孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

⑥三月度 「仏像愛好の集in東博」(コメント)

 
 
「仏像愛好の集in東博」の座学は、少し前までは 私が喋る事が殆どでした。最近 熱心な研究肌の新規メンバーが御参集いただけるようになり。その方たちにも三月度「仏像愛好の集in東博」では仏像勉強の講師的をして頂きました。

そしてその方々が その勉強会がどう受け取られたかを気になさっているご様子のメールなども頂きました。

そこで前日記⑤で「仏像愛好の集in東博」へのコメントを下さいと願いしましたが、なかなかお寄せいただけません。

同じく前日記⑤で以前のコメントやメールの公開件の可否をお尋ねしましたが、否のご返事は無かったので、承諾頂けたとして、皆様から頂戴した、コメントやメールをご紹介してみます。 《コメント欄では、あまり読んで頂けていないではと懸念致し、此処に日記として、それをご紹介いたします。》

どうぞ これに倣って、今後もご意見お寄せ下さい。ここをSNSのコミュニティ的にしてゆきたいと存じます。


① 三月度 「仏像愛好の集in東博」(神像)報告 に寄せられたコメント


1 Tさん   2014年03月05日 17時09分
仏像好きの「孤思庵」さん こんにちは大盛況で、嬉しい誤算・・・ですね。( ♪ 笑 ♪ )おめでとうございました。団塊の世代が退職になりつつあるこの時期ならではの事ではないでしょうか? もう少ししたら落ち着いてくると思います。私も団塊の世代の最後っぺです。( ♪ 笑 ♪ )

返信コメント
2 仏像好きの「孤思庵」 2014年03月05日 19時38分
Tさん、コメント有難うございます。とても賑やかでしたが、疲れもしました。
博識の方も参加で、内容がアカデミックに成ってきましたが、それで良いのか疑問です。誰もが解る様な話し方をと思います。 どうぞ宜しくお願いします。


4 tさん  2014年03月06日 08時59分
私も神像はもう一つですね
お寺のでも上人像や武士の像なんかは・・・
引かれるのはやはり仏像だな


返信コメント
5 仏像好きの「孤思庵」 2014年03月07日 10時27分
tさん、コメント有難うございます。
神像は見るべきをまだ開眼してませんが、最近に高僧像の評価が変わりました。
その人物の人柄を偲ばせる傑作がある事に気づきました。
筆頭は唐招提寺:鑑真像で、後は鎌倉期に成りますが、無著・世親(興福寺)、重源(東大寺)、叡尊西大寺)、運慶(六波羅蜜寺)同寺の木造僧形坐像(伝・平清盛像)は不気味ですね・・・その辺が素晴らしいと思います。あと強いては、法相六祖像(興福寺)などが好きです。
ネット検索で、画像探してみて一度ご覧ください。ください。
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②三月度 「仏像愛好の集in東博」(獅子と狛犬)報告 に寄せられたコメント

kさん 2014年03月07日 18:22
お写真は犬のようですが、狛犬は神獸なんですよね。
ご参考までに茨城県稲敷市阿波に大杉神社にある狛犬の写真を私のつぶやきに載せておきます。頭には角と宝珠が乗ってますね。
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返信コメント
仏像好きの孤思庵2014年03月07日 19:34
添付画像【左】は奈良・薬師寺の鎮守八幡に安置されていたもので11世紀・木彫りの一対 獅子(向かって左)と狛犬(向かって右)です。
            

画像【中】は広島・吉備津神社の(向かって左・阿形)獅子と(向かって右・吽形)狛犬です。



1 Nさん   2014年03月07日 22時45分
たまたま、他の件で「狛犬」を調べていたら、狛犬の分類の説明がありました。
毛並みの分類で、「江戸流れ」などといったしゃれた名前も出ていました。
一度、整理してみるつもりです。


返信コメント
2 仏像好きの「孤思庵」 2014年03月08日 09時39分
Nさん、コメント有難うございます。「日本全国 獅子・狛犬ものがたり 」なんて言う単行本もあるようですね。
ブログに「獅子形獣を求めて(高句麗百済新羅・高麗時代の獅子形石獣)」てのが在り 中国の異獣の絵もあって面白いですよ!
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③ 三月度 「仏像愛好の集in東博」(勉強会)報告 に寄せられたコメント



