孤思庵の仏像ブログ

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宗教、信仰に 倫理を考える。

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2012年06月20日16:02
 昨今のオウム事件最終指名手配者逮捕の報道に、容疑者高橋のオウム信仰継続報道に関連して関連して、最近オウムの末裔が生き残り、新に活動している事をも知りました。ある報道では大学でインド哲学研究会と言う風な同好会をして、その勧誘の入口としているとの事でした、今の大学生は事件の頃に生まれてまして、オウム事件のことはリアルには知らないのかと思います。 仏教には感心の私は、インド哲学とカルトとの間の、ツールの近距離感にハッとすることも多く、勧誘の入口などの巧妙に、さもありなんとの感を受けます。 因みにこの事件で知られる事となった「サティアン」はサンスクリット語で「真理」の意です。

オウム教団のインド哲学用語を多用に、教義的にもインド哲学・仏教からの借用が在ると想像します。30年近くにもなるでしょうか?ある教団の大きな建設物件受注がらみで在職中の会社の要員確保要請で、ある新興教団の教祖説法会に参加した時に、教説が仏教の八正道に形を借り聖道と呼び、経典は般若心経の極一部を変更のみで、その舞台装置はカトリックのそれにソックリ!幾分の知識を持っていた私はあまりのパクリに苦笑した思い出があります。

他にも、お付き合いで、日本を代表するような、三大、法華経新興宗教団体のそれぞれの集会に行ったこともあります。三つとも、法華経の信仰の他にも、感謝の気持ちを持つ事や、家族の在り方など、殆んど同じに驚きました。

何時に成っても信仰とは、我が国の仏教史の歴史に見るに見る信仰という形態のそれと大きくは変わらないようです。

今も我が国の仏教の大部分を占めます。伝統を有する伝統宗派のいわゆる十三宗も、創世記には皆新興宗教だったのですから・・・。

並列は憚られますが、オウム真理教も、在家法華経新興宗教も、伝統宗派のいわゆる十三宗も、皆同じ信仰という基盤は似ている面が在るのではと思います。

違いはオウム教団は、倫理性に大きな破綻を有した点ではないでしょうか?
一方の伝統宗教にも、社会倫理性に大きな破綻、過ちを犯した事が在ったをご存知でしょうか?

かろうじて戦後の団塊の生まれでして、今の大学生がオウム事件を知らない様に、戦前・戦中の仏教界が戦争協力をした事を知りませんでした。



追先日16日に戦前戦中の日本仏教界が「戦争=大量殺生」を扇動した云々の 講義を受ける機会に恵まれました。


受講して、哲学思索と言えども、社会倫理に適合しない哲学ではいけない事を、誤った社会改革の手先に成りうる危険性と、怖さを痛感致しました。


そこで、その受けてました、仏教の戦争加担テーマの講義内容を抜粋披露したく思います。

東洋大学エクステンション講座 東洋思想への誘い--インド文化・仏教の倫理思想-- 4回目 テーマ『禅に論理はあるか?』を受けました。

 【禅宗の反理論と戦争協力】

①戦争協力の事実
禅教団は植民地似ての布教、従軍僧、募金による軍事物資(最新戦闘機etc)購入、軍隊に寄付信者への戦争協力扇動などを行ったが、未だに、その事への反省、自己批判はあまり行われず、知られていない。

②指導者の扇動
正法眼蔵の吾我をすてろ・・・云々を上長(上官)に服従は直ちに陛下の股肱(手足となって働く)として完全なる兵隊になる・・・

今後も日本文化を活用し、特に正伝の禅を持って国民の心身を鍛成し、大東亜共栄圏建設の推進力たらしめ・・・---沢木興道

大乗戒の精神が分かった人には、直ちに解答が出来る筈であります。それは勿論殺すので在ります。大いに殺すのであります。敵軍をみなごろしにするのであります。善を助け悪を罰しなければならない。但し涙を呑んで殺すので在ります。そこに殺して殺さぬ道理があることを見のがしてはならない。
若し殺すべき悪人を殺さず、討つべき敵軍を討たなかったならば、殺生戒を破ったことになるのであります。これが大乗戒の特色であります。---安谷白雲

 【禅思想の本質】

禅の精神は哲学で、倫理を超えている。現実社会に於いては倫理は必要。

戦争協力は当時の国家からすれば、「善」  一方 不殺生の仏教精神からするなれば、「悪」。この時点では社会情勢からして、全体主義の戦争肯定の方が優先された。

さすれば、先述の仏教界の指導者達の広言も無理ならざることとも思える。生戒を意識の当時、良識の仏教指導者は、せめては沈黙魔ででして、あえて批判する人は居なかったと・・・これは今でこそ責められるが、当時では無理ならざることとも思える。同様のことが芸術界、学会で為されたと思う、宗教人は自己批判が不得手?戦後にはもっと自己批判を為すべきだったのでは?・・・。

