孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

「仏像愛好の集」のTakさんから投稿 東京芸大「博士審査展」東博「小林斗盦・篆刻展」

「仏像愛好の集」のメンバーのTakさんから 投稿がありました。

【以下Takさんの投稿です】

12月13日(火)、東京芸大「博士審査展」に出掛けました。帰りには東博「小林斗盦・篆刻展」に行ってきました。



東京芸大「博士審査展」 
http://dr-exhibition.geidai.ac.jp/2016/    保存修復「諏訪大社本宮・建築羽目板彫
物・獅子と牡丹」小野貴登司氏



芸大大学美術館の午前10時の開館直後から、のんびりと鑑賞して巡りました。3階に階段で上がり、日本画や油絵画、映像など先端技術による芸術という感じで、大
型のキャンバスの日本画や油絵作品ならともかく、私にとっては、何を描こうとしているか解らないような斬新的なものから、どのような手法で描いたのか解らないよう
な、大きなスペースを取った造形物など、これが近世芸術なのか?と思うようなものまでが、広い会場にゆったりと展示されていました。学生が一生懸命今日のこ
の日に向かって、ひたむきに制作してきた様子を感じながら、フラフラと巡りました。EVホールからすぐのブースで、今回の展示会にあわせて行われた「博士論文発表
会」が始まっていました。早朝から多くの関係者や学生が集まって、熱心に発表に耳を傾けている方々がいました。

一通り観て廻ってから地下2階に下りました。第2展示室には、「天瑞寺障壁画・松図」復元制作作品、「永保寺・千手観音菩薩像」の模写、白描図や「羅漢像」修理
展示などが展示されたブースの、一番奥の場所に、「諏訪大社本宮・建築羽目板彫物・獅子と牡丹」模刻作品がドンと置かれており、壁には、写真とともに説明パネル
が数枚貼られていました。今回の発表作品は、仏像ではなく建築物に飾られている彫物でした。素木の大きな材を奥行深くまで克明に獅子と牡丹を彫り込んだ腰羽目板で
した。大きな寺院や神社、城などの建築物の堂内内陣欄干や回廊などの多くに飾られているような、装飾絢爛な木彫装飾物です。これで極彩色の塗装処理がされていれ
ば、作者は違うものの、どう見ても「日光東照宮」のようだと思わざるを得ませんでした。

事前に、同展の同発表展示についてのパンフレットに眼を通していきましたが、すぐには頭に入らない感じでした。パンフによると、近世寺社建築の大きな特徴とし
て彫物(木彫刻装飾)を多用する傾向があり、桃山時代から幕末までその傾向が続きました。私でも、古来からの彫刻を施した文化財としては、純粋には工芸ではな
い「仏教仏像彫刻」と、寺社仏閣・城郭などの建築物の装飾としての「宮彫り」に大別出来ることは、聞き及んでいましたが、これまでは主に「仏像彫刻」に眼が向いて
おり、たまに行く寺院建築の外廊下、内陣欄間などの彫物に眼が留まる程度でした。私が観た最近の「彫物」は、今年秋に「三井記念美術館」で開催された「松島・瑞巌
寺と伊達政宗展」で観た「国宝・瑞巌寺本堂彫刻欄間」の「花鳥図」7面でした。1面ごとの欄間は、その用途から大きさは畳1畳ほどもあるのに、厚さは10㎝程の極
端に薄いものでしたが、伊達家一門の場所を飾るという意味合いを持たせて、透かし彫り、極彩色の華麗な欄間の展示を、時間かけて観て廻った覚えがあります。工
人は紀州根来の人物で、多くの神社仏閣、城郭に活動し、多くの作例を遺した記録があるようです。また、「日光東照宮」が代表かと思われるが、国宝であっても、幾
度となく眼にしているものでも、あまり工芸的に関心を持たずに今日まで来てしまった感はぬぐえません。もっと古建築物や工芸品にも関心を持ってくればよかっ
た、と思っています。江戸時代半ば、徳川吉宗将軍の時期に、鎖国令の最中に、キリスト教以外の洋書の輸入緩和が行われ、急速に漢訳・和訳が広まっていったので
す。書物に載っていた西洋式の数学、測量技術が紹介されました。脱線しますが、会場の説明パネルに記された中には、立体造形が「彫刻」という言葉になった背景に
は、1873年の「ウィーン万博」までさかのぼるとありました。それまでは「彫物」という名称が一般的だったようです。万博の出品規定に「像ヲ作ル術」という語
句が使用されたことに始まり、大村西崖が彫刻と塑像を併せた「彫塑」という名称・概念を提唱したが、定着せず、最後に1876年に「工部美術学校」の学科名とし
て定められた「彫刻」が概念として広まったようです。さて、「宮彫り」は、神社仏閣の建築物を飾る装飾彫刻で堂内廊下の欄間だけでなく、外郭部分にも用いられ、専
門工人の集団が結成されて、「大隅流」、「立川流」が勢いを持ったそうです。大隅流は、幕府御用達として日光東照宮や「湯島聖堂」の装飾彫物が有名となり、その分
派集団に江戸の「立川流」があったということです。その後立川流も幕府御用達になったようで、信州の桶職人だった塚原家の「和四郎」が後の諏訪立川流棟梁となっ
た「立川和四郎富棟」だそうです。諏訪立川流初代棟梁:立川富棟、二代:立川富昌、三代:立川富重であった。大隅流と立川流は、諏訪藩主の命で、両派の腕を競うこ
とになり、諏訪大社の下社を同じ規模、同じ期間で同時に各々の社を造ることとなったそうです。その結果、大隅流の造った社を「春宮」、立川流の造った社を「秋
宮」と呼び、両派が造った社が今でも残っているということです。その結果は、立川流大隅流を凌ぎ、富棟の出世作となり、主流となったそうです。また、富昌は世
間から「幕末の左甚五郎」と評価されたようです。遺る作例としては、「静岡浅間神社」、「長野善光寺」、「京都御所」、「諏訪大社上社」、「豊川稲荷」、「高山
祭の山車」などがあるそうです。技術的には、その当時、徳川8代将軍・吉宗の統治時期に、下絵となる「白描図」に「宮坂家文書」というものが造られ、洋書からの和
訳、漢訳書物の発刊の流行が興り、コンパスの利用による作図(拡大、縮小、均等的な構図など)の応用が、画構成上に使われるようになったようで、その技術的な創意
工夫が、彫物の下絵作成に大きな影響を与えて、飛躍的に高度な複雑な造形上の表現を描くことが出来るようになり、下絵の充実が彫物の完成度を上げていった、と云わ
れたそうです。当時のコンパスによる作図技法を説いた書として、溝口若狭林卿「方圓順度」、村井昌弘「量地指南前編」、葛飾北斎「略画早指南」の3部が、評
判が高く発行されたそうです。

