孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

2月2日 仏像愛好の集 定例会の報告


【仏像愛好の集  新規お仲間 募集中】
「仏像愛好の集」では、毎月第一土曜日を定例に 仏像鑑賞会・ 仏像勉強会を行っています。永いメンバーは、もう10年以上の継続です。 仏像好きさん は 誰でも歓迎の サロン的同好会です!  仏像がお好きでしたなら。お気楽に、一度お試しに  お出かけください! 楽しく、仏像談義をしましょう!
 仏像趣味初級の方は、より深い勉強の為に、メンバーの良き先達から、 教えてもらえます。中級以上の方は、 御自分の勉強成果の 良き聞き手に成って 貰えます。
書物や講演では 自分の誤謬が修正できにくいです。 会話のキャッチボールでは、専門用語の読み方の誤謬 や 、勘違いが 容易に発見できます。
 
また 仏像趣味と云っても、 図像学的 :仏像・仏画に描かれた象徴体系(アトリビュート)を読み解くための学問や、美術史:仏像・仏画の造型芸術の歴史   あるいは耽美的 鑑賞 等で有りましょう。 私達の「仏像愛好の集」でも、 仏像が好きでは括れるものの、個々人の 興味は、 前述の  図像学的・美術史・耽美的 鑑賞 等に分かれているようです。 あなたも、その 何方かに 御興味かと推察します。 「仏像愛好の集」の中で 御自分と合うメンバーを見つけ、良き仏像友達をお作りください。 また 新たな仏像趣味の啓蒙を受けたり、仏像に関する 情報も入ってきますよ! 授業でないので、気楽に聞いて居て下さい! それでも、感心した事,興味の事は,苦痛なしに 頭に残りますョ!耳学問また良しと思います。

仏像がお好きでしたなら、是非に一度 お試しに、気楽にお出かけください!
 
 
の呼び掛けに 呼応の 12名の同士が集いまして・・・、

過日 2月2日に、 仏像愛好の集 定例会を 実施しました!

以下に、 そのうちの 5名参集の 午前の部  仏像鑑賞会の分の報告をします。
  

 午前の部 【仏像 鑑賞会】


  「仏像愛好の集」の画像検索結果 「仏像愛好の集」の画像検索結果
                                                  
東京国立博物館 本館 1Fエントランス  大階段右脇 11室(彫刻室)前   10:00 集合
                                                              
に 5名ほどが 集い 11室を中心に2Fの1室も 含め 干渉しました。
「東京国立博物館...」の画像検索結果

ギャラリートーク希望の先達メンバー 不在で、今回は孤思案がさせて頂きました。聴衆は 新参の2名さんでしたので,当日は、個々の展示作品の解説では無しに、 展示作品を例に、他の仏像の鑑賞時にも 繋がる 仏像鑑賞の方法の基礎をお話 しました。御静聴ありがとうございました。



重文 八幡神坐像(八幡三神坐像のうち) 1躯慶(鏡)覚作鎌倉時代・嘉暦元年(1326)
島根・赤穴八幡宮


神道においては古くは、カミの依り代(よりしろ)である鏡、玉、剣が御神体として崇敬されてきて、神道には元来、神像はなかったが、平安初期に神仏混淆本地垂迹信仰により仏像にならい神像も現れた。仏像の影響により、神像が制作されるようになった。神像は 木彫の坐像が多い。男神像の姿は冠をかぶった衣冠装束が多く、この作品な其れに当たる。この坐像は社伝では大鞆和気命とされる。カヤ材による寄木造。正中(せいちゆう)矧,の他,肩口、袖先に矧目が確認できました。着色は、冠・頭髪・眉に墨、唇に朱がわずかに残っている。唇の下と顎に一ヶ所ずつ小孔があり、当初は植毛があったと考えられる。元来神像は霊神木寄による一木造がその精神であったが、本作は寄木造りで、掘り深く鎬が立つ、また植毛などの写実に鎌倉期彫刻の特性が見られます。




