孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

東京藝大 修復彫刻研究室報告発表展2019 から 【その2】

順番が狂いますが、 7日に同展を 訪れていましたので、その時のメモが出てきましたので 此処に掲載します。

「仏像愛好の集」の某さんからの誘いを受けて、本日7日 三井記念美術館円覚寺展に行きました。その後で、某さんは「東京藝大 修復彫刻研究室報告発表展2019」初日に行かれるとの事でしたので 自分もついて行きました。毎年同展には行くので、顔を覚えているのか、スタッフに丁寧に挨拶され、少しうれしかったです。 
毎年同展には行くので、同展スタッフに顔を覚えているらしくて、丁寧に挨拶され、少しうれしかったです。 上のチラシにあるように、同展には雨引楽法寺金剛力士像の修複後が展示されてました。 その下に掲載しました画像の金剛力士は、修復前で後補の色彩がついていて、剥を受けて落される前の状態であり、感心しない印象ですが、今回の修理で、後補の色彩がぎ落されました、そのまま像は様変わりでして、それは 東大寺南大門の金剛力士像と似ている像に生まれ変わってました。(i狭い空間に無理して入っている南大門の金剛力士より、無理のないすっきりとした均整の取れた像に見えます。)下手な後補の色彩で 彫刻の真価が損なわれていて、後補の、色彩を剥したら、評価が上がった例はよく聞きます。桑原薬師堂(現 かんなみ仏の里美術館)の実慶の薬師三尊なんかも、塗りを剥離したら、評価が上がったんじゃなかったですか? 滝山寺の運慶作三像なんかも、色彩を剥してみたい気がしますネッ! 

hozon19 修復された雨引楽法寺金剛力士像 (吽形)

同行の某さんは 所用ありとのことで、早めに退館され、私ひとり残って 鑑賞してましたら、 この像の前で担当講師か助教らしき人と初老の紳士が 骨格筋云々と 話し込んでいました。 講師らしき人の扱いが何やら丁寧でした。 その理由が、後からわかりました。 暫くすると あの高名の山本勉教授が教え子らしきを3名ほど引き連れての来場でした。 暫くして講師らしき人が、かの初老の紳士に、山本勉教授を紹介 名刺交換をしていました。離れての様子窺いですのでい、詳細は不明ですが、どうやら順天堂大の教授の様でした。それで講師らしきさんは、順天堂さんから、力士像の筋骨のレクチャーを受けていたようです。遠慮してあんまり近くに寄らずでの聞き耳で,.詳細は不可でしたが、 興味深かったです。



前の日記で書きました茨城県桜川市本木の雨引楽法寺金剛力士像について、今少し書きます。 運慶が確立した様式の金剛力士像の中で、東日本で最も古いとの調査結果を明らかにされた。「運慶様式」が確立した13世紀前半の作で、関東地方にも運慶の影響が広がっていたことが分かる貴重な資料だとの事、金剛力士像は市指定文化財。阿形(あぎょう)像と吽形(うんぎょう)像の一対で、高さはそれぞれ2メートル45センチ。表面の布が剥がれるなど傷みが激しかったため、2017年から同大が修理、調査研究を始めた。布や彩色を取り除くと、完成当初の姿が現れて、13世紀前半の鎌倉時代に造られた運慶様式と判明したとのことですが、 研究発表展で見まして、素人の私も 東大寺南大門の金剛力士像に似ているとの印象を受けました。それが何ゆえにとの言葉は出ずじまいでしたが、プロはさすがでして、足首が細く、腰位置が高いなどと具体的特徴をあげ、平安時代の様式と決裂した運慶様式と指摘し、 この像も同じ特徴があると説明し、そして、県立金沢文庫の瀬谷貴之主任学芸員は、こうした運慶様式が関東に広がっていることを示すもので、希少価値の高い像だ」と続けています。

雨引観音の川田興聖住職は「修復前後では表情が全く違い、驚き。大変貴重なものを発見してもらって感謝する。今後さらに大切に保存していく」と述べた。とあるように、修復前の写真では、その印象は全く異なっていました。

