孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Kanさんの観仏記を お送り頂きましたので、此処に転掲載ます。

メンバーの Kanさんから Eメールにて、寄稿文を 送ってくれました。 ご許可が得られましたので 此処に 転掲載させて頂きます。


以下Kanさんの文章です!

夏休みが終わりました。観仏記出来上がったので送ります。同行予定だったものの行けなかった方々・・・、残念!きれいな仏像でした。


2016.8.1720 広島観仏記


出発前数日間、関東地方はぐずつき気味の天気だった。8/17日朝410分の起床時は曇天だったのが出発直前になっていきなり大粒の雨。慌ててレインポンチョを着たり、傘を出したりしていたら乗車予定の地下鉄に乗り遅れてしまった。次の電車でも十分間に合うので全然焦らなかったが、新幹線改札口を入って何番線か見るために切符を出したら、乗車するのぞみ7号は650分発で、あと10分しかない。最近7時発の新幹線に乗る事が多いので勘違いしてしまい、同行のOTさんに心配を掛けてしまった。


 


8/17(木)


大願寺 宮島行フェリーが出る宮島口駅まで乗車しても料金は広島駅までと同じという、優れものの乗車券のおかげでOTさんが長年にわたり行きたかった宮島に無事到着。交番で道を聞くと、厳島神社境内を通った方が近いらしいが、先に厳島神社を見ていては大願寺の予約時間に間に合わないと思い大回りをする。


 


大願寺は厳島神社の出口と目と鼻の先にある。山門を入った右手に平成18年に再建された護摩堂があり、その時開眼供養された白檀製丈六の不動明王が安置されている。テレビで白檀を張り合わせて丈六にしたと言っていた記憶がある。


本堂には「入堂拝観お断り」の札があるが、事前に電話でお願いしてあったので中に入れて頂けた。藤原時代の薬師如来坐像鎌倉時代の釈迦如来坐像、阿難尊者立像、迦葉尊者立像が国の重文に指定されている。中でも歯を見せ、イヤリングを付けている迦葉尊者の姿に引き付けられる。


 


大聖院 大願寺から15分程緩やかに上った先にある。事前に電話で霊宝館に安置されている不動明王像の拝観をお願いしたが、団体さん以外はガラス戸越しの拝観になると断られた。OTさんに連絡すると、「せきどさんのHPには見せて貰えたと書いてあるのにね」と諦め切れない様子。すぐに納得してしまう私も、もう一度挑戦しようと今度は往復はがきでお願いしてみた。すると「内拝は一人500円になりますがよろしければご案内します」との返信を頂いた。あの断りは何なのかと思いながら早速お願いする旨の電話をする。諦めなくて良かった。


 


信者さんから奉納された大般若経筒が手摺の上にある階段を、経筒を回しながら上る。寺務所にご挨拶をすると、若いお坊さんが不動明王だけでは10分位で終わってしまうと波切不動明王像が安置されている勅願堂、観音堂弥勒堂へも案内して下さった。電話で断ったお坊さんのような気がするが、打って変わって親切だった。


観音堂内にはもと厳島神社本地仏だった十一面観音立像が祀られている。平成22年に県の文化財に指定されたとの事。平家納経はこの十一面観音に奉納されたものとの説明があった。このお寺は仁和寺と深い関係があるとも伺った。


 


十一面観音立像のお厨子の前には大きな砂マンダラが描かれていた。2006年、ダライ・ラマ法皇が来寺された時造られたものだそうだ。完成した後は流してしまうのが砂マンダラでは?と伺うと、本当はそうだが残してあるとか。隣の部屋にある弥勒堂にはチベット風の弥勒菩薩坐像が安置され、その前にも観音堂のよりは小さ目の砂マンダラがあった。


 


最後に重文不動明王坐像が安置されている霊宝館に案内して下さった。平安時代中期の堂々とした檜一木造りの不動明王だが、20世紀前半に仁和寺から移された像との事。せきどさんのHPに光背中央部は当初のものと出ていたが、お坊さんは知らなかったのでHPコピーを読んで教えて上げた。


 


今晩7時から盆踊りがあり、お坊さんも三味線を引くとの事。お忙しい日に申し訳なかった。


広島駅に戻ってから、広島風お好み焼きの夕食。広島風お好み焼きには麺が入っているとは全然知らなかった。OTさんは食べきれず、隣のテーブルの高校生の男の子たちに手伝って貰っていた。37℃あっても日陰はカラッとしていたが、夕方になって蒸し暑くなった。これが瀬戸内式気候の夕凪ではないかと思った。


 