明治時代になって政府の宗教政策や西洋社会化の流れから、それまでの隆盛が衰え、その後も建築家の「ブルーノタウト」が、日光東照宮の建築様式と装飾などについ
て、良い評価をしなかったことから、華美な傾向が減速していきました。このような環境のなかで、遺された「諏訪大社本宮・建築羽目板彫物・獅子と牡丹」について着
目した、大学院の「小野貴登司」氏の研究調査と模刻作品が、「薮内教授」の教室から発表されています。展示されている模刻作品については、パンフレットに綺麗な画
像がレイアウトされていますので、ご覧ください。

会場の説明パネルでは、1.制作集団となる江戸時代後期の「諏訪立川流彫物大工」についての説明、2.西洋幾何学、測量技術の流入と工芸への利用、3.西洋作
図でのコンパス利用の装飾工芸への応用、といった観点で説明されていました。特に下絵から材木に移した獅子と牡丹の図柄を、掘り起こす過程についても若干紹介され
ており、欄間とは比べ物にならないほどの奥行のある材を立体的な動的な構図の彫法を完成させているものです。模造とはいえ、制作にあたっては、やはり下絵への依
存は大きな比重を占めているものと、感じました。あいにく、制作者である「小野貴登司」氏は、姿を見せず仕舞いでしたので、お話しを伺うこともかなわ
ず、21日(水)午後の「口頭発表説明会」には、私の都合で会場へ訪ねることが叶わず、話しが聞けません。来年(H29年)4月19日(水)からの「芸大・研究報
告発表展」にも出展予定だそうですから、その際にでもお話しを伺う機会があるやもしれません。

因みに、後日出かけた「国宝・石清水八幡宮」の本殿昇殿参拝の際にも、多くの建物の外壁などに彫物が施されていました。中では「左甚五郎」の彫物については説
明を受けましたが、他の彫物については、詳しい説明を受けず仕舞いだったのが、残念でした。







東博「小林斗盦・篆刻展」  
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1825


東博・東洋館8室は、東洋館の4階にあるのですが、以前にも行きつかず迷ったことがありましたが、今回もまたエレベーターに4階が無く、5階で降りた
が、4階8室がすぐに見当たらず、フロアをぐるっと巡ってしまいました。他のフロアと同様に入館者は少なく、閑散とした会場は、静かな冷えた空気が漂っている感じ
でした。あまり詳しくない文化・芸術の世界ということもあり、最初はあまり熱心に観て廻る感じがしなかったのですが、最初の作品を観た時から、「なんだ、これ
は!」と驚きの眼を見張りました。小林斗盦は、今年生誕100年を迎えた芸術家でした。小さな石材、玉材に彫り込まれた「印」の数は、ガラスケースに置かれていな
がら見過ごすほどの小さなものまで、100個近い数を数えるほどでした。大小の印、印の薄茶色にしっとりと輝く鈍い光沢感と、小さいにもかかわらず重量感を感じさ
せるものは、単に四角いだけのものではないのです。陰影が丸かったり、四角かったり、白い地色の台紙に朱色が際立った、その単純さに関心を覚えました。彫る印
面は文字を逆に彫り現わし、その一画毎の彫り線の、端正な単純な直線や曲線によって出来た、狭い囲まれた世界が、実際の大きさをはるかに超える大きな表現の世界に
なって観えました。文字の配列や字体の変化にも、思いもかけないデザイン性があり、単なる文字ではあるが、小さな空間に詰め込んだ、息を止めて刀に込めた気
概に、思わず息を飲みました。旧蔵の中国の書画や印譜などの展示から、斗盦氏の熱心で地道な研究や蒐集に、敬意を表するとともに、篆刻の世界に奥深いものを感じま
した。このような篆刻の世界は、気の短い私の性格では、一つとしてまともな作品なぞ出来ないだろうと、つくづく感じてしまいました。今回は何故か急に疲れ
の出た、展覧会の鑑賞でした。






次回は、12月17日~18日の「石清水八幡宮本殿昇殿拝観」他をレポートする予定です。

寒さ厳しき折、ご自愛ください。





2016年12月21日 Tak