重文   獅子  1躯   平安時代・ 11世紀   ・ 奈良薬師寺
重文 狛犬  1躯   平安時代・ 11世紀   ・ 奈良薬師寺


神社でお馴染みは、石造の狛犬たちですが、古くは屋内に据えられた木造が多かったようです。 その一対 私も永く 雌雄の一対と思っていたのですが、 勉強しますに、それらは、獅子と狛犬で、向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じ、古くは角を持っていた。と知って驚きました。 鎌倉時代後期以降になると様式が簡略化されたものが出現しはじめ、後に作られた物は左右ともに角が無いものが多く、口の開き方以外に外見上の差異がなくなっています。
         

 
1躯


平安時代・12世紀 




C-298



 まず、末尾のC-298 このようなアルファベットと数字のあるものは 東博の所蔵品です。国立博物館では開館以来、館蔵品を中心とした文化財の写真資料を作成、収集しています。 文化財の調査 ... 「C」で始まるものはカラーフィルム、「E」で始まるものはデジタル撮影された画像です。原則として番号が大きいほうが最近撮影された画像です。 これら博物館所蔵品は 写真撮影が可能です。また資料館で所蔵している資料は、学術資料を、研究者を中心に 広く公開されていて、 閲覧できます。


陳列作品に付属のキャプションを読みましょう!
いろいろ勉強に成ります。 製品の年代や来歴の他にも、 仏像の名前は漢字で表記されていて 、 其れにはサンスクリットの漢訳名(意訳)の場合と音写の漢字名が在ります。 キャプションをよく見ますと、作品名・尊名の後の( )内には、ローマ字表記で ,サンスクリット名も掛かれています。 それを読みますと・・・、音写名か、意訳の漢訳かが わかります。               

この毘沙門天の場合は、( )内にはローマ字で、
Vaiśravaṇa とあります。そのヴァイシュラヴァナ の音と  ビシャモンテンの音は 似ていますね、そして「毘沙門天」という漢字名では 意訳が判りません。この場合、 漢訳ではなしに、音写の漢字名である事が判ります。  ちなみに毘沙門天の異名の「多聞天」では、意味が通じ、判りますので、これは、意訳 の漢訳だと知れます。 ついでにVaiśravaṇaの直訳は、本来「ヴィシュラヴァス (viśravas) 神の息子」という意味で、彼の父親の名に由来するとの事です。尚、別名の「多聞天」の意味は 皆の声をよく聞く神様と思いがちですが、 そうでは無しに、正しくは、 その名前をよく聞く、つまり・・・、著名な神様の意味だそうです。

また、阿弥陀如来は 意味が通じませんので、音写なのです、アミターバ( अमिताभ, Amitābha)、あるいはアミターユス (अमितायुस्, Amitāyus)のAmitāの音写なのです。Amitābhaの意訳は無量光 で、Amitāyusの意訳は無量寿 です。 ですので阿弥陀如来は音写名で、無量寿如来は意訳 と言うことです。
多聞天毘沙門天天の使分けを 四天王の場合と 独尊の場合だとの説明を良く見ますが、 共にサンスクリットのVaiśravaṇaで同じ尊でして、単に意訳名か 音写名かの違いで、まったく同じ尊と云うことです。今一つ、廬舎那仏では、意味がつかめませんが、 大日如来なら意味が判ります。 廬舎那仏のサンスクリットはVairocanaで、ルシャナに似ています。
大日如来サンスクリットはMahāvairocanaで、Mahāは大の意訳、 後のvairocanaは音写で、廬舎那仏のサンスクリットのVairocanaですね! これで顕教の廬舎那仏と、 密教大日如来は 基は同じと解ります。面白いでしょう?!

今一つ、キャプションでの勉強法   陳列仏像を見て  時代を想像します。 そして キャプションで 正解が否かの答え合わせをします。 段々に 仏像の制作時代が当たるようになってきますよ!そして ローカル作、擬古作と云った 引っ掛け問題もありますが、段々に 仏像の制作時代当てが,上達しますよ! 常に心がけてみましょう!