上の新聞記事にあるように、 中段に掲載の掲載のある金剛力士は、修復前で後補の色彩がついていて、剥離作業を受けて色彩の落される前の状態であり、感心しない印象ですが、今回の修理で、後補の色彩がぎ落されました、そのまま像は様変わりでして、それは 東大寺南大門の金剛力士像と似ている像に生まれ変わってました。(i狭い空間に無理して入っている南大門の金剛力士より、無理のないすっきりとした均整の取れた像に見えます。)下手な後補の色彩で 彫刻の真価が損なわれていて、後補の、色彩を剥したら、評価が上がった例はよく聞きます。桑原薬師堂(現 かんなみ仏の里美術館)の実慶の薬師三尊なんかも、塗りを剥離したら、評価が上がったんじゃなかったですか? 滝山寺の運慶作三像なんかも、色彩を剥してみたい気がしますネッ! 東日本最古の「運慶様式」 雨引観音の金剛力士像 東京芸大調査結果
色彩感覚での、違いかと思っていましたが・・・、顔部分などは、ほんの数ミリの後補の塗膜を剥しますと、 彫刻の表情は変化するものと思い知らされました。 
この研究発表展示会には 多く仏像学者の来訪もあり、 それの会話を傍確認ら聞くも、楽しいものでした。あの山本勉教授も、教え子らしきを3名ほど引き連れての来場でした。  順天堂大学の教授らしいも来訪されていて、藝大講師らしきと話しているにも聞き耳を立てました。露骨に 近づくもはばかられますので、はっきりとは聞こえませんでしたが、 金剛力士像の骨格と筋肉について話されてたようです。その場で如何なる話が交わされたかは残念ながら聞くことはできませんでしたが、 おそらく像の骨格筋の話の様です。 私も金剛力士像の骨格筋に興味がでましたので, ボディビルダーの筋肉、骨格筋の画像を検索してみてみました。 一見リアリティーの筋骨に思えがちでしたが、存外に、骨格筋図とは違でした。。もっと骨格筋図を熟知してからの金剛力士像の観賞では、 その芸術性が際立つのかとも思いました。今回の比較では、 ボディビルダーの筋肉の方が マッチョ感は大でした。は大胸筋の腕につながる腱部分は今回印象的でしたが、今まで気にならなかったのは、通常は天衣に邪魔されてさ,見えづらいところの為かもです! 
一緒に鑑賞しました。Gさんから この金剛力士の持物は欠損?との会話に 私は、欠損みたいです、おそらく金剛杵を持っていたと思いますと言ってしまったのですが、この像は持物欠損ではなしに、元から金剛杵を持っていませんでした。 金剛力士像の原型の 執金剛にとらわれたのだと思います。それはまさに執る(持つ)金剛(こんごうしょう)で、ヴァジュラ(金剛杵)なのですね。 その起源は ギリシャ神話の英雄ヘラクレスであるとされる説を聞きますが、最近に得た新知に、メソポタミアでは、天候神(嵐と慈雨の) があって、BC 15C~ BC 10Cの稲妻を持つ神像が現存するとのことで・・・、仁王像の歴史は ものすごく古いものかもと知りました。
今度、山門で仁王様を見るとき、紀元前のオリエントに思いをはせてみましょうか?
私としては、仁王様には筋、筋肉隆々とともに、金剛杵を持って居て欲しいです!
自分の認識の不正確さを思い知りました。ボディビルダーの筋肉の方がマッチョだなーと思えたのですが、 金剛力士像としては デフォルメされた方のがふさわしいのかもしれません。只、胸と腹との間のボコボコと饅頭の並んだような筋肉表現は、デフォルメしすぎに思います。 胸筋の下の縁が 腕に繋がるを 初めて楽法寺像で認識しました。普段は天衣で、隠れていて認識してませんでした。今後 仁王像に会いましたら、よく見るように成っていると思います。
 
続きは、」次回記事の 「東京藝大修復彫刻研究室報告発表展2019から 【その3】」に続きます。