孤思庵の仏像ブログ

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松濤美術館「醍醐寺展」 報告

【渋谷区立松濤美術館 「御法(みのり)に守られし、醍醐寺」】
期間~11月24日(月・祝)11月5日(水)~一部展示替えを予定。

に10月15日 PM2時集合に、雨の中4名が参集しました。
 
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0c/Shoto_Museum_of_Art_2010.jpg/1280px-Shoto_Museum_of_Art_2010.jpg クリックすると新しいウィンドウで開きます クリックすると新しいウィンドウで開きます http://img6a.smcb.dena.ne.jp/cvt/pst/1/701/3h8ka5i9kqte731000000gocmb52100.jpg/500x500-49152.jpg
初めて訪問の渋谷区立松濤美術館でした。なかなか洒落た美術館でした。存外に33年の歴史を持ち、建物の設計は白井晟一研究所、施行は竹中工務店。紅味を帯びた韓国産の花崗岩(紅雲石)の外壁にブロンズ製のグリルと化粧垂木、銅板葺きの屋根からなる。建物中央に噴水のある外部吹抜を展示室が円形に囲む。区立としては標準単価のほぼ倍の予算だそうです。

今年初めにりリニューアルし、その記念特別展の一つがこの「御法(みのり)に守られし、醍醐寺」だそうです。
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ウェブの何処を探しても出品リストが在りませんで、仏像がもう少し出ているかと期待したのですが、霊宝館の 重文 不動明王坐像(五大明王像の内)だけでした。写真パネル展示も建築ばかりで仏像は皆無でした、奈良博で7月から9月に行われた特別展「醍醐寺のすべて」には薬師如来及両脇侍像(旧上醍醐薬師堂安置)・弥勒菩薩坐像 快慶作(三宝院本堂安置)・如意輪観音坐像他が陳列されて居たのとは、えらい違いです。

唯一陳列仏像の重文 不動明王坐像(霊宝館 五大明王像の内)を鑑賞しました。
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五大明王像の内の中尊で、五大明王すべてに通じるのですが、漫画チックに見えます。とにかくこれらの群像に似る仏像は無いと思います。

頭躰の根幹部を檜の一材から木取りし背面から内刳りをほどこした彩色、等身大像です。平安時代初期と言っても、十世紀にはいっての一木彫と見られています。 顔から受ける印象にあいまって、五大尊ともに身体に柔らかさを感じます。中でも特に この不動は肥満度が高く 行者の残飯(煩悩)を食らって肥満に相応しく思えます。
また写実から離れ、整理され 等間隔にの衣文、それは浅目で穏やかさがみえますが、私にはまだ藤原時代の見極めは定朝様の典型の如来像しか付きにくく、見つけました、この明王像の「十世紀にはいっての作と見られているのだろう」との識者の根拠がまだ良く解りません。
十世紀は定朝様の完成への過渡期と捉えて良いのでしょうか、最近この辺の難しさを改めて感じ始めました。定朝のピークは解りますし、それからの踏襲と形骸化は解りますが、定朝様の完成過渡はそれよりずっと難しいように思えて来ました。 改めて勉強したく思います。
 
さて、お顔は、大きく眼を見開く激怒の表情なのですが、恐ろしさが現実身を帯びないのです。作者を阿闍梨とする説もあるらしいのですが、しかしそのプロポーションに破綻は無いです。

五大尊とも、きわめて個性的な顔を持つ群像でして、一度観れば、忘られ無い像ですが 半面、その時代的が判別しにくいと 私には思えました。


話を移します。同行鑑賞の一人が、今まで気付かなかった発見をされました。臂釧の上に2センチ角ほどの四角で5ミリほどの出っ張りをみつけました。
そこで反対側の上腕も見てみました処、等同の様でした。一木造りと云えども、それは頭体が一体ならばそう呼ぶのでして、大抵は腕は別製したものを肩部で取り付けます。その際の補助的に差し込まれたホゾ繋ぎではないかと思いました。(ホゾとは 二つの材を接合するために、一方の材につくられる突起。 もう一方の材には、突起が納まる形状のホゾ穴が加工される。) 
 
二か所のホゾですので回転の問題の無い、立像の足裏のホゾと蓮台の蓮肉のほぞ穴は長方形です。足裏の面積の最大が取れるからでしょう・・それは納得なのですが、腕の軸に丸ホゾ穴と掌のホゾは疑問です。何故双方を四角にしないのでしょう? どなたかお教え願います。


思いますに 手の取り付け時には、かえって回転さすことで微調整が出来る。その事が必要なのでは無いでしょうか?
立像の足裏の長方形のホゾと蓮台の蓮肉のほぞ穴は、微調整の問題は無いのですが・・・
腕は表現に関係してきますので、取り付けてから様子を見て回転させ最適の向きを探る必要があるのではないでしょうか?
 
