孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

浄瑠璃寺・大日如来坐像を拝観して来ました。 浄瑠璃寺で伺ったお話しなど

「仏像愛好の集」 のメンバーのTakさんからの 投稿です。


【以下Taksさんの文章です】

寒さ厳しき折り、ご健勝のことと思います。

先日(1月7日・土)の集いの会・定例会は久方ぶり参加出来、参集された方々と賑や
かにおしゃべりが出来て、今年も最初から元気を戴きました。



私は、定例会の翌日(1月8日・日)から1泊で、京都、奈良方面に出掛けて来まし
た。今回は、珍しく一人ではなく、知人と2人の観光旅行となりました。8日は、朝か
ら関西地方は本格的な雨ということで、予定していた「浄瑠璃寺」拝観を変更して、
京都「相国寺」、「京博」を先に拝観することとしました。つまり「伊藤若冲」の作
品の、寺院公開と博物館展示とを併せて観て廻りました。「相国寺承天閣美術館
では、本邦初公開という「鸚鵡牡丹図」、「岩上鷹図」、「群鶏蔬菜図押絵屏風」な
どの花鳥図関係が数多く展示されていました。「京博」では、「百犬図」、「六歌仙
図押絵貼屏風」などの普段観られない作品が展示されていました。知人はどちらで
も、若冲作品を食い入るように見入っており、私とは関心の度合いが違いました。



http://www.shokoku-ji.jp/j_now.html  相国寺承天閣美術館の展示情報です。

 



翌9日(月・祝)には、雨がすっかり上がった青空の覗く気持ちの良い早朝から、今
回はJR奈良駅前から直行バス利用で、「浄瑠璃寺・灌頂堂」などを拝観して来まし
た。「灌頂堂」では秘仏開扉の「大日如来坐像」のほかに、「叡尊坐像」(西大寺
造)、「義明上人座像」、「役行者像、前鬼・後鬼像」、「阿弥陀如来坐像胎内摺
仏、印仏」を、また「九体阿弥陀堂」では、私の贔屓の「四天王像(2体)」や「不
明王立像、制多迦童子像、矜羯羅童子像」、また「吉祥天女像」が「秘仏開扉」と
して拝観出来ました。知人は、完全に絵画に関心があるので、吉祥天女像の厨子内と
扉の仏画に時間をかけて拝観していました。「三重塔」内の「薬師如来坐像」は、拝
観計画を1日変更したために、残念ながら拝観出来ませんでしたが、8日の開扉は、雨
天で開扉されずじまいだったので、どちらにしても拝観出来ませんでした。しかし、
午後1時30分過ぎに浄瑠璃寺を退出しましたが、知人が風邪気味、体調不良というこ
とで、予定の奈良市内の寺院巡拝は中止して、近鉄奈良駅から帰京することとしまし
た。彼は、お寺に半日もいて、寒かったのかもしれず、知人は帰りの新幹線列車内で
は、熱があったようで、私のジャンパーも首から掛けて、ズッと寝っぱなしでした。

予定していた「奈良博」へ伺うことは叶わず、「新薬師寺・香薬師像」の「右手首」
公開(H28年12月27日~ 奈良博・仏像館・第5室・仏手として展示)に寄って来る
のは、後日となりました。何時まで展示しているのか不明です。この件は、昨春に
「鎌倉・東慶寺」に恒例の「東慶寺展」に一人で出かけた際に、ブログにも投稿しま
したが、東慶寺墓苑の中の、多くの文人・学者などの墓所の中に、文藝春秋社長の
佐佐木茂索」氏の墓にも、お参りをしてきた時に、像のいきさつについて、お寺の
方とお話しをしたこともあったので、思わぬ結末に意外でした。まだ、記事に紹介さ
れている貴田正子氏の著書を読んでいないので、詳細は解りませんが、銅製の右手首
だけでも先に拝観しようと思いましたが、後日に先延ばしになりました。

http://www.narahaku.go.jp/news/download/busshu_press.pdf  奈良博のプレスリ
リースです。



香薬師像は高さ約73センチの銅製で白鳳(はくほう)時代(7世紀後半~8世紀初
め)の傑作とされた。貴田さんの調査で、右手だけ本体と別に保管されていて盗難を
免れたが、寺から流出したことが判明。戦後に元文芸春秋社長、佐佐木茂索(もさ
く)氏(1894

