孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

9日に一人で東博へ

昨日9日東博へ一人で出掛けました。台東区に他の用が在ったついでに、東博に寄りました。 「仏像愛好の集in東博」では説明に追われ11室(彫刻室)の陳列をじっくりと観ていな傾向でしたので、改めて一人鑑賞も良いかと思ったものですから・・・
 
 
 
昼に着きましたら、くしくも「博物館でお花見を」企画の一環で「桜で作られた仏像」と題した学芸員のギャラリー トークがあるとの事で、それまで2時間の間があるので、先に別用を済ます事にしました。
 
別用とは過日5日の定例の「仏像愛好の集in東博」は嬉しい事に、徐々に参集の方が増え、過去最高の14名と成りまして、ラウンジの飲食コーナーでの勉強会は集中できないとの声も上がってきましたので、勉強会の会場探しです。この件は別途の日記にて報告します。
 
めぐりんバス利用で、ゆとりある時間に博物館に戻り、11号室のギャラリー トークに参加しました。 仏像ファンに桜ファンも合わさってか100名近くの聴衆と成りました。
 
 丸山士郎学芸員
 
講師は丸山学芸員で、 東洋室長の浅見氏が転勤で京都博物館に行ってしまったので代役との事でした。浅見氏は東博での仏像と云うと、良く担当をされてました。過去にメールで質問をした事が在り、院派、円派、慶派の作風の相違について答えてもらった事も在りますが、仏像台座の蕊らしきものの件の質問に際しては、無しの礫の苦い経験もあります。
 
 
 
陳列番号4 の西大寺如意輪観音菩薩坐像(この頃 半跏像を坐像と表記する、これも坐像と表記されている)の解説でして、
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陳列番号4 西大寺如意輪観音菩薩坐像
 
「博物館でお花見を」企画の一環であるのは、この像の用材がサクラ材である事で、サクラ材が緻密で非常に重い事などや壇像彫刻の事に言及、しめくくりは如意輪観音像の歴史的変容や各著名遺作を紹介、この像も蓮華座の下が岩座の二重台座になっていることから、関連として、石山寺のそれが岩座であることに触れられ、観音の浄土が補陀落山と云う山である事から等を説明された。
 
 
 
 
 
クリックすると新しいウィンドウで開きます列番号5 不動明王立像クリックすると新しいウィンドウで開きます列番号8 不動明王立像
                  (当館蔵 C-1851)                   (当館像 C-1528)
 
因みに隣の陳列番号5(上部画像 左)の(岡野哲策氏寄贈)当館所蔵の不動明王立像もサクラ材との事でした。ここではこの像が大師様不動である事の説明を、今回の列番8の当館所蔵の不動明王立像(上部画像 右)が十九観の不動で、それらには目と口の牙の違いがある事や、観想を重視した天台の僧の考えなどで出た様式となどが説明された。
 
但し 提唱者安然(9世紀末の天台僧)の名や飛鳥寺の絵仏師玄朝の様式などよは出て来ませんでした。天地眼・牙上下出などのキーワードもなしでした。
 
30分の解説の後、例により質問者の輪が丸山氏を囲みましたが、為に成る質疑応答を期待したのですが、的を射た質問は在りませんでした。 私は白檀の代用としてはサクラ材は最も適していると思うに さほど遺作が無いのは、何かデメリット的な訳が在るかと質問しました。回答はサクラは洞(うろ)が多いので人気が無かったのでしょうとの事でした。確かに洞は在るものの・・・小像の用材に向かない理由としては合点がゆきません。
 
ついでに昨今懸案疑問の 「備中法印運慶」とか、仏師の僧綱位の上に国名が付くを見ます。 その国名の付理由・意味を教えてください。
との質問をもせて頂きました。 「僧網位叙位の前の仏師の肩書きに成る事がある講師(こうじ と読む、奈良・平安時代国分寺に設置された上座の僧侶のこと。後に律令制国内の寺院の監督なども行った。)には派遣先の国名が付くのは、講師としての赴任先の意味かと理解出来るが、運慶の事を備中法印と呼んだり、東大寺南大門金剛力士像の史料として取り上げられる、『東大寺別当次第』に南大門金剛力士像の大仏師として備中法橋(湛慶)と越後法橋(定覚)との呼び名も出てきますが、人に聞くところでは、叙位の法印、法眼、法橋の僧網位には国名は付かないとも聞きますが・・・?」と、機会が在り、ある先生に質問しました時の答えは、其処には省略があるとの事でした。正式には備中講師法印と、それが省略されて、僧網位の前に国名(例:備中講師法印)が・・・との事でした。
 
しかるにその答には、疑問とも聞きます。 南都三会の講師を勤めあげた僧「三会已講師」が法印・法眼・法橋などの僧綱位を叙位すると聞きました。それは僧学の場合で、仏師の叙位の場合は相違なのでしょうか?
 
そんな質問もさせて頂きましたが、今回も合点の行く回答はもらえませんでした。(この件、誰か教えてください!)
 
帰って丸山士郎氏の専門を調べてみましたら、最近の論文は「阿修羅立像の梱包技術」・「阿修羅立像梱包箱の防振効果」など博物館学の実技の傾向にあり、文化財保存修復学会に所属されてました。いささか研究方面が違ってました。 失礼をいたしました。
 
自分の博物館年間パスポートの期限が5月半ばと迫ってきてましたので、有効利用と平成館に廻り、特別展「栄西建仁寺」を駆け足で鑑賞しました。
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栄西関係文書の展示は殆ど割愛で、彫刻を中心にと言っても、禅宗寺院なので、今展に仏像はほとんど無しで、頂相(禅僧の肖像画・肖像彫刻)がずらり並んで居ました。
 
 
鎌倉時代のせいもあるでしょうが、肖像彫刻のほとんど全部だったかと思うのですが玉眼でして、その目の輝きを見せるため、玉眼反射用に小さな光源の補助照明が各々付けられてました。
 
過日の小学館主催 【山本勉講演会】 2月2日丸ビルホール 「運慶のまなざしー全作品47体と眼の表現ー」
の論説の主テーマ運慶の玉眼演出の例に出てました興福寺北円堂の無著・世親像の堂内、弥勒彫眼と対照にの無著・世親像の玉眼は、仏と人間を表現を思い出し、頂相で玉眼はさもありなんと感じました。
 
駆け足でしたが今展の目玉的陳列の
 
 
琳派を代表する俵屋宗達の 国宝 風神雷神図屏風
落款、印章はないが、宗達の真筆であることは疑われていない。17世紀前半 宗達最晩年の作とする説が有力 
 
尾形光琳の重文「風神雷神図屏風」を、本館7室「日本美術の流れ」にて[展示期間:2014年4月8日(火)~5月18日(日)]の展示が今あるので比較できます。
 
 
を観て4時に退館しました。 
 
寄る年波 いささか疲れまして、その晩は早寝しました。 おかげで早起きと成りこの日記を早朝から書きました。今日も藝大美術館に「観音の里の祈りとくらし展-びわ湖・長浜のホトケたち-」を二回目の鑑賞にまたも上野に間もなくの9時に家を出ます。午後は江戸東京博物館に特別展「大江戸と洛中」に廻ります。
 
われながら本当に好きですね。ごくろうさんです!