孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

初めて、奈良博 研究機関紙の 論文を読みました。

 
十一面間音立像(奈良国立博物館蔵)

十一面観音の調べごとで、ウェブの検索をしてましたら、

『鹿園雑集』奈良国立博物館研究紀要|奈良国立博物館 
がヒットしまして、素晴らしく面白い勉強をさせてもらいました。尚この『鹿園雑集』はウェブにかなりの号数が乗っています。

以下は、創刊号(平成11年3月31日発行)に所載されていたものです。その掲載論文の内、「奈良国立博物館蔵 十一面観音檀像について」 井上 一稔 を読みました。

先ずは本像の研究経緯、昭和40年に旧国宝に指定されているが、それ以前の伝来を欠くと、伝来については定かでないとの事で、奈良博の館長も務めた故倉田文作氏は、この像を平安時代九世紀とするも、晩唐の作の可能性に言及している。後に氏は奈良国立博物館の『観音菩薩』展では、裳には貞観彫刻らしい翻波の衣文が刻まれているとし、本像は中国檀像の影響で作られ、さらに和風化されて法華寺、法性寺、道明寺の十一面を産むとし晩唐の作にはそれ以上触れられていない。云々とすでに文中に法華寺、法性寺、道明寺の十一面を産む・・・などと他の遺作にも触れ、この論文は美術史の論調が半分以上になる。時代的特徴が昨今の関心事であります私としては、テクストとして読み進みました。

何時も仏友の後輩には言っているのですが。博物館の展示キャプションは、勿論 その陳列されている作品の解説ではあるが、そこには作品の時代の特徴など美術史全般のことも多く書かれているので、良くその行間を読む様にするなら、各時代の特徴の勉強に繋がりりますと・・・。この論文も同様の感ありです。

像高の約40cmは唐大尺で約一尺三寸五分となり、十一面経典のサイズ指定に合致する。
また面数は、本面を合わせての十一面を数え、左で宝瓶を持ち、右手は掌を前にして垂らす施無畏印とみなしうる姿で、これらは十一面経典に概ね合致の姿です。

また牙上出面が温顔になるのは、十一面経典の中でも初期の経典に準拠していることを示す。他の檀像と比較して、東京国立博物館十一面観音像や法隆寺九面観音像に見られる左右相称性はなく、胸飾や瓔珞の制も時代的な下降を物語り、神福寺十一面観音像やベルリン美術館十一面観音像に比べても時間的、空間的に隔たる。そして本像の時代や制作地は、頭体のプロポーションも、柔軟な身のこなしや衣褶の扱いも、いわゆる天平彫刻の写実を経た感があるが、表情の明快な強い表現、後頭部の地髪下端にふくらみを持たせた表現などは、唐彫刻には比較的見ることの少ないものであり、それが宝菩提院の菩薩半跏像にみられ、わが国の九世紀の遺品に顕著であるとし、よって九世紀前半のわが国での作とされたのである。とあり、天平から弘仁貞観時代までの特色のみで無しに十一面経典の尊容の記述、までもが遺作例を挙げて説明されています。



特に「牙上出面が温顔になるのは、十一面経典の中でも初期の経典に準拠していることを示す。」との文章に牙上出面に温顔のものもある事をはじめて知り、それが初期十一面の特徴となりうることや、それが初期経典に準拠のことも事までも知り得ました。 面の数、本面を合わせての十一面の数え方も初期の形式と此処で勉強になりました。


      《一 経軌と表現のあいだ 》

では『十一面観世音神呪経』の二訳、『陀羅尼集経』、『十一面神呪心経』 『十一面観自在菩薩心蜜言念誦儀軌経』なのどの四漢訳経典の経軌を頭上面のうちの右面また同後面、頂上面、面数、持物の容姿別を分類し、それらに該当する遺作を法隆寺東京国立博物館、神福寺、道明寺には二体、葛井寺千手観音像、美江寺、多田寺、聖林寺、観音寺、金剛山法華寺海住山寺像、美江寺、道明寺、薬師寺法華寺法隆寺東博、神福寺などの各像の事例を上げ、上記の各十一面経典の経文と表現が明らかに対応する箇所を個々丁寧に挙げ解説しています。


 写真の貼付が無いので、一々他での画像確認は、実に手間がかかったのですが、説明文を読んでは、事例写真を見る中で、著明像や また知らない像も、出てきて実に楽しくあり、その方法はとても分かりやすかったです。

実はこの学習の動機でしたのが、頂上仏面は、頭上面のようには明確に経軌間の区別は付けられなようでありますが、ここで分かった事は頂上仏面は首だけのもと思い込んでいましたが、意外に頂上仏面は上半身を表しているものもあり、例えば薬師寺十一面観音像、道明寺本尊十一面観音像、法華寺十一面観音像などにそれを認めます。これは単にたまたまの作像の出現ではなく、「仏面」を上記のように半身体を含めた「仏面体」との解釈をすることもあったのではないかと推測されるとの論調でありました。

今回の十一面頂上仏の疑問の発端となった弘明寺の頂上面は、どうやら、この範疇に属すると思えるのです。 

また面の総数の件では、4ある十一面の訳経典でも、そこには「十一面を作る」と規定するだけのものであって、本面をいれて十一面とする解釈と本面を入れて十二面とする解釈の両方共が成り立ち、双方の遺作が伝わっています。この奈良博蔵の十一面観音立像の様に、本面を入れての十一面が古様らしいとの事も勉強になりました。