Aさん  2014年03月09日 03時28分
仏像ほど時代背景と直結するものはないと考えます。
だから、遣唐使の廃止894年とか、いかに和様が進んだかなどをふくめて考えねばなりません。定朝は急に出てきたわけでなく、定朝様の芽生えの始まりをどこに置くかでで、岩船寺阿弥陀如来946年を指摘する学者が多いです。そして下限を長岳寺の阿弥陀如来座像1151年に起き、学者によりここからを鎌倉仏の始まりとする人もいます。
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画期は学者により違いますが、代表的学者の説を知ってから自分としてどう考えるかということになります。
座像での年表はまず学者の説を知り、自分はどう画期するのかに進む段階で初めて使うものです。
時代背景を説明したレジメは限られた時間で概略を述べたに過ぎませんが、つながることは多く幅の広い問題です。
例えば、弘仁貞観の仏像は怖い顔をしていますが、なぜ怖い顔をしているのでしょうか。
基本的な質問ですが、答えられる人は少ないかもしれません。仏像の理解は本質的なところから進めないとなりません。それが肝心なことを間違えず正しく理解する方法だと思っています。



Mさん 2014/3/8(土) 午後 9:33
ここのところいろいろ忙しくて、コメントを書く時間がないうちに次々と新しいスレッドが立ち上がるので、とりあえずここにまとめて書きます。
コメントはそのテーマのスレッドに書いた方がいいのでしょうか?このブログではコメントを入れてもスレッド自体の位置は更新されない(上に上がって来ない)ので、1週間以上前のスレッドに書いても読まれないままになってしまうのでは?と思い、少し前のことですがここにまとめて書くことにしました。

まず「伊勢の瓶子は酢瓶」ですが、これは不動明王の説明に関係する話ですから、次回の集まりで紙に書いていきます。
仏師名の前につく国名+役職の件は文献があるようなので、手に入ったらそのうち報告します。

★「孤思庵」
多いに関心です。 国名+僧綱位の件は私もたずねまわりましたら、瀬谷さんの御教授(講師が省略されている)は疑問との意見が在りました。私も調べてます。



Mさん 2014/3/9(日) 午前 1:35
次は神像のこと。
私は仏像が好きというよりも、「彫刻史」の研究とか美術品の鑑賞というスタンスなので、仏像も神像も同等に見ています。彫刻史研究では仮面も扱いますが、これはどうもよく分かりません。最近東博の運慶・快慶特集陳列で播磨浄土寺の菩薩面が10面ぐらい出ていて、たまたま仏教芸術に載ったこの面の研究論文のコピーを持っていたので、見比べながらこれは快慶作とか弟子の行快風とか、考えながらじっくり鑑賞できました。仮面をこれほど深く見たのは初めての経験でした。
話が脱線したので神像に戻ります。3/1の展示室では赤穴八幡宮八幡神の眼が玉眼かどうか話題になりましたが、玉眼の神像はあまりないようなので、手持ちの資料で調べてみました。(続く)

★「孤思庵」
私も、金沢文庫に陳列された運慶作の面を写真で見て 作風だけでは運慶と分からないと思いました。http://www1.seaple.icc.ne.jp/setojinja/img/ba.jpg

玉眼の神像のご説明に関心です。 続きに大いに期待です。

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Mさん 2014/3/9(日) 午前 1:59
玉眼の神像は
吉野水分神社玉依姫命(国宝)建長三年(1251)銘

 
②鎌倉荏柄天神社天神坐像(重文)弘長元年(1261)銘
③長野県飯田市鳩ケ嶺八幡宮誉田別尊(重文)弘安十一年(1288)銘
④米国ボストン美術館僧形八幡神 嘉暦三年(1328)銘 康俊作
の4点だけ。無銘の作品でも玉眼の神像は見つかりませんでした。
(②の荏柄天神の立像の方の天神の眼が玉眼か彫眼かは未確認)
③は赤穴八幡宮八幡神と同じ俗体の八幡神です。(毎日新聞社重要文化財」5彫刻Ⅴ 昭和49年 に写真と解説)赤穴八幡宮八幡神と同じぐらいの秀作です。

玉眼入りの神像が鎌倉後期の銘のある作品ばかりというのは何を意味しているのでしょう?仏師が作った本格的な作品ということが共通項のようです。どなたかご意見があればお願いします。

★「孤思庵」
仏師の造像に 玉眼入りが流行ったからなのでしょうか?また寄木の神像はどうなんでしょうね?

