孤思庵の仏像ブログ

少し深くの 仏像愛好のブログ続けてます、オフ会に集ってます、貴方も如何?

10月6日の勉強会 議事録


前回10月6日の勉強会の 書記をNinoさんにお願いしました。 ご協力を得まして、下段の議事録が届きました。以下に 議事録を掲載します。

議事録の文責は 孤思庵とします。

各発表者に於かれまして、修正を希望の節は 此処のコメント欄にてか、孤思庵宛にメールにて ご指摘願います。 孤思庵が文章修正の修正作業をさせていただきます。」孤思庵





10月6日 議事録

 
ハートぴかぴかひかる 本日はブンブンさんのお誕生日でしたハートぴかぴかひかる
 
お知らせ
★11月3日、午後の勉強会の場所は浅草文化観光センターです。(雷門前)
★2019年1月の第一土曜日は5日。お正月松の内ですがこの日に開催します。
★東京文化財ウイーク開催中 特別公開事業は10月27日から11月4日。足立区足立区梅田の明王院如意輪観音 東村山市正福寺地蔵堂(国宝)根津神社の建物などが。関連企画事業は10月1日から11月30日。公立図書館、公民館、博物館などにパンフレットがあります。東京都のサイトにも詳細情報が。
 
ブンブンさん発表
☆この夏から秋は、福島【陽泉寺、白水阿弥陀堂など】、山形【慈恩寺立石寺など】、滋賀【高月観音堂大円寺)、西野薬師堂(充満寺)、黒田観音寺、尾山釈迦堂 安念寺(いも観音)、覺應寺など】、京都【鶴林寺浄土寺智積院 来迎院 三千院、蓮花寺など】。盛りだくさんを巡りました。
☆東北は交通事情から尋ねられる範囲が限られ、その分一軒のお寺にじっくり腰をすえ、仏像と向かい合う時間が持てました。近隣の方やお寺の家族の方との交流にも心温まるものが。古木の観音様を大切にしている村人の信仰心の篤さにも心を打たれました。「五感で感じる」貴重な経験を満喫できたと思います。
☆もっとも感動したのは 向源寺 十一面観音立像 国宝 十一面がみな前を向き、スペクタクル映画のように迫ってきました!
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☆黒田観音寺の千手観音立像(准胝観音と見ることもできる)は、以前から別冊太陽で荒木 経惟による撮影で注目していたもの。古木の味わいがあります。
 
☆山形慈恩寺の本尊・弥勒菩薩坐像は、永仁6年(1298)9月、法橋寛慶(ほっきょうかんけい)によって造立されたものだそうです。本尊、脇侍の不動明王像、降三世明王像、釈迦如来坐像、地蔵菩薩坐像の五尊像で、この構成は国内では慈恩寺のみとか。
☆明日7日は、山梨へ。大善寺 葡萄を持った平安時代薬師如来と、日光月光菩薩と対面の予定。
矢印右 十二神将もおすすめ。蓮慶作と伝わる。蓮慶は福光園寺の吉祥天座像、吉野水分神社の神像などを手掛けている。建物も鎌倉時代のもの( Mさん)
矢印右山梨にいくなら、放光寺の愛染明王を。天弓が特徴。山門の金剛力士像は、鎌倉時代初頭に奈良を本拠とした奈良仏師・成朝の作とも伝わる。成朝は興福寺復興にも努めた大仏師。(kawaさん)
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★孤思庵さんより
皆さんのオススメ仏像や観賞予定を私宛、積極的にメールしてください。ブログにアップして情報の共有を図り、ご一緒観覧を図りましょう。
矢印右では、おすすめを(Mさん) 名古屋 長福寺 別名七寺 大須観音の近く
重要文化財 木造観音菩薩勢至菩薩坐像 平安時代後期作。もとの本堂本尊・阿弥陀如来坐像の両脇侍だったもの。「阿弥陀三尊像」として1904年(明治37年)に重要文化財(当時の国宝)に指定されたが、1945319日の空襲で本堂(旧国宝)と本尊の阿弥陀如来像は焼失、かろうじて観音菩薩像・勢至菩薩像の本体と勢至菩薩像の光背のみが搬出されて焼失をまぬがれた。この時の空襲では本堂内にあった木造持国天毘沙門天像(旧国宝)も焼失した。平安末期、早い時期の玉眼の像。
矢印右Kawaさん)大須観音には秘仏の十一面観音像があります。それとそっくりな四天王寺十一面観音像が、三井美術館の今回の展示に出品されています。必見。
 
