孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

2/7 「仏像愛好の集in東博」 勉強会

毎月、第一土曜定例の 「仏像愛好の集in東博」は7日に行われました。

前の日記にて 午前中の鑑賞会を報告しました。 今回は午後の勉強会を報告させて頂きます。

総合文化展11室(彫刻室)と特別展「みちのくの仏像」との2班に分かれて鑑賞の後、また合流して東洋館に向かいました。

前日にBS日テレで「ぶらぶら美術館」の放送で東博の「みちのくの仏像展」と法隆寺館と東洋館のそれぞれの仏像を案内する番組が放送さまして、私を含め何人かも観ていたので、私達も東洋館も鑑賞しました。

もうこのメンバーは何度も東洋館にも来ているので、本日初回参集の方と数人の方には同館1Fと2Fにて、インドでの仏教彫刻の黎明の解説をしました。

仏教も最初から仏像が信仰の対象でなしに、最初は舎利信仰だったこと、その礼拝の場所、ストゥーパ(仏塔)に釈迦の伝記を現したレリーフ彫刻がされ、その当初は釈迦の姿を其のまま表現せずに、宝座や菩提樹などの象徴物で存在を表現して、やがてその象徴物を釈迦の姿に作るようになり、それが仏像の最初でしたの話や、ウェーブ髪の髷姿から螺髪に肉髻へなど、黎明期の仏像の進化の説明をごく簡単にさせて頂きました。

その後 東洋館ラウンジにて談笑しながら弁当をとりまして、東博を出て、門前からのTAXなどにて、当日の勉強会会場の台東区生涯教育会館に向かいました。
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勉強会はまず。Kaさんの 拝観ツアーの参加者募集から始まりました。募集内容は 前の日記に別途掲載しました。

続いてのフリートーキングはMCが進行が拙く、特段のご希望・ご意見は引き出せませんでした。 次回の勉強会には、冒頭に、 皆さんのこの「集」に対して、忌憚ないご意見を頂きたいと存じます。また匿名でも結構ですのでコメント等でご意見ご希望をお寄せ下さい。

孤思庵が 昨年末の仏像関係の展覧会を見ての気に成りましたを発表させて頂きました。
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「日本の国宝展」では、法隆寺金堂の広目天、頭部は冠に隠れて気づき難いがその髻は、【単髻】髪を頭頂部で一まとめにし根元を紐で結んだ形で団子状に見えます、 これは百済観音に共通します。

続く【双髻】左右2ケ所で結ったもので、髻が2つあるの形。左右がくついているものは 中宮寺の半跏思唯像。当麻寺乾漆像の四天王になると【三山髻】単髻を三条に分け、三つの山型に形づけたもの原型になってます。 以降、天部と菩薩の主流で、鎌倉期の【高髻】垂髻の上部の結び位置を高くとり、髻の高さを高くした形 へと繋がってゆきます。参照ウエブwww10.ocn.ne.jp/~seihou/art/kouza/008.html

一番驚いたのは法隆寺の救世観音の頭頂では、何と尖りぎみの独特の円頂で髻は無いのです。 ついでにこの像の火焔宝珠蓮台とそれを持つ左手の親指腹との間には小さい球が在り、木像乍ら金銅仏の湯導(流路 )が写されています。両足の脇も向こうに貫通して居なく鋳造的様式を移していて、雛型を小金銅仏に求めた事を想像させます。

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高野山の名宝展」では、快慶の広目天の周辺として、高野山新所がその名「専修往生院」の示す通りの、阿弥陀信仰での相互看取のホスピス的だったことや、八大童子の本尊不動像は不動堂の創建者 行勝上人になぞらえ、その眷属を行勝の世話をしていた人達をモデルにしたので、願成就院の矜羯羅、制多迦の両童子の非人間的と相異の人間的表現になっているのではとの同展の記念講演会Ⅱ「高野山と運慶・快慶」における講師山本勉氏の推論に感心した旨の話をしました。尚 高野山八大童子に眷属にしては珍しい耳朶環が開けられているのには、人間的すぎるのの修正で非人間の耳朶環が付けられたのではとの自分の推論もご披露しました。

また孔雀明王像に関して、雨乞いの修法の本尊にされるのは、孔雀が雨季の訪れをいち早く鳴いて知らせるからとの理由は好評を得ましたね。
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「-四国遍路と土佐のほとけ-」展では、エイジングの激しい仏像達に、日頃鑑賞の重文指定の仏像には、保存、修理の手が施されているかを感じ、その仏像達の朽ち果てる原因過程を考察しました。何と言っても表面の朽ちは雨水によるもので、その伝わる水の流れで、裳は荒れるも、その裳が廂(ひさし)の代わりと成り、その下の脚部を守り 比較的に原状を守っていると云えることや、修理されて居ない漆箔像の未修理の下地も剥離の木部に残る鑿目の粗さに、今日の素木像の様子に。、もっと丁寧な仕上げがあるものと思い込んでいましたが、木彫の上に、下地 を含めた漆を塗るので、木像表面の仕上げの程度はある程度で良い事を思い知らされたました。 

斯様にて、修理された展示仏像を観ての観察では解らない事が多いのを感じ、つくづく仏像を触れない身の限界を感じる。その旨を訴えました。

もう配給時間に成りましたので、残る「みちのくの仏像」展はまたの機会に譲りまして自分の発表を終えました。

続いてMさんの発表に移り、 快慶・行快のこれまでの講義の 捕捉的をされましたが、上手に その要約説明の能力を持ち合わせませんので、此処へのコメント等で、ご本人に投稿を頂いてにしたく思います。

そして5時の勉強会終了後には 定例化してます懇親会が同じ建物に在る中華ファミレス「バーミアン」に7名ほどでしたかで集い談笑が8時頃まででしたか続きました。


【寄せられましたコメント ご紹介】

Mです。
2/7の報告は快慶・行快にとどまらず、過去に説明した奈良仏師・慶派仏師に関する内容の補足です。

湛慶周辺の作という説がある高知県須崎市上分大日堂の大日如来、康慶周辺の作という説がある浄瑠璃寺大日如来興福寺西金堂の運慶作仏頭、行快の法眼叙任理由と千本釈迦堂本尊の造立年代、東北地方の勝常寺・黒石寺薬師如来の構造、東大寺中性院弥勒菩薩の寄木構造泉涌寺悲田院の快慶作宝冠阿弥陀如来を拝観しての感想や重文指定の見込みの件、金剛寺金堂行快作不動明王と銘文のない降三世明王との作風比較 などです。

金剛寺金堂大日如来と北向山不動院不動明王については時間切れのため後日に。ともに重要作例なので、いずれきちんと話をします。なお、当日配布した金沢文庫研究運慶シンポジウムのコピーは4/4の集いの時にまた使いますので、忘れずに持ってきてください。(光明院の大威徳明王の銘文の説明用資料)削除
2015/2/21(土) 午後 0:45