孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

【上】奈良学文化講座「再考・薬師寺の塔と仏像」


2月1日奈良学文化講座「再考・薬師寺の塔と仏像」

A「双塔伽藍の系譜ーなぜ塔が二つあるのか」上原真人京大大学院教授とB「薬師寺の仏像ー祈りのかたち」長岡龍作東北大大学院教授の講演を受講しました。

薬師寺の東塔が解体修理中の為の塔と薬師寺の仏像とのテーマの講演でした。

Aは薬師寺の三重塔の限定のお話ではなしに、この寺が双塔の伽藍配置の最古のものに端を発しての双塔伽藍の形式の話でして、序説に中国と朝鮮での伽藍の概要に触れ、多くは日本古代寺院の伽藍配置の系譜の講義でした。古建築、伽藍には門外漢で造詣は ないので、論評は出来ないのですが、 取り立てて新たな主張はなく、概ね以前からの学説の様な気がしました。

配布資料の双塔伽藍の一覧表は40余例が挙げられて、伽藍型式は当然ながら、L:塔心々距離、H:引き通しから金堂心までの距離、H/L:塔心々と金堂心を結んだ三角形の相似と度などの研究資料には感心しました。

概ね、伽藍形式変遷の講義には目新しい物は無く、副題のーなぜ塔が二つあるのか については合点する論旨が薄い様に感じられました。

勉強に成りました論調は、塔が回廊の外に追いやられる後世の伽藍配置の以前から、既に金堂の方が重んじられ、進行順序として、塔よりまず先に、金堂の方が作られたとの事柄でした。

インドでは仏像信仰より舎利信仰の方が先行での知識に幻惑されてか、飛鳥寺四天王寺伽藍配置では、塔(仏舎利)が金堂(仏像)よりも同等か優先との思いが在りましたが、実最では塔よりも金堂が重要視されてか、先に建てられた歴史事実が在るそうです。

そう考えますと、仏教公伝時には、仏像と経典がもたらされ、多しかその時には舎利は無かったと思います。 で、日本では仏教伝来時から、すでに仏像の方が重んじられていた傾向の様に思えるのと 符合している気がしました。

そして興味の双塔の例に、同一伽藍に願主が相違の複数の塔もあるは納得いくも・・・、双塔発生の論拠として、それやインド方面の寺院の仏舎利塔の複数併存に例を挙げ、造塔が功徳の為の善行なのは合点が行きますが、その事や、『無垢浄光大陀羅尼経』に基づく陀羅尼経を納める百万塔にも関連との論説には、いささか腑に落ちない気がします。

金堂の後に講堂がの配置にそれらよりも高く細い塔は双塔の最初の例の薬師寺の伽藍配置を見るに、シンメトリー デザイン的に この配置はとても落ち着くように感じます。 こじ付け的ですが 薬師寺の三尊像の如くの、坐像の本尊に立像の脇侍的な落ち着きが在るように思えますが如何でしょう?

伽藍配置は時代が進むにつれ塔が回廊の外側に出されますが、その場合 東大寺式配置の他は思い当たりません。この様に配置設計の洗練の理由のように私には思えます。

それと、統一新羅の双塔伽藍の提示もありましたように、朝鮮でも同じく、シンメトリー デザイン的に発展してきた双塔伽藍なのではと思いました。

ただ塔が外郭に外れて行く理由は 仏像(金堂)偏重の傾向との思いだったのですが、講師の挙げたその理由の一つに塔は高さと相輪を持つ故に落雷しやすいので外郭へは、それだけではないでしょうが、理由の一つとして実に納得でした。

此の講演で初めて知ったメインの事は、東塔の心礎は柱座や舎利孔が確認されず 、西塔と異なる石材の不定型な礎石であるという事でした。

帰宅後にこの事をネットで調べましたら、なんとこの2月26日発表されたばかりの「国宝薬師寺東塔保存修理事業にともなう発掘調査記者発表」の数日前のホットニュースだったのですね!


B「薬師寺の仏像ー祈りのかたち」長岡龍作東北大大学院教授の講演は次の日記にします。 .