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Mさん 2014/3/9(日) 午前 2:30
鎌倉時代の本格的な神像でこの他に思い当たるものは
快慶作 東大寺僧形八幡神(1201銘)
福井県小浜市神宮寺男神・女神像(無銘 先の大神社展に出品)
奈良県桜井市與喜天満宮天神坐像(1259銘)
島根県赤穴八幡宮八幡三神(1326銘)
島根県清水寺摩多羅神(1329銘 昨年重文に指定)
ぐらいです。(いずれも彫眼)

銘のない素朴な作品では鎌倉時代の製作も多いと思いますが、本格的なものは専門仏師の作であり、だいたいは銘記を残している、現存遺品では玉眼と彫眼は半々ぐらいということだけは言えると思います。

★「孤思庵」
大変に参考に成りました。

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Mさん 2014/3/9(日) 午後 4:23
鎌倉荏柄天神社の立像の方の天神(坐像の附として重文指定、南北朝時代)の眼は彫眼でした。(毎日新聞社重要文化財」30補遺 昭和52年)

なお、今回玉眼の神像があるかどうかを調べるのに毎日新聞社重要文化財」の彫刻Ⅴと上記の補遺(昭和49~52年分)と昭和53~平成25年の「月刊文化財」新指定特集号(だいたい毎年6月号)を全て確認しましたので、神像の主要な作品はほぼ網羅していると思います。(県指定以下の物件と外国に流出したものには他に何かあるかもしれませんが。上記の玉眼入り神像4件のうち1つはボストン美術館への流出品です。)

★「孤思庵」
凄い研究熱心ですね、大いに啓蒙されます。 

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Mさん 2014/3/9(日) 午後 4:56
玉眼の話のついでに、3/1の時に話題になった「玉眼を作る専門家はいたか」という件について書きます。

この話題は伊豆願成就院の運慶作阿弥陀如来の眼は現在彫眼であるが、もともとは玉眼だった、浄楽寺までの数年の間に運慶の方針が変わったという通説に対し、狐思庵さんは「彫眼は後世の改造ではなく、造像時に玉眼製作専門仏師が作ったものを見て運慶自身が彫眼に直させたという可能性はないか。東大寺南大門の金剛力士吽形で分かるように運慶は出来上がったものでも、どんどん修正していく仏師である。」という説を出されたことで少し議論になりました。

私もなるほど一つの可能性として面白い話だと思いました。もう少し考えてみます。(続く)

★「孤思庵」
宜しくお願いします。詳細は忘れましたが 玉眼仏師○○との墨跡のある仏像の事を読んだ記憶が在ります。

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Mさん 2014/3/9(日) 午後 4:57
玉眼製作専門家については、当日は「確か醍醐三宝院の快慶作不動明王東京芸大の快慶作大日如来に「御眼工匠○阿弥陀仏」といった玉眼製作者を思わせる記載があったと思う、という話をしたことを覚えています。

帰ってから少し調べたら、同じ快慶作の大阪藤田美術館地蔵菩薩の足枘銘に「開眼行快」とあるのも玉眼製作者であろうと書いてありました。(MUSEUMの山本勉氏論文と日本彫刻史基礎資料集成鎌倉時代造像銘記編)快慶の一番弟子行快が玉眼を分担して作ったというのも面白い話です。この件は次回または快慶の話をする時に紙に書いて説明します。

★「孤思庵」 
私の見た玉眼仏師墨書の記事とは異なりますが、行快が玉眼分担は興味ですね。玉眼専門職が居るのかと想像してました。

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Mさん 2014/3/9(日) 午後 8:37
3/1の時の資料は少し多めに17部ぐらい準備していき、出席者の皆様に回したのですが、遠慮されて取らなかった方がいたのですね。半分ぐらい余っていましたので次回にまた持っていきます。
また、今回初めて行ってだいたいの様子とか出席者の方の興味のある部分やレベルもだいたい分かりましたので、次回は今回の内容で私が伝えたい部分を書いた補足版の資料を持っていきます。運慶周辺の東国武士や熱田大宮司関係などのパトロン系図も入れておくようにします。運慶に限定せず、東大寺法華堂の仏像に関する最新の論争や図書館での資料調査に関するアドバイスなども紙に書いていくようにします。


★「孤思庵」
3/1の時の資料は、私の方まで届きませんでした。では4月参集の時に頂戴致します。
宜しくお願いします。レベルにお合わせ頂いた補足版の資料との事ですので、次回を大いに期待してます。
 
コメントへのコメント 滞りの言い訳は、有意義なコメントは、じっくり読ませて頂こう、それに私としては、皆さんの方のコメントも頂きたくて、遠慮しているうちに・・・、締切のある刀の鞘の修理が入り、其のままに成ってしまい、コメントのコメントが遅れまして、済みませんでした。

 
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Nさん2014/3/11(火) 午後 11:08
いろいろお調べのようで、感心してます。
私のような素人には、何の話でもみんな本当のように
思えてしまいます。


【次日記に続く】