孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

Takさんの投稿  5/29 5月中旬からの活動報告―その1(龍谷ミュージアム、京博講座)【その下】



●5月18日(土)京博・土曜講座「時宗のみほとけ」(淺湫毅室長):

京都国立博物館公式サイト:  https://www.kyohaku.go.jp/jp/ 

展覧会公式サイト:  https://www.kyohaku.go.jp/jp/special/index.html 

午後の京博講座の前に、早朝から京博の裏にある「方広寺」、「豊国神社」に立寄り、昼前に「三十三間堂」によって時間をつぶしました。神社では「朝市」が開かれ
ており奥の祭殿では「結婚式」がある模様で、黒塗りのハイヤーで乗り付けた新婚夫妻が和風の衣装やら角隠しを被り着飾って降りてこられ、厳かにお付きの職
員に手を取られて式場に向かわれていました。後からはマイクロバスを降りた式服を着た多くの老若男女が従って行きました。市を出していた屋台やテントの業者の方た
ちは、何事もなかったかの如く商売に携わっていました。私は京博・新館の入口に表示板がある「方広寺」の遺跡跡のつながりの石垣が京博裏手西門から繋がっているの
をジックリと見て廻りました。

三十三間堂」では、外国人観光客や修学旅行生などでごった返す中で、寺僧の方としばらくお話しをする時間が出来、最後に出口近くのショップで販売されてい
る「三十三間堂」関連の図書2冊を「勉強の参考に」ということで無償でご提供を受けました。代金を払うという申し出を固く辞退されて上司と思しき寺僧からもそ
の旨のお話しを受けて、結局有難く頂戴することとなりました。そのうちの1冊は、千体千手観音菩薩立像のほとんどすべての仏さまの顔写真が「卒業写真」のよう
に並んで紹介されているもので、購入すればそれなりの価格がすると思しき図書でした。思いがけぬお寺の方々の親切に感謝感謝でした。



京博では、久し振りにお会いした京博・淺湫毅室長は、トレードマークの顎鬚を剃って綺麗な顔付きでした。講義の中でも祖師像の話しの時に、ご自分の高校生時
代の顔写真と、最近の髭面の写真と並べて大きくスクリーンに投影して、聴衆者を笑いに誘っていました。(淺湫室長の高校生時代の姿は好男子でスマート!)講義内
容は、展覧会の章毎にまとめられて説明され、随所に「仏さまの」紹介や細部に亘る貴重な珍しい画像を説明下さり、会場からは幾度となく「ホォー」といった感嘆
詞が聞こえて来ました。法然上人の足跡から「浄土」の話しと進み、一遍の活動の特異な点や生涯にわたる足跡を説明されていました。「聖絵」の遊行先での画像も交え
て、スクリーンから目が離せないくらい矢継ぎ早やの説明や、軽妙な質問などが続きました。私が数年前に出掛けた「藤沢・遊行寺」ほか首都圏での数か所共同で開催さ
れた「聖絵展」については、特に藤沢、相模の修行場についての説明がありました。「阿弥陀」の関連については、五条大橋袂の「扇塚」の場所まで画像で丁寧に説明さ
れ、五条大橋豊臣秀吉が架け替えたことまで説明され、京都の観光案内までされていました。「興善寺」、「福田寺」、「蓮台寺」などの展示作例の紹介から、「祖師
像」の話しにまで及び、最後に最近の新しい情報として「聞名寺」阿弥陀三尊像細部の画像と「正法寺」の阿弥陀如来像の胎内納入品の画像を丁寧に説明されていまし
た。



今回の京博展覧会は、本来は特別展の場合は一旦3階辺りから入場し、順次階を下り、最後が1階彫像コーナーに降りてくるということになりますが、拘らず
に1階の彫像コーナーのみを拝することも可能です。特に今回は「阿弥陀如来立像」が数体に亘って、横一列になってガラスケースで展示されており、背後から
も360度グルリと拝観出来ますから、細部まで比較参照することが可能です。



講義後ステージ下で淺湫毅室長にお会いして、最初に聞名寺の阿弥陀三尊像について昨年夏の大津歴博・寺島学芸員の話しをしたところ、当時は寺島学芸員と淺湫室
長のお二人で一緒にお寺に出向いての調査だった、どちらが手伝ったということではなく一緒に調査を行なった、ということを知りました。 時宗遊行2代の「真教上
人」と七條仏所のつながり、特に慶派運慶工房の「仏師康弁」が宅地を上人に寄進したこととその時代的なつじつまなどを伺ってみた。また祖師像などは寺院の寺伝と古
文書、軸物だけではなく、他寺院の作例などや過去に研究された論文などから祖師像の顔付きがどのようなものだったか、実際に幾つもの作例を比較し、老若の時間の経
過などからイメージを膨らませて定説を変更訂正することに注力して、決断と勇気が必要だという苦労(そこでご自分の顔写真を出したいきさつを話された)、調査依頼
中の寺院の仏さまも多いが、なかなか簡単に結論付けられない古い時代の事物の調査の困難さがあり、地道な作業が必要で、このように発表が出来るものは氷山の一角だ
との苦労話しを伺いました。そして展覧会会期末の期間のみの「洛中洛外図屏風」(舟木本)の展示を必ず拝観して欲しいとの念押しをされました。ここには五条
橋の袂に時宗寺院の一つの「御影堂新善光寺」と思われる寺院が描かれており、当時食い扶持としてやっていた「扇子」の販売の模様が描かれているそうです。そ
の後「御影堂扇」として京名物になったそうです。京博を退出するときに展覧会のパンフレットを眺めたら裏表紙最上段に、その屏風の画像とその横に新善光寺の拡大画
像が出ていました。淺湫毅室長がしきりに宣伝していたのはこれだ、と知りました。

以下の仏さまは快慶・行快の作例判断に資するか?調査資料や画像を例示して下さりました。淺湫毅室長談ということで、聞き間違いがないことを祈ります。

福田寺: 「覆肩衣」を着ない。「片袖の阿弥陀」。足枘アリ。

聞名寺: 裙の合わせ目が背面。足ナシ。像底からの金属棒を踵脇で台座に立てる。

正法寺: 裙の合わせ目が前面。白毫後ろ内面に内側からくぼみを彫り水晶製?の五輪塔を納めている。

蓮台寺: 裙の合わせ目が背面。足枘ナシ。像底の丸棒を踵後ろで台座に立てる。



*この京博展覧会の拝観報告は、4月17日付で発信していることに気付きました。もう一度見直してみて重複している内容かどうか、無いと思いますが、悪しから
ず。



2019年5月28日 AM1:00  Tak