孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

6月18日(土)に 東博法隆寺館でのツアーガイド に参加しました。

特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」も間近でして、それに関連して、飛鳥時代の仏像、特に半跏思唯像を再認したくて、昨日 東京国立博物館 法隆寺宝物館ガイドに行ってきました。何度か参加の11室のボランティアガイドのギャラリートーク同様の形式でした。
特段には特別展「ほほえみの御仏―二つの半跏思惟像―」の絡みの話題は在りませんでした。法隆寺献納 48体仏と呼ばれる小金銅仏に関しては特段新知の事柄は無かったのですが、普段気に留めない出来た、金工の灌頂幡と、水瓶、柄香炉、文房具(墨台・ 水滴・匙 )、海磯鏡 について解説を受けました。特に印象に残りましたを紹介します。


【国宝 灌頂幡】

国宝                                 

指定名称:金銅灌頂幡
1具
銅製透彫鍍金
全長約510.0 天蓋方65.0 幡身74.5~82.6 幅32.7~33.5
飛鳥時代・7世紀
東京国立博物館
N-58

飛鳥時代・7世紀 古代の幡の多くは染織品であった。この灌頂幡は「法隆寺献納宝物」を代表する名品で、見事な透彫で如来や天人、雲、唐草文などを表した金銅板で、大幡は天蓋中央から吊り下げ、6枚からなる。それぞれを蝶番(ちょうつがい)で連ね、当初は下端に染織幡と同じく布製の幡足が垂れていたと推定され、その全長は10メートルにおよぶ。 天蓋、大幡ともに、雲の中で楽器を奏で、華や香などを献じる天人が配されるほか、大幡には周縁に忍冬唐草文の帯が透彫でめぐらされている。また大幡最上部の1枚には、如来とその両脇に従う菩薩の如来三尊像が透彫されている。
灌頂とは頭に水を注ぎ、仏の弟子としてある位に昇ったことを証する儀式。灌頂幡には、灌頂を受けることと同様な功徳があると考えられたのではないか、とされている。  
      



【国宝 龍首水瓶】

国宝
指定名称:金銀鍍龍首水瓶
1口
銀製鍍金・鍍銀
高49.9径18.9
飛鳥時代・7世紀
東京国立博物館
N-243 
法隆寺に伝わった水差し。明治11年(1878)、法隆寺から皇室に献納された「法隆寺献納宝物」(現在は国有、東京国立博物館に収蔵)の一つ。このような長い首と下にふくらむ胴に把手を取り付けた器形は、ササン朝ペルシャに源流をもち、一般に「胡瓶(こへい)」と呼ばれる。かつて銀製と考えられ、「銀龍首胡瓶(ぎんりゅうしゅこへい)」として国宝に指定されたが、鋳造した銅器に金、銀をメッキしたものとわかった。
 いかめしい顔の龍頭が注口、細い龍身が把手となり、蝶番(ちょうつがい)で把手に留めた龍の上顎が蓋となっている。角を押すと蓋が開き、片手でも注ぐことができる。龍の眼には薄緑色のガラスがはめてある。全体に薄手に作られた胴部には、向かい合う2組の有翼の天馬(ペガサス)4頭を毛彫(細い線刻)し、金メッキで浮き立たせている。注口の部分、胴、台脚は別々に鋳られ、首と胴は轆轤(ろくろ)仕上げされている。
 ペルシャの天馬、中国の龍という東西の伝統的なモチーフを組み合わせ、器形も文様も力強い躍動感にあふれた優品である。唐時代中国の作と考えられてきたが、龍の造形や毛彫の手法などから、7世紀の日本製とする見方が強くなっている。


【国宝 鵲尾形柄香炉(じゃくびがたえごうろ)  】

 http://www.tnm.jp/uploads/r_collection/M_73.jpg        「鵲」の画像検索結果  
1柄
鍮石鍛製鍍金  (鍮石鍛製:真鍮製)                   鵲(カササギ
全長39.0 炉口径13.3 高10.2
7世紀
国宝 N280
柄端の形が,鵲(カササギ)の尾に似ることからこの名がある。外縁を付けた深底の火炉,二重の花形座,柄頭の半球形金具,波形を呈する柄の握り等,鍛造製の大振りで簡素な造形は,鵲尾形柄香炉のなかでも古様なことを示す。聖徳太子の師,慧慈法師所用との寺伝がある。
法隆寺献納宝物


  
【国宝 墨台(金銅墨床)】 1基唐または奈良時代・8世紀N-80
見ただけで何だかわかりましたか?私も初見の時は キャプションを見るまで、何に使うか分かりませんでした。