弁才天坐像 1躯

鎌倉時代・13世紀

この弁天様は  剣を持っています。 頭に老人面の蛇体をつけています。 蛇体の神は 宇賀天では 無しに宇賀神です。天は仏教で言えば神は天部の中にいる神のことをさし、古代インドのバラモン教ヒンドゥー教 の 神が仏教に取り入れられ、仏を守る役目をする神々に付きます。
インド以外の中国や朝鮮の神、日本の神々は 仏教に取り入れられても、天とは呼ばずに 神 とか権現と呼ばれます。 権現は日本の神の神号の一つ。日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号です。 宇賀神は、『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。 日本の神様ですので、弁財天の頭にいる時、よく 鳥居が付けられている場合が在り、 このような弁財天を 宇賀神弁天と呼びます。
日本の弁才天は、 経典に準拠した漢字表記は本来「弁才天」だが、日本では後に財宝神としての性格が付与され、「才」が「財」の音に通じることから「弁財天」と表記する場合も多い。
2臂像は琵琶を抱え、バチを持って奏する音楽神の形をとっている。密教で用いる両界曼荼羅のうちの胎蔵曼荼羅中にその姿が見え、『大日経』では、妙音天美音天と呼ばれる。元のサラスヴァティーにより近い姿である。ただし、胎蔵曼荼羅中に見える2臂像は、後世日本で広く信仰された天女形ではなく、菩薩形の像である。  

           
8臂像は、密教系で、5世紀の中国の五胡十六国時代に中インドから新疆へ赴いた『金光明最勝王経』「大弁才天女品(ほん)」の所説によるものである。8本の手には、(ほこ)、長杵鉄輪羂索(けんさく・投げ縄)を持つ、その全てが武器に類するものである。同経典では弁才・知恵の神としての性格が多く説かれているが、像容は、鎮護国家の戦神としての姿が強調されている。


不動明王立像 1躯平安時代・11世紀岡野哲策氏寄贈 C-1851
                 
  
不動明王は、密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。
導き難い相手に対して忿怒尊の姿をとる教令輪身忿怒形の恐ろしい姿をしている。 この怒りは・・・、 いかんとかして救わんとの親の怒りの様に解釈できます。
                 

 こちらの像は、 初めて不動明王を日本にもたらした空海が伝えた 荼羅に描かれた姿で、幾分優しく、 京都の教王護国寺をはじめ真言宗のお寺に多い顔で  大師様の不動像と言われています。

もう一つ 多いのが十九観相の 不動で、これは天地眼、10世紀、 天台僧・安然らが不動明王を観想するために唱えた「不動十九観」に基づくもので、天地眼 ・牙上下出 の恐ろしいお顔のものです。



蔵王権現立像 1躯鎌倉時代・12~13世紀

C-564       

前述しましたが、権現とは日本の神の神号の一つ。日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号である。権という文字は「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを示す。 日本生まれの神様です。




天王立像   京都府 亀岡市    大宮神社伝来    

この像は 持国天増長天広目天か?の尊名が はっきりしないために  □天王立像 と名付けられています。 この像を見ますに、 邪鬼を踏まえているので、 四天王像か 二天王像の片割れと判断できます。 姿が似てますが、十二神将像では無いのです。 十二神将は 別名 十二叉大将とも呼ばれます様に、夜叉の身分ですので、天王宮には居られず、その下の夜叉宮に住みます。そのステイタス上の為、十二神将はその足下に邪鬼(夜叉)を置けないのです。 邪鬼は夜叉の家来です。このような仏 天部たちの 須弥山に於ける 住処を知るのも面白いですよ!
虚空の中に風輪(ふうりん)というものが浮かんでいます。
形は円盤状で大きさは示せないほど大きい。その上に同じく円盤状の水輪(すいりん)が乗っています。
水輪の大きさは、直径が120万3450由旬(ゆじゅん)高さが80万由旬。 その水輪の上に金輪(こんりん)が乗っています。金輪(金輪際の語源)の上には須弥山を中心として九つの山と、その間に海があります。九山八海と呼ばれます。
一番外側に四つの島があり、南の方にある島が人間の住む世界です。閻浮提(えんぶだい)と呼ばれます。

