孤思庵の仏像ブログ

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昨晩 6月27日の 青松寺 の連続講座 「正法眼蔵に学ぶ」に行ってきました。

昨晩 6月27日の 青松寺 の連続講座 「正法眼蔵に学ぶ」に行ってきました。青松寺 以前に通りすがりに立ち寄ったことが 有りましたが、 晩時に訪れるは 初めてでした。  愛宕ヒルズのフォレストタワー  MORIタワーの高層タワービルに囲まれる様な立地ですのに、 たそがれ時のその お寺は とても大きく感じられました。 新しくて 立派なお寺でして、 これは 何者と 不思議に思いました。 帰って調べましたら、
江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476年)に創建。当初は千代田区麹町にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。長州藩土佐藩津和野藩などが江戸で藩主や家臣が死去した際の菩提寺として利用した。
境内に「獅子窟学寮」を擁し、幾多の人材を輩出、明治8年1875年)には、獅子窟学寮内に曹洞宗大学林専門本校を開校し、翌年、港区高輪泉岳寺学寮、文京区駒込吉祥寺学寮「旃檀林」と統合し、今日の駒澤大学へと発展した。 との事でした。





アクセス of 青松寺

seisyouji.p1.weblife.me/acsese.html - キャッシュ
に依りますと・・・、

http://seisyouji.p1.weblife.me/_src/sc3008/honndou11.jpg本堂のご本尊様は釈迦牟尼如来、脇侍に文殊、普賢の両菩薩  内陣の左右の柱には、大本山永平寺77世慈眼福海禅師の筆になる聯が掛けられて、そこには、「ここ萬年山はみ仏の道を今日にいたるまでまっすぐに行い、広く伝えてきたお寺。今もみ仏の願いをいきいきと輝かせ、なお実践に励みつとめて行く者が集まる道場である。」ということがかかれています。
大正12年9月の関東大震災で境内堂宇全てが消失し、昭和4年に新たに建立された本堂は、大震災で火災を被った後ということもあり、当時はまだ珍しい鉄筋コンクリートで造られました。 他の施設
堂内はどなたでも参拝することができます。いつの更新かは解りませんが、 建物、什物 はすべて 新しく見えました。

他に 見ものとしては、四天王像安置の山門、坐禅堂、観音聖堂 が有り、 時代物に拘らなければ、一見の価値ありと思えます。 一度 拝観ツアーを企画しようかしらん!  その他 見ものは   アアクセス of 青松寺」seisyouji.p1.weblife.me/acsese.html - キャッシュ をご覧ください。


本日の 講座教室は  僧堂の二階の 玲瓏閣と云う 五十畳か百畳もあろうかと云う大広間で、座卓と座布団が什器の教室でした。

講座前に トイレと思い 探し歩きますと、 ますと 曹洞宗ですので 東司 とありました。 (ちなみに 臨済宗では雪隠という)  東司前の廊下の壁に 一点で吊るすようにした木製の簡素でごつい衣紋掛け状を発見した。  東司の作法に 厠に上がる前に、着ている法衣を脱いで丁寧に畳む。と聞いたことがあります。
それの省略形か一点で吊るすようにした木製の衣紋掛け状 と想像しました。 ちなみに 女子用の前にはありませんでした。女子用は来客専門で、 段使用は 僧侶と来客 併用なのかと想像しました。
トイレの手水が 一興でした。 この僧房は 真新しく近代建築の様ですので、 手桶 柄杓 は無しで、 蛇口ですが モダンなものでなしに 真鍮の レトロ風でした。 流し(シンク) もレトロ的に 銅板(赤と呼びたいぐらいに 赤く発色していました。)で なんとも雰囲気でした。  道すがらの廊下に(そう、一間幅の廊下は 半分が畳敷き、 もう半分が板敷でした。の一角に  魚板ではなく、 板木 これだけは古く  木槌で打たれる中央部分は 深く窪んでいました。  等々、斯様に興味深い僧堂 内部でした。

トイレもすまして玲瓏閣に戻って、七時より 講座が始まりました。 厚めの大きな 座布団に、胡坐ならば 大丈夫と 高を括ってしまったのですが・・・、講座開始後 十分もしますと 大変なことに気が付きました。  胡坐でも お尻と脚がが」痛いのです。 そういえば ここ数年 畳に座布団に長く座ったことがないのでした。  すっかり椅子の生活に慣れきって、 もう日本人ではなくなっていました。 脚の痛みに 五分ともたないで脚を組直す始末 後に若い僧侶も受講してまして、彼は正座でした。 そんな正座の前で、もじもじを続けるのは 心苦しく、また脚の痛みの苦痛で、 冷房のない部屋の蒸し暑さにあいまって、額に 汗がにじみ出しました。確認はとっていなかったのですが、通常講座は九十分  やばい、 ぎりぎりになったら 抜け出そう・・・、 こうなるとは夢にも思わなかったので、 いつもの講座の如くに前から三番目程に 陣取ってしまってました。 やばい・・・、 テキストは岩波文庫の「正法眼蔵」1990年版、 前の書物の字は こんなに小さかったっけ?!  和室の落ち着いた照明は そう明るくはない! ほとんど見えない。 やむなく 講師の 読み下し 解説を 耳で聞くのみ、 その上 内容は とても難しいです。 そんな訳で、 講義の 内容は説明はご容赦頂きたい。 自然の 水が 淀みに、流れに、 それが蒸発し 雲となり、また雨として降る。 斯様な流転を 繰り返すが如くに、と例えられているが、それが人の何なのかが理解できない。 脚が痛いので 理解に集中できないのか? 解らないのでつらいのか? いいや脚の痛みがとてもつらいのです。 何時抜け出そうか、の葛藤だけがぐるぐると・・・。 脚の痛さに 座る姿勢を 常にごそごそと変える、体たらく、 本に針の筵でした。 時計を見ては まだ40分 やっと50分・・・、 何時抜け出そうか 葛藤のだけの 有様。   そんなで、今 8時  まだ30分有る。 だめだ! そんな時 講師が 「今日は早いけれども、此処で終わりましょう」と言ってくれた。 助かった! 聴衆の何人かは扇子を使う程と 部屋が蒸し暑かった勢? そう理解したいが、もしかしたら 私の座る姿勢を もじもじ替え続けた勢?! で、 時間短縮?!   冷や汗ものでした、いや脂汗ものでした。

斯様な訳で、もう座卓の玲瓏閣での受講、正法眼蔵に学ぶは 諦めざるをえません。
正法眼蔵」は学生時代 友人が読んでいると聞き 対抗意識で 読みたいと思ったことが有るのですが、 果たせずじまいで来て、50年目の再チャンスでしたが、 上の事情で 受講は諦め、悔いは有りません!

平衡のもう一つの東洋大学 学長の竹村牧男 先生 の連続講座  「摂大乗論に学ぶ」の講座の方は、会場が 「貝塚ホール」となっていますので 貝塚ホールの名前から 椅子席をイメージしますので、 そちらは受講したく思います。 「貝塚ホール」 何で貝塚? と思っていましたら、 青松寺 の事を 調べる途中に・・・、 創建当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町周辺の古地名)にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。しかし移転後も長く「貝塚の青松寺」と俗称されていた。に出くわしました。


正法眼蔵」に学の 事には触れずで、 閑話や言い訳の終始で、期待外れの文に成り、 済みませんでした。





以下、青松寺「 『摂大乗論』 に学ぶ 」 のwebより転