孤思庵の仏像ブログ

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明王の勉強

今度所属の勉強会で明王の勉強があるので、少し予習勉強してみます。
空海が持ってきた密教の尊でして、それ以前の我が国の仏教には存在しませんでした。
 
先ず「明王」という尊格を考えてみますと、「明」は原語でvidyāビドヤーで「知識」「学問」を意味する、密教においては、仏が説いた真実の智慧真言のことを指し、明あるいは明呪と漢訳される。この明・明呪(真言)を身につけた者を持明者と呼び、明王とはその持明者たちの王(rajā)であるとも説明される。
もっと平たく言えば明呪(真言)の功徳を最も顕著にする尊とも言えよう。
 
 明言は出来ないが、この明王、特に不動明王は最も信仰される尊の一つと言えよう。今ひとつの信仰対象の勇の観音は慈悲の姿で判る気がしますが、明王の容姿は怖い、これに人は信仰心を抱く、明王は仏(大日)の智慧の具現、変化、と言われ、またその使者とされる。菩薩の慈悲とは相違の強面、これは良く我子が危険に際しているとき、優しく注意する事なしに、怖い顔で怒っているように、叱る様にである。必死の形相と言われる。愛するものを制止するには優しく居られない、三輪身では如来を真理の当体(自性)で「自性輪身」という。優しく諭す菩薩を「正法輪身」という、そして明王は「教令輪身」といわれ、衆生の済度を徹底するために強剛難化の衆生を忿怒(ふんぬ)相をもって折伏する役割を担うので在ります。(尚、それぞれに輪と付くのはインド起源の神秘的身体論における、物質的な身体にある複数の中枢を指すが、此処では全体を形成するための要素という意味で捉えてよいでしょう、また煩悩を摧破する輪宝(Cakra)のこととした方が判りやすい。)
 
 
自分の為に真剣に言ってくれる人は真に思ってくれる、そんな事が明王が信仰を受ける理由と言えましょう。
 
しこしこの形相は金剛力士、四天王、神将の憤怒とは違う事を意識したい。外的を寄せ付けない前述の武装神ではなく、先に説明の「教令輪身」なのです。神将等が、そのほとんどは、古代インドのバラモン教(古代のヒンドゥー教)の神々が仏教に取り入れられ武装天と成ったに似て、明王はインド、ヒンズー教の神々だったが密教に取り入れられたのです。
 
梵名(サンスクリット語の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護者」を意味し、全体としては「揺るぎなき守護者」の意味であ「不動」とる。我が国で「不動」の尊名は、8世紀前半、菩提流志(ぼだいるし)が漢訳した「不空羂索神変真言経」 に「不動使者」として現れるのが最初である。「使者」とは、大日如来の使者というので ある。
 
今回、要領を得たブログwww.butsugu.co.jp/hudoumyouou.html があったので抜粋紹介します。「無動という漢訳語もあります。また、どっしりとして動かないものというところから、インドでは一般にアチャラといえば山のことを指します。ナータというのは、主人、尊敬に値する人などという意味で、漢語で言えば、尊というあたりが適当かと思われます。げんに、不動尊という呼び方も有ります。
 ただ、厄介なのは、明王にあたるヴィディヤー・ラージャというサンスクリット語が、どういうわけか、不動に連合していないということです。
では、不動明王明王ではないのかといいますと、それはそうともいえません。不動明王は、密教では明らかに明王として扱われていますから、あまり問題ではないというべきでしょう。」とありました。
 
不動の容姿は金剛力士の様にマッチョではなく肥満児なのです。残り物を食べるとされ煩悩を食らう意味もあるらしい、身体は基本的に醜い青黒い色で表現されるが多い。これはどぶ泥の色ともいわれ、煩悩の泥の中において衆生を済度せんことを表しているといわれる。また底哩経などには、身体の色は青黒か赤黄ともある。そして頂は七髷か八葉蓮華、衣は赤土色、右牙を上に出し左牙を外側に出す、というのが一般的とされる。七莎髻は悟りを得るにおいて有用な七つのことがらの七覚分法を転ずると説明されています。莎は、は「菅(すげ)」という草の名前で、これで髪を結うため莎髻と呼ぶ。

大日経疏(だいにちしょ)」によって不動明王の頭頂に「莎髻」を表すことが規定されていました。ところが、これに遅れて漢訳された「摂無礙経(しょうむげきょう)」では「頂蓮」と呼ばれる八葉蓮華を頂くものも現れました。これによって不動明王の頭上には莎髻派(十九観相)と頂蓮派(大師様)二体の造像のスタイルが出来てしまったのだそうです。

七莎髻(紗髷)は不動の身体が童子形に作られるに呼応で、文殊五髻文殊のように童子髷といえないでしょうか?
片方の頂蓮の意味合いは、古代インドの召使の風俗と聞いた事がありましたが、今回は調がつきませんでした。「使者」が召使を連想させての誤解だったのでしょうか?
探していたら、先ほど紹介のアルブログwww.butsugu.co.jp/hudoumyouou.htmの続きに 不動明王は、自ら誓いを立て、如来の召使であり、使い走りでも何でもこなすのである、ともいわれています。また、如来に対してだけではなく、如来とイコールの立場に立ちつつある行者に対しても奉仕し、行者の食べ残しをいただくとも言われています。
 そこで、不動明王は、しばしば不動(無動)如来使といわれています。つまり、如来、とくに大日如来の使者、召使という意味です。
 なお、不動明王は、召使といっても、子供(童子)であるとされています。子供の召使にでもできるような、どんなくだらないことでもきちんとやるということなのでしょうか。ともかく、そういうわけで、不動明王は、子供の体型をしているのです。」と・・・
 
最初からこのブログにヒットすれば良かったですね。なかなか良くしたブログと思います。ご参照あれ!
 
その他不動の装束、持物、台座についても語りたいのですが、既に長く成ってしまっています。今度の勉強会のカッションの時にか、または何時か次の日記にでも書かせて頂きましょう。