ブンブンさん 「仏像とお寺の解剖図巻」より 
    「清涼寺 釈迦如来 について」。
生身の釈迦信仰
 オマケのエピソード 毘首羯磨 お釈迦さまが兜率天に母親を訪ね留守をしている間、寂しさに耐えかねた王様が、お釈迦さまの像を作らせることに。多くの職人が試みたが、尊像を表すことができたのは毘首羯磨のみ。伝説では世界で初めて仏像を作った人とされている。
 毘首羯磨は帝釈天の家来であり彫刻や建築の神さま。京都国立博物館の建物の破風(屋根の下の部分)には、伎芸天と対になった彫像が飾られている。 
矢印右初期の仏教美術にふれるなら。現在松戸市立博物館にて「ガンダーラ仏教文化の姿と形-」開催中922(土曜)から1125(日曜) 930分から17時(入館は1630分まで)(Kawaさん)
 
    「釈迦だけがなぜ見えるの? 法隆寺金堂」について

法隆寺金堂の内陣には

中央の(現在仏)釈迦三尊
東の間の(過去仏)薬師如来 
西の間の(未来仏) 阿弥陀如来

の三如来が安置されて居るが、 堂の外の礼拝石からは 中央の(現在仏)釈迦三尊しか見えない!

現在(釈迦如来)・過去(薬師如来)・未来(阿弥陀如来)の解釈で 良いのか?


三世仏 : 一般的には、阿弥陀仏・釈迦仏・弥勒仏を、それぞれ過去・現在・未来の三世に配当する。詳細としては、阿弥陀仏は、十劫の大昔に仏陀として成道し、極楽浄土を主宰するために過去仏とし、釈迦仏は歴史上の仏であるために現在仏とし、弥勒は釈迦仏入滅後五十六億七千万年後に、次の仏陀として現れるから未来仏とする。なお、過去仏に釈迦仏を配したり、薬師仏を配したり、盧舎那仏を配することもあって、一様ではない。


マメ知識 
現存の阿弥陀三尊は運慶の四男、康勝が1230年代に制作。銘文には平安時代に白浪(泥棒)が入って失われたため、鎌倉時代に作ったとある。西側の台座には小金銅仏(釈迦像 弥勒仏 観音が主で阿弥陀はみかけない)を置いていたという記録もある。
阿弥陀像は飛鳥時代初期には見られず、伝橘夫人念持仏は飛鳥時代後期(白鳳期)。金堂西の阿弥陀三尊像は、当初から構想されていたのだろうか?と疑問視する説もある。

ちなみに中国では、仏像を「金人 こんにん」という。仏教伝来まで、日本の神には形がなかったため、日本人は渡来の仏像を“きらきらし”と驚きを持って迎えた。その金人を納めるお堂ゆえ、金堂と呼ぶ。

法隆寺金堂 釈迦三尊像 中尊の見どころとして。結跏趺坐した脚の底面が平らではなく、中央がカーブを描いて凹んでいる。そのため釈迦が宙に浮遊しているように見える。硬い大地の上ではなく、天上界の雲の上に存在するというイメージを持つ。


Saiさん発表
 週刊文春連載 キンちゃんのボケないキャンパス珍道中によせて。
萩本欽一氏は、現在駒沢大学仏教学部4年生 仏教美術を専攻
夏休みの宿題のテーマ探究の為、仏像修復を手掛ける土呂の吉備文化財修復所 所長 牧野隆夫さんの工房へ。(山と渓谷社「仏像再興」の著者 伊豆修善寺 実慶 大日如来坐像の修理に携わった人)
・メジャーなものはあまりやってない。
・地域の人に愛されてきた名もなき仏像(木彫)を手掛ける。自称・仏像の町医者
破損の主な原因は雨漏り 黴 虫食い ネズミ。どんな仏像も見てみると過去に手が加えられており、修繕のあとが見られる。仏像の中に小さな仏像が納められ、さらにかかわった人の名前を書いた紙がでてくることも。「仏像の内側には仏師の感情が現れている」
日本には7万7千の寺 ざっと100万近い仏像があるだろう。それぞれが歴史を背負っている。
 
