孤思庵の仏像ブログ

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(初級向け)運慶作 円成寺大日如来坐像 の魅力

簡単な初級向けの記事です。

鎌倉彫刻、特に奈良仏師は、東大寺興福寺などの焼失仏像の補作に当たったので、天平の写実性に倣い、写実的と云われます。 同じに写実的と言っても、そこには違いが在ると思います。 天平彫刻の写実は、その前代の飛鳥・白鳳仏が、変化して来たものでは無しに、それは唐代中国との直接交流により、盛唐の爛熟(らんじゅく)した文化が受け入れられ、その影響で、奈良の都を中心にいわゆる天平文化天平彫刻が形成されたのです。一方鎌倉彫刻は、 藤原の国風の後で、 これは自国内の情勢に連れて、彫刻様式傾向が、振り子の様に藤原彫刻と反対側に大きく振れたと云われ、ここでは天平彫刻の出現時とは相違で、奈良仏師側の生き残り戦術の為の作風展開とおもいます。 

小難しい云い方をしましたが、趣味人程度の天平・鎌倉の二時代の写実感覚の相違の相違は、
天平彫刻の写実はプロポーション(人体比例)の写実と感じます。 飛鳥・白鳳彫刻は、寸詰まりだったり、極端に細身で、人体のプロポーションに合致してません、その姿勢も 直立不動的で、
自然体の人体のプロポーションから遠かったです。 薬師寺薬師三尊の日光・月光両脇侍のトリバンガ(三屈法)のプロポーションは勿論のこと、中尊も どっしりとした重量感はプロポーション的写実と云えましょう。
一方鎌倉時代の奈良仏師・慶派仏師の写実の中心は、パーツ部分の写実の巧みさと思います。re例として、表題の「運慶 円成寺 大日如来坐像の魅力」を 簡単に考察してみます。

「円成寺 大日如来 坐像」の画像検索結果


国宝 大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)
運慶作
平安時代・安元2年(1176)
奈良・円成寺

台座の裏に墨書があり、運慶が「安元元年十一月廿四日」に造仏の注文を受けて造り始め、「同二年十月十九日」に完成した像を引き渡したことが知られる。銘文は運慶自身が書いたもので、末尾に「大仏師康慶実弟子運慶」と記し、署名している。現存するもっとも早い運慶の作品で、時間をかけて入念に造ったのだろう。溌剌とした表情と体格、きれいに梳いた髪のふくらみなど写実的で、運慶の類まれな才能を感じることができる。(
東京国立博物館 メールマガジン 2017年9月19日
No.765)
 

表題の「運慶 円成寺 大日如来坐像 の魅力」を 簡単に考察してみます。パーツ部分の写実は、まず綺麗にハッキリと美しく彫られた地髪部の毛筋 その髪を よくご覧ください、宝冠部分です。髪が冠台部分に抑えられて、締まっています。それに依り、髪の弾力を感じます。
結跏趺坐の上部を向く 両足の足の裏をご覧ください!実に柔らかいのです。土踏まずが凹み、そして 大腿部の膨らみに押され、足裏は縦に折れ気味なのです。おおそらく誰も注目しないでしょう足裏に これほど細心の注意を払っているのです。 続いて足先に注目してみますと、それは、屈した脚部の腿部と膝の間にできた谷間に上手く挟まりおさまって居て、足の甲で腿部と膝の肉を抑え、はまり込む腿とふくらはぎの柔らかさを表現しています。

他にも背中の美しさ、智拳印のゆったりとした彫刻空間 なども賛美したいのですが、皆さんの感想の邪魔になってはいけませんので、この辺にしておきます。 まだまだ他にも、この像の見所は在ります。どうぞ皆さん、じっくりと 大傑作 運慶作 円成寺 大日如来坐像 を良く見てください。 見るというより、観てください・・・、読んで下さい! そして見所、感動を 大いに話し合いましょう。