この辺は実際に彫刻を実践される方に御質問させて頂きたい、問題のように思うのです、どなたかお答え頂けませんでしょうか?
 
 

松濤美術館 「御法(みのり)に守られし、醍醐寺」の陳列内容の事に戻ります。奈良博と区立美術館 で比較にならないのは当然かもしれませんが、仏像が一躯だけは寂しいです。一方、仏画は16幅と比較的多かったです。やむなく仏画を丁寧に見ました。

仏像では寺院から離されますと単独と成りその背景やシュチエーション(状況とか状態とか立場)が伴いません。一方仏画ですと尊像の背景や状況を描けています。 衆合来迎図が良い例です。

また単独尊図にしても天蓋が付くなど状態を示しています。また あるものは曼荼羅だったり、曼荼羅様の単独像図も在りました。一々を説明したいのですが文字制限と、読む側の労を思い止めておきましょう。

この展示には白描図も多く これは仏像の設計図? 又は仏の図鑑なのでしょうか、展示にも、白描図がありまして、あるものには ほんの少しの一筆だけの着色のあるもの、また他では、着色の代わりに文字で色名を記すものもありました。
肉身部には肉白色と在りました、それは薄い肌色なのでしょう。禽獣座の馬には 眼黄色と在りました、おそらく自然動物の馬でなしに 神獣の金色の瞳枠を意味しているのではないでしょうか?

http://www.shoto-museum.jp/05_exhibition/img/img148ec2416_1.jpg
同展覧会の目玉陳列を忘れました。 国宝 ≪過去現在絵因果経≫でして世界最古の絵巻 で15m36cmもあるそうです。期間により陳列の部分を替えるようです。

過去現在絵因果経は上段下段に別れていて 上段が本生譚(釈迦が前世にまだ修行者であった頃の説話をまとめた物語)で、下段が仏伝(仏教説話図のうち釈尊の 出生直前から涅槃 直後までの事績を表現したもの)でして、当日の陳列は下段の仏伝の方でした。

上部の絵は割と簡素で簡単に書かれてまして、下の段に漢字ばかりで仏伝の内容が書かれているのですが、読めるはずもないのですが、皆で、絵を頼りに少しでも分かる文を拾い探し読みました。 仏伝を少し知っていますのとキャプションに助けられそれが出来まして、展示部は最後まで時間をかけて鑑賞しました。


その他 図像文献もありまして その文字部分を読める字などを拾い読みするなど、大きな展覧会ではできない事で、 同展の殆ど観客いない状態ならではの楽しみをしました、そして閉館の5時まで3時間も居てましで、いささか疲れました。

三階にはすごく大きな豪勢な革張りのソファーはありまして、掛けますと殆ど寝た状態となります。で疲れた体を優しく抱いてもらう感で、良かったです。おそらくクッションはスモールフェザーなのではないでしょうか? 一般が自由に掛けられるソファーでは最高級品の部類と思います。
http://www.rebotech.com/img/tdsphoto02.jpg
 

此方は門外ですが、能書家の作品も出てまして、三筆からは空海、三跡からは小野 道風、あと一人の能書家は忘れてしまいました。
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それよりも、いづれもが国宝指定の 織田信長黒印状(天下布武印押印)・豊臣秀吉書状・徳川家康書状 も在りました。


入場料シニア 500円の割りには 楽しめたと思いますが、参集の皆さんは如何でしたか?

一人を除いて三人は、例によってちょいと一杯の懇親会を8時ごろまででした。
 
 
【追記】古刹拝観も博物館鑑賞も 独りが良いとの向きもお在りでしょうが、私はグループ鑑賞派です。 その時は、信仰心よりも鑑賞に重きを置いているようです。
 
この頃は歳のせいでしょうか 思う言葉がなかなか出て来ません。この日の鑑賞でも、展示に関したことでの言葉が出て来ませんでした。 多くの頭を持った竜神のを見ました時、多頭の竜の元に成って居るのはインドのナーガ(ナーガ ラージャ)ではと言いたい時に、その「ナーガ一」と云う名称が出て来ませんで、また一緒にいた3人も、ど忘れ的で出化来ませんで・・・エート何だっけ?・・・  ラージャでなしに・・と私 するとその音に近いで、脇の女史が「ナーガ」ょと思い出してくれました。本に三人寄って文殊ならずのようやく1人前でした。
 
先の文中の、私は気付かず見落としていた不動明王の腕のホゾと思われる四角い出っ張りの発見も私でなしに他のメンバーでした。
そしてその考察・推察も皆でしました。そんな訳で勉強の面では独り鑑賞より、グループのそれ方が有利と思って居ます。 但し あくまでも周囲の邪魔にならない様に、くれぐれも小声は厳守しなければなりませんですね。