~1966年)が東京都内の自宅で保管し、2000年に遺族が鎌倉市の寺に寄贈し
たことが分かった。 佐佐木氏は、盗難後に香薬師像の模造仏を新薬師寺に寄進する
など同寺と親交があったが、右手の入手経緯は不明。貴田さんが昨年5月に鎌倉市
寺で右手の存在を直接確かめ、同10月に新薬師寺に返還された。寄託を受けた同博
物館は「盗難前の写真との比較や材質などから白鳳期の実物とみられる」と判断し
た。  新薬師寺の中田定観(じょうかん)住職は「小さいがふっくらして柔らかい
手で、美しく感じた。発見されて感激した。ぜひ本体も見つかることを願っている」
と話している。右手発見の経緯は、貴田さんが著書「香薬師像の右手」(講談社)に
まとめている。【皆木成実】





なお、浄瑠璃寺では、お寺の方から、『奈良西大寺展・叡尊と一門の名宝』の開催に
関して、「吉祥天女像」が、東京・三井記念美術館と、大阪あべのハルカス美術館
2会場での出陳が決まっているそうで、他に三重塔内「薬師如来坐像」、灌頂堂内
大日如来坐像」などの寺宝が出陳されるそうですが、吉祥天女像以外の像の出陳に
ついては、3会場のうち、何処の会場に出陳されるかは、確定していない、とのこと
でした。お寺の法要や、両像の開扉時期に影響がない期間を検討して、出陳するとの
ことでした。



また、お寺の方からの情報で、本堂・九体阿弥陀堂の「本尊・国宝・九体阿弥陀如来
坐像」は、往時の姿をほぼそのまま残している貴重な作例・尊像として有名ですが、
数年前の各像調査により、損傷が甚だしい像も見うけられ、明治期以来約百年ぶりの
修理・修復を実施することとなり、H29年度から5か年計画で、年1~2体の阿弥陀
が修理・修復のため、寺域を離れることとなり、5~6年後に現状の姿に戻る予定とい
うことだそうです。修理・修復開始予定は、今年の夏期頃とのことでしたが、開始時
期が遅れることになりそうだ、とのお話しでした。9体揃って拝観出来るのは、あと
しばらくのようで、この先5年ほどは、毎年数体が修理で出払うこととなるそうで
す。

 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E7%91%A0%E7%92%83%E5%AF%BA  浄瑠
璃寺(Wikipedia)です。





私は、近日中に品川の「ニコンミュージアム」で開催中の『植村直己 極地の撮影
術』 展(1月5日・土~4月1日・土)に行ってくるつもりです。日本の登山家・冒険
家として著名な「植村直己」氏は、私が学生時代から憧れた登山家として、「孤高の
登山家・加藤文太郎」に憧れ、明治大学卒業後は、仕事が定まらないままに海外の高
峰・難峰に挑み、日本人最初のエベレスト登頂、北極圏の極地犬ぞり単独探検、北極
点到達などや、世界初の五大陸最高峰登頂を達成し、多くの困難な冒険を行なってき
たことの成り行きを見て来ました。最期は、彼としては2度目の北米マッキンリー
(現在の名称はデナリ)を、世界初の冬季単独登頂を果たしたが、山頂に立てた日の
丸を遺したまま、最終キャンプに戻ることは無く、行方不明のまま現在に及んでお
り、最後の交信で消息が確認出来た日をもって、彼の命日とした。今回の展示会は、
彼特製の一眼レフカメラや、彼が撮影した写真パネル、防寒服ほか冒険に使われた装
備品なども展示されているそうです。現在と比べれば格段の昔日の観がある装備品や
服装ではあるが、私にとっては同時代の人間として、身近なものに思えます。因み
に、H28年4月には、写真家白旗史朗氏の撮影の師である「岡田紅陽」氏の遺作写真
展が開催されて、短時間でしたが、見に行ったことがありました。紅陽氏の撮影した
富士山の写真が、500円札の紙面にデザインされていることは有名です。

http://www.nikon.co.jp/corporate/museum/events/index.htm  ニコンミュージア
ムのイベント情報です。



浄瑠璃寺・灌頂堂・大日如来坐像の開扉時の拝観状況については、別途、定例会でで
も詳細、ご報告出来ればと思います。資料、写真はその時に紹介することとします。



2017年1月12日  Tak