩は衆生救済の為 立ち働くのですぐに立てる「半跏趺坐」「半跏踏下坐」或いは「跪坐」(大和坐り)なのでしょう。
「菩薩坐」は「半跏趺坐」と解説に合点が行きます。そんな目でこれからは坐法を良く見て行きたく思いました。
そんな意味で、清涼寺の阿弥陀三尊、本尊の結跏趺坐は確認できましたが、両脇侍は「半跏趺坐」(未確認)であって欲しいものです、清涼寺の長丘寺の阿弥陀三尊の三尊、本尊は「結跏趺坐」であって欲しいです(未確認)、足裏の確認できる写真は神護寺の五大虚空蔵があり、それは「半跏趺坐」でした。
 
重複するかもですが、弥勒菩薩如来に準ずの意味から「半跏思惟」の坐法は「半跏椅坐」、(錫錠を持つ)地蔵菩薩の坐法は「半跏趺坐」「半跏踏下坐」としたく思います。康慶作の瑞林寺の地蔵坐像は「半跏椅坐」又は「遊戯坐」(足を組まない姿。半跏趺坐、半跏踏下坐の足をゆるめた形。)は片足の存在がつかめないと著明です。
 
宜しければ皆さんもそんな御調査協力していただき、結果お教え下さい。きっとそう旨くは行かず例外だらけの結果となると予測します。
書籍の整理された文章で覚えるより、我説かも、誤謬かも知れませんが、こんな考察は如何でしょう?ご意見、ご教授頂ければ仕合わせです。
 
11室の仏像観賞の感相総括は、時間的に、費用的にも、また写真撮影が許可などに、皆さん改めてに好条件を認識されたようです。今回の展示企画は「館蔵仏像名品選」でしたので、普段散見する寺院所蔵仏像の撮影不可の制約も無く、全てが撮影可(但しストロボ、三脚は使用不可)でしたので、「改めて写真撮影に来よう」との声も聞かれてました。
 
次回も同じ陳列の仏像の鑑賞会ですが、きっと今日気は気付かなかった事で、次回のその時の新たな発見も出てくるかもです。次回は私も車椅子無しで存分に干渉したく思います。また御参加下さい。
 
観賞仏像のディスカッションの後、2時ごろからの勉強会は三井記念美術館で開催中(11月25日まで)の 特別展 「琵琶湖をめぐる 近江路の神と仏 名宝展」の特別講座を以前に受けてきましたので、その受け売りに多少の
 
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付け足し、アレンジで展示の内の仏像中心の内容を勉強会をしました。
 
参考引用を含め20躯の仏像と、工芸の金銅経箱、金銅密教法具、仏涅槃図、当麻曼荼羅図、大日如来関係の曼荼羅図、仏画、仏図像資料などの解説を5時近くまで行いました。今回も長丁場でしたが、皆さん最後までお付き合い頂き有難うございました。この会での同展の合同観覧は日程まとまらずで、個人ごと自由観覧ということに成りましたが、個々の観覧時にいくらかの参考と成れば幸いです。
 
そして次回11月の集いは第二日曜日に決めて【ダブルブッキングでした改めて相談の広報をします】、散会と成りました。恒例のアフターの懇親飲み会をお奨めしたのですが・・・私にご遠慮頂いてで、されなかったと、事後に伺って、申し訳ない気持ちです。
次回は大いに飲み語り合いましょう・・・