8/19(金)
耕三寺 広島駅から山陽本線に乗り、924尾道駅に着く。観光案内所で耕三寺行きのバス停の場所を聞くと耕三寺行きは11時過ぎまでないと言われる。思わず「そんなはずはないんですけど」と言ってしまいOTさんに大うけされる。直通はないけれど、途中で乗り換えれば1110に耕三寺に到着する。観光案内所にはしっかり把握しておいて貰いたいものだ。
耕三寺の入館料はシニアでも1200円(一般は1400円)と少々高いがまるでテーマパークのような所だった。エレベーターで上る、未来心(みらいしん)の丘と言うイタリア製白大理石のモニュメントが並ぶ庭園は、寺院にいる事を忘れさせる景観だった。37℃の晴天の中、周りがすべて白大理石と言う環境はまぶしくて照り返しが暑い。反対に地獄や極楽が再現された千仏洞地獄峡は地下なので涼しく、地獄ではなく極楽だった。室生寺五重塔や日光陽明門を模した建物もある。
目的の博物館は道路の反対側にある。三重神宮寺伝来の重文釈迦如来立像(平安初期)、興福寺伝来の重文釈迦如来坐像(平安後期~鎌倉)、高野山無量寿院伝来の重文浄土曼荼羅刻出龕(平安後期)、伊豆走湯山常行堂本尊とされた快慶作重文宝冠阿弥陀如来坐像(鎌倉)、重文阿弥陀如来立像(鎌倉)など名品が集められている。中でも浄土曼荼羅刻出龕は、高さ17センチ程の白檀一材から刻出された龕の中に、阿弥陀三尊、行道する十人の僧、楽器を奏する菩薩、四天王、仁王、舟に乗る菩薩などが配され見飽きることがなかった。「日本の美術6 檀像」に地の空間が多く、ぎっしりと詰めて構成する唐風とは一線を画する感じがあり、わが国の作かと推定されると載っていた。
博物館近くの「ドルチェ耕三寺店」でデコみかんジェラードを注文。爽やかで美味しかった。OTさんのレモンジェラードも一層爽やかでお薦め。
レンタサイクル店を兼ねた観光案内所で尾道駅行きのバスを待っていると、新潟県柏崎市から来た80代のご夫婦と相席になった。ジパング倶楽部で割引券を購入しての旅行を楽しんでいるとの事。今回は西条市のお孫さんの所に泊まっているとの事だったが、お元気で話好きなご夫婦だった。
広島駅に戻る山陽本線の列車が、真っ赤な車体のラッピングトレインでカープの選手が等身大以上の大きさで印刷されていてびっくりした。また車窓から見える多くの民家の屋根に鴟尾のようなものが付いていると気付くと同時に、ほとんどの屋根瓦が茶色だと気付く。帰ってから調べると、西条盆地の赤瓦民家と言って西条盆地一帯には赤瓦を葺いた白壁の家を多く見ることができ、この地域の特徴的な存在となっていると出ていた。東広島市では、学校や公民館でも積極的に赤瓦を使用するなど、この地域の景観保全に取り組んでいるそうだ。
8/20(土)
龍華寺 今回の旅の最終目的地、世羅町の龍華寺へは広島バスセンターから高速バスで1時間半程、甲山営業所で下車する。私たちは前から2列目に乗ったが、1列目に座った70代半ばとおぼしき世羅高校OB,OGのよくしゃべること。特に大声のOGの方のおかげで成育歴、職歴、家族構成までわかってしまった。OGの方が降り際に「高橋さん(OBの方)のおかげで退屈しなかったわ」と言っていたが、私たちもうるさかったがおかげで退屈しなかった。
龍華寺境内の広さがわからなかったので、荷物を持っての移動は避けたかった。事前にバス会社や県の観光案内所にメールで、コインロッカーか手荷物預かり所があるか問い合わせたがないとのこと。バス会社に昼食を取れる店を聞いたのが当たりで、教えて貰った店に電話したら預かってくれるとの返事で助かった。
龍華寺観音堂には毎年8月20日13時から16時の間だけ開帳される二躯の重文十一面観音立像(平安)が並んで安置されている。そのうちの1躯が桜材一木造りで、堂々としていながら穏やかで美しい。どなたかのブログに出ていた写真のままのお姿だった。そのブログにはカメラ撮影が許されたと書いてあったが、受付の方に双眼鏡で見ても良いかと伺うと双眼鏡は良いがカメラは駄目との事だった。受付の方の考え方次第なのかなと思った。5人の僧侶が各お堂を廻って読経していたが、年1回
の開帳を感じさせる緊張感があった。
           
昭和10年修理の際、背刳りの蓋板を外したところ、内刳り内部に紙の捻り包みがあり、中に麻布に包んだ延喜通宝十枚が納められていた。これにより像の製作年代が延喜七年(907)頃から数年の間とわかった。修理前には、内部に金の仏像が入っていると言われていたらしい。
拝観している方の一人が、参道の途中にある大田庄(おおたのしょう)歴史館で光背は当初のものと聞いたと話していたが、Mさんに頂いた資料に依ると後補になっている。私たちも光背の形状から絶対に後補と思い、帰りに大田庄歴史館に寄りそれとなく伺ったが、明確な答えはなかった。


甲山営業所から再びバスに乗り、尾道駅へ。JR山陽本線福山駅に出てから新幹線で帰京する。東京に戻ったら大雨が降った痕跡が残っていたが、広島は三日間とも快晴で充実した旅だった。


 


                      KN