【海磯鏡(かいききょう)】

1面
白銅鋳製
径46.65 縁厚1.68
唐時代または奈良時代
8世紀
国宝
N74
法隆寺献納宝物



列品番号N74とN75ともに光明皇后が、天平8年(736)2月22日の聖徳太子の忌日に法隆寺に奉納したものです。同じような大きな鏡が2面在るのは多くの来館者が気が付かれている様ですが、ボランティアガイドさんの解説では背面模様の飛ぶ鳥の数が違うと説明してました。

その2面の鏡の径はわずかに異なるが、鏡背の文様は、鈕(ちゅう つまみ)周辺の波紋の有無を除いて両者酷似しており、四方に配した山岳には樹林、岩に坐る人物、獅子と鹿、鳥を、波間には舟上の釣り人などを表した中国風のものである。
 しかし両者が同じ鋳型で造られたか、別々の鋳型であったかには議論があって決定していない。また、製作地についても日本で中国の鏡を手本に鋳造した倣製鏡(ぼうせいきょう)の一種とする考えもある。

多くの古鏡が青銅製でありますが、この2鏡は白銅(はくどう)で鋳造した大型鏡です。白銅は青銅より錫を多く含み、より硬く白い。とのキャプションで、古鏡はそいう割れやすくないはずなのに、N75の方が割れているのだと合点が行きました。

鏡の上下も分わかりづらい上に良く似ているので、N74とN75の判別は しにくいのですが・・・、N24とN25と思われますもので、模様が見えている大きな写真を並べておきました。ご興味の方は N74とN75の相違を探ってみてください。






【水瓶・浄瓶】

水瓶(すいびょう) 


 
聖徳太子の王子が所用したとの伝承から,王子形と称される水瓶の一つ。本体は,細長い頸と卵形の胴および高台を一鋳とし,底に別板をはめる。蓋には宝珠形の紐が付く。


仙盞形水瓶 せんざんがたすいびょう ・浄瓶(じょうへい)

細長い頸の上部に尖台をのせ,卵形の胴に口と高台を付けた仙蓋形と通称され
1口
響銅鋳製
全高33.2 胴径14.0
飛鳥~奈良時代
7-8世紀
重文
N245
法隆寺献納宝物    

先に【国宝 龍首水瓶】をご紹介しましたが、他にも水瓶が在るN-246~N-253のを強いてはいましたがそれらの名称はキャプションでは水瓶でしたが、N247の解説を読みますと、聖徳太子の王子が所用したとの伝承から,王子形と称される水瓶と在りました。N245は水瓶と区別が付かないでいましたが、このブログを書くにあたり調べました処、何と水瓶でなしに浄瓶(じょうへい)  との事でした、浄瓶とは、本来、浄らかな水を容れる水瓶という意味で、特定の形式の水瓶を示す言葉 ではなかった野ですが、いつの頃からか、胴の肩に受け口が付き、頸の上方に 細長い口が備わる形式の水瓶を指す形式名称として用いられるようになった。との事です。驚いた事にその使用方法は薬缶や急須のよう頭頂から注水するのでなしに、胴の肩についた口から水を入れ、頂部の細長い口から直接水を飲むという、特殊な用法の器である。と知りました。
またキャプションに在る響銅製鋳造の響銅とは 銅合金の一。鉛・錫(すず)、ときに少量の銀を加えたもでした。仏壇の高級な鈴に聴くサハリ(響銅/胡銅器)と同じらしいです。それを思いますと響銅とは合点が行きます。


これら水瓶の数え方(助数詞)はキャプションに1口 と在ります。また「口」の読み方ですが、コウで良いのでしょうか?クなのでしょうか? ちなみに刀の助数詞も「口」でして、その読み方は振り・コウ・クとも読みます。難しいですね!

この辺で終わりましよう、最後に当館の正倉院宝物の宣伝をしますと・・・、明治11年(1878)に奈良・法隆寺から皇室に献納され、戦後国に移管された宝物300件あまりを収蔵・展示しています。これらの文化財は、正倉院宝物と双璧をなす古代美術のコレクションとして高い評価を受けていますが、正倉院宝物が8世紀の作品が中心であるのに対して、それよりも一時代古い7世紀の宝物が数多く含まれていることが大きな特色です。

と在り、通常,斯様に軽便に鑑賞できるは、甚だ幸せと考えるべきでしょう、 ボランティアガイドは 彫刻のそれと同様に毎月2階あります、ちなみに7月は1日(金)と16日(土)で共に15:00~15:40です

法隆寺宝物館ガイド(7月)

展示室の主な作品について、はじめての方にもわかりやすく解説を行います。
 
7月の日程
7月  1日(金)
7月16日(土)
15:00~15:40
15:00~15:40
 
法隆寺宝物館
解説者
当館ボランティア
集合場所・時刻
法隆寺宝物館1階 エントランス 15:00に集合