ものすごく高い山の須弥山。その裾野には龍が護り住み、 その上は舎脂(阿修羅の娘)の世界で、 その上が夜叉で、またその上の須弥山の中腹に 四点王の住む 四点王宮  須弥山の地続きの頂上が 忉利天(三十三天)で、その中央に善見城で、帝釈天が住む。この構図で 四天王は帝釈天の配下と解ります。 須弥山の上空の世界が初禅三天 =梵天で、梵衆天,梵輔天,大梵天の三つがある。大梵天の主が、もとはインド神話ブラフマー(創造神)でありで,仏教守護神として取り入れられた梵天です。
その上のに天界と云う神の世界が在り、上の方遥かに、仏の世界(悟りの世界)が在り、その一寸手前の世界、ほんの少し煩悩が残る世界があり、その世界を有頂天というそうです。


重文  弥陀如来坐造 広島市廿日市  宮島 光明院 伝来  
大正大学蔵   陳列期間2019年3月12日~4月14日、
2019年5月8日~2019年5月8日~
★この像が Mさんの拝観希望の 大正大学の 重文 仏像では無いですか?
 
此処では 蓮華坐の 意味合い、 蓮華が貴ばれる理由、 悟りの象徴、 未敷蓮華がこれから悟る、悟り前の象徴で、開敷蓮華が 悟った象徴。 かように蓮華座は、如来や菩薩の専用の台座です。但し、ヴイシュヌ神のへそから生じた蓮華の上に梵天が座して宇宙のもととなったという神話からか、梵天も蓮華坐に坐する事もあるようです。
何重かの蓮華坐の場合、上から、弁上向きの 花すぐの蓮華、華盤の 開ききった状態、 そして下部の、下向きの花弁で、しおれた様子を示す反花 を説明し、これは 仏教の重要な教えの「無常観」を示しているのではと 解説しました。

重文 十一面観音菩薩立像  平安時代・10~11世紀  
奈良 薬師寺
重文 十一面観音菩薩立像  平安時代・10~11世紀
奈良・子鳴寺蔵
重文 十一面観音菩薩立像像薩 像 平安時代・9世紀

の前では、 どうして頭部に11の顔を持つ菩薩であるのかを考察しました。 十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経によれば、10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われる。

十種勝利
       ・  疾病(病気にかからない)
  • 一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)
  • 任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)
  • 一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)
  • 國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)
  • 不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)
  • 一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)
  • 不能溺(溺死しない)
  • 不能燒(焼死しない)
  • 不非命中夭(不慮の事故で死なない)
四種功德
  • 臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)
  • 不生於惡趣(悪趣、すなわち地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)
  • 不非命終(早死にしない)
  • 從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)
いま一つの考え方は、通例、頭上の正面側に柔和相(3面)、左側(向かって右)に憤怒相(3面)、右側(向かって左)に白牙上出相(3面)、背面に大笑相(1面)、頭頂に仏相を表す これは頂上面の仏相を目的として、菩薩の修行段階を示している。 頭上面の各相の違いは 菩薩の五十二位の悟り成就の段階のうち 最終段階の 十地を示していてると思われる。 菩薩の五十二位の用語解説 - 菩薩の修行段階を 52 に分けたもの。『瓔珞経』に説かれる。十信,十住,十行,十回向,十地,等覚,妙覚をいう。十回向までは凡夫で,それ以上から菩薩の位に入る。 その十地,と 等覚,妙覚の最終段階の表現が,頭上面との持論も披露しました。
    帯同された、お二人には 長らくの拙い 解説を 御静聴頂き 感謝です。

    これで午前の部 仏像鑑賞会の 報告を終えます。 午後の
    坐学 仏像勉強会の報告は、後日と致します。」 孤思庵