自我の否定が当時の全体主義に通じるところがあって、無→無我→自我の否定→全体主義 の道筋を辿り、皇道禅的、大儀礼賛の宗教と成っていたようです。

かように、禅宗は時の政権・軍部に従順でした。「禅」には反骨の思想と言うイメージを持っていた私には意外でした。

しかし、本日の講義の後半で中国の禅の特に「臨済」の考えには傾倒しました。「諸君、勘ちがいしてはいけない、世間のものも、超世間のものも、全て実体はなく、また生起するはずのものでもない、ただ仮の名があるだけだ。しかもその仮の名も空である。(此処までは、皆解思想、この後が凄い)ところが君たちはひたすらその無意味な空名を実在と思いこむ。大間違いだ。たといそんなものがあっても、全て相手次第で変わる境に過ぎない。

(だいぶ禅的になってきた、そして此処からが凄くなる)それ、菩提という境、涅槃という境、解脱という境、三身という境、境地という境、菩薩という境、仏という境があるが、君たちはこういう相手次第の変幻世界に何をもとめようというのか、そればかりでない、一切の仏典はすべて不浄を拭う反古紙だ。仏とはわれわれと同じ空蝉であり、祖師とは年老いた僧侶にすぎない、
君たちこそはちやんと母から生まれた男ではないか。君たちがもし仏を求めたら、仏という魔のとりこに成り、もし祖を求めたら、祖という魔に縛られる。君たちが何か求めるものがあれば苦しみになるばかりだ。あるがままに何もしないでいるのが最もよい。」(入矢義高訳、岩波文庫臨済録』83頁)

 「諸君、まともな見地を得ようと思うならば、人に惑わされてはならぬ、内においても外においても、逢ったものはすぐ殺せ、仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺し。羅漢に逢ったら羅漢を殺し、父母に逢ったら父母を殺し、親類に逢ったら親類を殺し、そうして始めて解脱することが出来、なにものにも束縛されず、自由に突き抜けた生き方ができるのだ。」(同96頁)此処まで来ると、付いてゆきがたくなる・・・・

今までは、鎌倉仏教は、祖師仏教で、本質から派生したものと好まないで来ました。初期仏教、部派仏教に似るも、大乗仏教最後の派生との思いが強く、「禅」も勉強しないで来ました。

この講義にて、俄然に「禅」とりわけ「臨済」に興味です。


今回の講義は、講師がオープン講座との斟酌はせずでして、さような講義をされて、多くの学ぶ事もありで、小気味よかったです。そう思うのも、これまで仏教概論敵な勉強をして来たお蔭ではと思います。何の仏教知識も無しでの受講でしたなら、解かる事は少なかったと思います。


臨済録』の経典はトイレットペーパーに等しく、仏とはわれわれと同じ空蝉であり、祖師とは年老いた僧侶にすぎない、君たちこそはちやんと母から生まれた男ではないか。の件には、今までの概念との相違に驚きましたが、小気味良く感じました。


戦争協力の批判の意味で取り挙げられたのだとは思いますが、祖師とは年老いた僧侶にすぎない、はオウム真理教の尊師と呼ばれた麻原死刑囚にも通じ、考えさせられました。また「なにものにも束縛されず、自由に突き抜けた生き方ができるのだ。」の一節には、スッタニ パータ第3章「犀の角のように独り歩め。」が髣髴としました。

禅が反倫理に陥りやすい理由を勝義諦と世俗諦が安易に混同されるとして、その例として戦争協力で言えば勝義諦における不二が全体主義の基礎づけに用いられたとしていました。


こんな事を思うに付け、世俗諦の向こうに(しかしながら世俗諦に浸てしか考えられない最高真理である)勝義諦とのアビダルマの二諦説は解説されなかったです、世俗諦・勝義諦(講義では真実諦といわれてました)が当然のように出て来る様に、一有部、皆空思想の中間派の話しこそ出ないが、仏教学の知識は周知といった風の講義基準の高さを髣髴させるものでした。


前回の講座『初期仏教と倫理』題しての、岩井昌悟 准教の手加減講義手法とは、全くの様変わりでした。


禅宗の戦争加担を多く取り上げていましたが、講義の中で、浄土真宗本願寺派でも、本願寺派20代門主の「廣如遺訓」などで、門徒皇民化を積極的に推し進めたとの事でした。他の宗派でも大同小異だったのでは、日本国中どの分野でも戦争加担、皇民の意識で居たのでは、聞いてはいないですが、我が父母も、祖父母も従順な皇民だったと思います。私も生まれ育っていたならば、天皇陛下万歳と言っていたに違いないでしょう。