孤思庵の仏像ブログ

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生身阿弥陀立像の支え芯棒の 推論から決定に

2012年06月26日00:48
この前の日記を書きまして、如何しても確証が得たく、本日が11時からの11号室のボランティアガイドによるギャラリートークと知っていましたので、出かけました。

50名ほどの参加者でした。幸い見覚えのある彫刻担当ボランティアさんの中で一番詳しい方が本日の説明役でして、とても懇切な解説をされてました。

問題の阿弥陀立像が最初に説明されました。私が気が付いていた蓮肉と足裏の隙間を、ちゃんと説明されました。「来迎」の意味で、前傾姿勢と共に歩みだす姿勢の足の表現と・・・当方が感心の金物心棒のお話しも出まして、直径1センチ程の真鍮の棒が、足ホゾの変わりに像を支えているとの説明でした。

説明会が終るを待って、早速に質問させて頂きました、「真鍮棒は1本 or 2本?」ボランティアさんも そこまでの事前勉強は無かったらしいので、二人で一緒に検証に掛かりました。蓮肉と足裏の隙間に僅かに見え気味の真鍮棒らしきを検証、その1本の位置は中心からは かなり外れているので計2本と推測しました。

その場ではそれで終えたのですが、真鍮棒には疑問が残りました。この棒は造像当初からの金棒ではないのでは?と・・・と申しますのが金銅仏の鍍金前の原像は銅か青銅です。此方はご周知の通り、長い歴史がありますが、一方の真鍮(黄銅)の方は350年~400年ほど前からの量産です。それゆえに造像当初は銅か青銅または鉄の金棒だったのではと推測します。仏像の製作時期の鎌倉時代とはかなりずれています。

小生のもう一つの趣味美術刀剣の、刀装具の教えに象嵌などに使用の真鍮は金色金具といって、今の真鍮の価値観よりはかなり貴重品だったと教わった事があります。こんな処で役立ちました。

真鍮の歴史が浅く、中々量産体制が取れなかった理由は銅と混ぜる亜鉛の沸点が低く、銅の融点の高熱ではすぐに酸化して脆くなってしまうためだそうです。

そのため合金技術進歩するまで時代が掛かったようです。その新な技術に付きましては、自分の分野で無いので自信が無いのですが、おそらく溶解亜鉛を空気と遮断して酸化を防ぐ方法かと思います。