加東市×多摩美 特別展 神仏人 心願の地 (10月14日まで)に寄せて。
    兵庫県 加東市 平安仏の保護の話題
(隣の小野市には浄土寺 快慶阿弥陀三尊像 国宝がある土地柄) 
中古瀬薬師堂(63所帯を対象とする辻堂)につたわる10~12世紀の60体の仏像の保護 
一木造の平安仏。丹波道を通ると京都へつながる位置。ゆえに戦乱を逃れた仏像が集まった可能性があるのでは?
早稲田大学奈良美術研究所 櫻庭 裕介講師 が修理に携わる。
うち19体を東京の学生対象の修復講座に活用した。
 
    加東市 丹波篠山に近い位置にある播州清水寺では、昭和5年に白鳳仏(7世紀)=銅造菩薩立像 18㎝が境内の老杉の根元から掘り出された。中国南北朝(隋の前)の様式が見て取れる。
渡来人が多く棲んでいた地域。坂上田村麻呂の出身地という説もある。これも多摩美の展覧会閲覧可能。clip_image011

 
孤思庵さん発表
三井記念美術館「仏像の姿」~微笑む・飾る・踊る~ 仏師がアーティストになる瞬間 に寄せて

 本展覧会は通例の著名仏像を集めたものではありません、ディティールに仏師一人ひとりの、生き生きとした発想を垣間見ることができます。本来仏師とは儀軌に従って仏像を造りだす人々。自由彫刻を手掛ける人々とは一線を画します。が、その創作時の儀軌と創作の狭間に「アーティスト」となる瞬間があります。仏師の中に宿る芸術家としての創意工夫、遊び心に着目した、そのような仏像を集めての、大いに楽しめる展覧会です。鑑賞者自身の感性で、制作仏師のアーティスト的な 創造性、独創性、工夫、技術がなされて居る処を 発見しましょう!

尚、展示場のキャプションの末尾部に活字の色を変えて「見どころ」が書かれてます。ご注目を・・・、

同展の記念講演会も受講しまして、同展の責任者 清水眞澄 三井記念美術館館長の講演は 仏師の微笑む・飾る・踊るに込めた、仏師の創意・工夫は 観覧の際の大いに役立ちました。籔内 佐斗司 氏(東京藝術大学大学院教授)の記念講演図像学的な切り口で興味深いものが在りました。詳細は孤思案ブログに寄稿。ぜひお目通しを!
 
オススメ作品
☆康円作 四天王寺眷属立像(身色 黒)靴の右足爪先部が破れているばかりか 左足踵も破損。片方の半ズボン状の側面縫い目には,ほころびが見える。
金沢文庫称名寺 観音・勢至菩薩 前傾した姿勢の相違 
阿弥陀三尊として並列に並ぶ観音・勢至ですが、絵画の来迎図のときは一列に・・・、先頭は蓮台を持った観音さま。 その膝を曲げた姿勢を,私は臨終者の魂を蓮台に誘うと見似ましたが、清水館長は両脇侍の来迎順序からの上半身の傾斜角度の違い、その工夫と解説されました
 
マメ知識 
大仏殿様の四天王の肉身の色分けクリックすると新しいウィンドウで開きます
四天王の色彩に好例として海住山寺の四天王を上に挙げました。  方位の四神獣の 東・青竜 南・朱雀 西・白虎 北・玄武 の色より,方位神である四天王の肉身の色も四神獣に比定して配当されたとの事です。この青・赤・白(肉色)・黒の方位の配当は 中国神話由来ですから、それ以前のインドに於けます四天王の配色は如何だったのでしょうか??、 また曼陀羅の中では四天王はすべてが 赤で描かれている事から、10世紀以降の四天王の身色は、各天王ともに赤に成っているそうです。

Mさん発表
★特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」に寄せて。
 
工房と仏師の系統をどう読み解くか、興味の尽きない展覧会です。快慶と肥後定慶の像が群像としてきちんと残っているうえ、運慶一派も関係しており見どころ満載。本日の研究発表では、前回に続き「耳」に着目し快慶と行快を解析。詳細な資料アリ。




 
                                                 (議事録 完)
 

画像も入れてありますが・・・、肖像権の関係でか? 添付画像は当初は掲載出来てますが、日が変わりますと 抹消される危険が在ります。 必要な方は 何らかの保存処置をしてください!

 アンレ!  ここの挿入画像は、消えませんね! 工夫が在るのでしょうか?! 今度その掲載方法を勉強会などで、教えてください!