    《二 檀像における位置》

装飾を共木で彫り出すものから、別材を足していくものへと展開することは、四訳経典の経典のニュアンスの違いが関与したこ展開とも考えられる、一方、純粋に技法の上からとも考えられる。この方が自然だと思われる。そして、「この技術的な変化があって、訳語の方も変化したとも考えられよう。」の論調も面白いです。
また装飾を共木から彫り出すということは、結果としてその下にある肉身や着衣を多少は犠牲にするという事にもなり、装飾具優位の造形を生む。これに対して装飾が別材で作られるときには、用材に対する意識は肉身及び着衣により向かうことになろう。このような視点からいくつかの檀像を、瓔珞等の共木の状態、装飾具(胸飾・瓔珞等)と着衣(天衣・条帛・裳等)の関係という二つの点に着目して眺め、本像の檀像内での位置づけをも考察している。 真に細かくあらゆる角度からの研究です。

ここでも堺市博物館蔵聖観音立像を初め、法隆寺九面観音立像 東京国立博物館十一面観音立像、法隆寺像、神福寺像、 奈良国立博物館十像、神福寺像、道明寺立像、法華寺像、 海住山寺像、醍醐寺像…など多くの遺作実例を挙げて荘厳具衣の素材、装飾の意識の進んでいく傾向にと、毛筋彫りを行わない地髪部を柔らかくボリューム感を持たせて髪の質感を表そうとした木彫の彫技表現、他方、偉材の補助材も使用するという意識等々、時代、過渡期の作品と位置付けることにより細かく分類検証しています。 これが研究なのでしょう。
此処では変化して向かう、その方向性が分かり、大変似興味深かったです。



    《三 経典に表れない表現》

にてはこれまた細かな点に及んで考察して居ます。地髪部に何らかの装飾を付けたと考えられる謎のほぞ穴、頭部正面につく化仏が立像であること、水瓶の形などによる同傾向の追求により、唐招提寺十一面観音像などやはり八世紀後半像への影響を考察しています。


    《四 製作期について》

 ここでは改めて全体の作風を中心として、またこれまで取り上げていない表現を補足しながら本像の製作年代を結論づけて居ます。まずは平安初期説を改めて検討する意味でも、八世紀末から九世紀初めのいくつかの平安初期木彫像とその主だった違いに注目しています。

 新薬師寺薬師如来坐像 八世紀末 ・宝菩提院菩薩半跏像  八世紀末~九世紀初 ・道明寺本尊十一面観音像  同 ・神護寺日光・月光菩薩立像 九世紀初 ・東大寺弥勒如来坐像 九世紀初  ・金剛心院如来立像  同 ・唐招提寺伝釈迦如来坐像 九世紀初  ・法華寺十一面観音立像 九世紀前半 ・奈良国立博物館薬師如来坐像 九世紀前半

 以上数かなりの数の平安初期彫刻を取り上げ、端的に論じて、天平後半期の木心乾漆像の展開の中で神護寺像や新薬師寺像が生まれたと考えいる。本像などの顔立ちが先行 存在し、その系譜上に神護寺像と新薬師寺像共通性があらわれたと推測している。八世紀末から九世紀前半の平安初期木彫像の中では、本像の顔の作風表現は典型ではないと 結論付けているようです。次に体つきに作風を中心にしてもう一度天平時代の作例の中で考察していて、 両肘を張って体部との間に広い空間を作り、像に大きさとゆとりを与える表現を聖林寺十一面観音像や観音寺十一面観音像などに指摘しています。天平後半期の仏像の側面観は、頭・体の軸が垂直に通り動きが少ないという特徴も本像に当てはまるとしています。 条帛の位置、掛け方は、聖林寺像・観音寺像を例に解説し これまたこの時代の美術史の良きテクストといえるようです。

 そしてこれらの考察により、この奈良博蔵 十一面観音像の制作時期としては、道明寺像(宝亀頃の作と推定される)より遡ると考えられると結論を出しています。

臂釧は、基本帯に円形の菊座を付ける。文様については、刻線によるものと、金泥などによるものがある(切金は認められない)。などの根拠を挙げていて、時代の特徴の良き勉強になりました。


     《結び》

としてご丁寧にも、これまでの論述を総括してくれているのもありがたい。そして結びとして、このように鑑真の影響力の強い唐招提寺という環境を離れた造像界においては、比較的自由に唐彫刻の必用な部分だけを取り入れて造仏を行うという状況の存在したことが窺われてくる。そしてこの点は、唐彫刻を受容する際の、つまり日本化の一つの在り方を示す事例と考えられ、他作例による検証が待たれる。として、この時期が我が国における本格木彫の興味ある和風化への位置づけとして終わっています。



最後に在る【注】 そこに挙げられている引用論文も専門研究論文、や我々としては最近ようやく存在、意味を知ったばかりの大正蔵経も引用で、例えば、大正蔵経二十巻 No.1071 「作十一面、當前三面作慈悲相、左辺三面作瞋怒相、右辺三面作白牙上出相、當後一面作暴悪大笑相、頂上一面作仏面像、諸頭冠中皆作仏身」などとあるように、決して読みやすい内容ではありませんが、飛ばし読みを覚悟の前提とすれば、図像学と美術史にまたがる興味ある論文でした。

勉強ランク的には、投げ出す手前の高等的分野で、歯ごたえ在り過ぎでして、十一面観音図像に比喩して言うなれば、頭上面のうちの頂上仏面の如くで、簡単には到達できない、究極の仏像知識の到達点を垣間見たような感でした。で、難しいながらも面白く読ませていただき、物足りないの対極の満足を超えての持て余し気味でした。


私には背伸びの論文読書でしたが、ネット検索で出てきてすぐに読めます。なかなかでした、ご推奨いたします。いつか有志仲間で、これをテクストの勉強会をしてみたく思いました。