孤思庵の仏像ブログ

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唐招提寺の伝獅子吼菩薩立像 ・伝衆宝王菩薩立像の尊名の不思議

2011年07月12日12:11
 某大学の生涯教育の美術史の講座で唐招提寺を受講しました。

金堂の巨大三像(盧舎那仏・千手観音・薬師)、何故その尊がチョイスされたかの謎に、最近の説として三戒壇東大寺・下野の薬師寺・筑紫の観世音寺)の本尊・寺号に由来説は面白かったです。

その後に出てきました。旧講堂仏像群の一木造りの像が解説されました。その内、木造伝獅子吼菩薩立像 (三目四臂)・木造伝衆宝王菩薩立像(三目六臂) 、その二躯は共に像造時期には不空羂索観音だつたと思われるとの事、その後、寺では獅子吼菩薩・衆宝王菩薩と呼ばれ、現在、重文名称では伝獅子吼菩薩立像 ・伝衆宝王菩薩立像になっています。

この獅子吼・衆宝王両菩薩という名は馴染みが無く、思い立って、いろいろ調べてみました。久々に開きました佐和隆研の仏像図典でも阿弥陀の囲繞の二十五菩薩にその名を見出すに過ぎませんでした。

後の獅子吼菩薩・衆宝王菩薩の呼称となるは、どの時代にせよ律の寺の唐招提寺阿弥陀の二十五菩薩来迎は馴染むと思われません。しかも二十五菩薩は楽器などを持つ二臂の菩薩形でありまして、多臂像ではないのです。

真言律宗か何かの関係化と密系の像を予測したのですが、私の資料では見つかりませんでした。またインターネットでも調べましたが、獅子吼菩薩・衆宝王菩薩共に唐招提寺像か二十五菩薩関係しかヒットしませんでした。

そして唐招提寺像と二十五菩薩、その関連性に関しての事項は見出せませんでした。

どなたかその件で知識の方は、お教え願います。斯様に唐招提寺伝獅子吼菩薩立像 ・伝衆宝王菩薩立像の名前は不思議なのです