孤思庵の仏像ブログ

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Takさんの報告  奈良博「快慶展」・大阪市立美術館「木×仏像展」

Takさんから  奈良博「快慶展」・大阪市立美術館「木×仏像展」に行ってきました。の報告のメールが届きました。

【以下 Takさんの文です】

いつもの時間にいつもの列車に乗って、京都に向かいました。今回は、珍しく二人の同行者がありましたが、二人の意見で、早朝の天気予報により、当初予定の11日(火)・大阪、12日(水)・奈良の予定を切り替えて、逆に11日・奈良、12日・大阪の行動にしました。屋外を歩くのがメインの大阪行きを天気の良くなる12日にしたものです。花見と食事・甘味探訪中心の二人と京都駅で分かれ、私は早朝に奈良に到着しました。幸いにも、近鉄奈良駅からは、傘も差さずに小雨の中を、いつもの東向き商店街から「興福寺・北円堂」への坂道を上り、興福寺境内を通り、「五重塔」と「東金堂」の間の道をまっすぐ奈良博へ向かいました。
奈良博では月曜休館明けの930からの開場に十分間に合い、しばらく玄関前で並びましたが、せいぜい20人程の列でしかありませんでした。パスポート提示で入場した入り口付近で「月刊大和路・ならら」という小冊子(奈良博・山口隆介氏の展覧会説明あり)を受け取りましたが、後で知ったのは本来500円也の小冊子で、ショップで販売しているものでしたのでラッキー!「快慶展」という大きな展覧会でオープンからまだ日が経たないけれど、平日のせいか展覧会場はガラガラで、東博と違ってやはりせいせいとして、のんびり拝観出来ました。半月程前に、「奈良まほろば館」にて入手した展覧会のパンフレットは、最終版ということで、A4判縦2枚分の大きさを折り返し両面の豪華パンフで、表紙見開きは注目の「キンベル美術館・釈迦如来立像」の像身全体、蓮華台座付きの大判の画像が使われていて、像全体に施された截金文様までがはっきり認められる高精細画像で感激しました。折り込み裏面は、東大寺・僧形八幡神坐像が大きく最上部に掲載され、醍醐寺三宝弥勒菩薩坐像、ボストン・弥勒菩薩立像、圓常寺・阿弥座如来立像、金剛峯寺孔雀明王坐像、金剛院・深沙大将立像の画像を配置し、簡潔な展覧会概要が記載されています。入り口でパンフは56部程を一掴みにまとめて取って、展示リスト、音声ガイドリストも複数枚を纏めて掴んで、そのまま入場です。展覧会では、音声ガイドは機器を借りずに、リーフレットのみ貰うことにしています。500円也を払っても、音声説明にはあまり期待出来る説明が聞かれない気がしていますので…。超目玉出展彫像では、期間限定や後半期間の出展があり、今回だけでなく、期間後半にもう一度、いやもっと講演会も含めて、拝観機会を持たないといけないと思います。入り口から2階に上がる階段の下で、奈良博の若手職員と立ち話しをしていると、「快慶仏講座・ミニ検定」を勧められました。700円の検定料金で応募出来るそうです。因みに、チラッと問題を覗き見したところでは、あまり身構えなくても会の皆さんなら、十分100点が取れるくらいの問題が全80問で、前半と後半に2回あり、問題が各回違い、用紙に記入し郵送で回答すると、記念品がプレゼントされるそうです。
「集いの会」の皆さんには、Mさんからの説明、資料配布などがあり、十分に予習されていることと思いますので、各人がテーマを持ったり対象を絞ったり、十分に拝観が出来ることと思います。
私も、これまでMさんから頂いた資料や、自分で収集した各種資料などをコピーして持参し、場所場所で確認の意味で、資料を広げて見たりしました。私は、会場半ばで1時間以上経った頃に、突然思いがけない中年男性にお会いしました。彼も早朝東京から来たそうです。Mさんはご存知の方だと思いますが、よく東博三井記念美術館などの講演会の際に、会場入り口に早くから並んで開場待ちをしている方で、幾度となくお会いしたことのある方です。なりふり構わずといった感じで、よくおしゃべりしてくれる方です。「奈良まほろば館」の講座などにも参加されており、彫像だけでなく絵画などの日本美術全般に造詣が深そうです。なんだかんだで2時間以上も、彼と一緒に順番に鑑賞して巡りました。私は、再度逆順で展示を閉館時間までじっくりと巡りました。結局、開館930から閉館1700まで奈良博館内に居座ったことになりました。彼と別れた後には途中で、地下のレストラン横のロビーで図録に眼を通しながら、30分くらい疲れた腰を休ませながら、お茶を飲んでのんびりしたりしました。職員にもっと遅くまで拝観出来ないかと話したところ、金・土曜は19時(午後7時)まで時間延長していることを教えられました。迂闊でした。そういえばほかの館でも最近は、週末などには閉館時間を延長して、社会人向けに便宜を図っているところが多くなったようです。今度は出来れば金・土曜に来たいと思いながら、平日のほうが空いているかな、とも考えてしまいます。
運慶願経」、「遣迎院胎内納入・印仏」、「極楽寺・胎内納入・印仏・過去帳」、「霊山変相図」、「東大寺金剛力士像・金剛杵(模造)」など、今まで名前や史料として写真や書籍などで知ったことを、目のあたりに出来ました。かなり時間をかけてじっくりと眼に焼き付けたつもりです。また、彫像関係では、「石山寺大日如来坐像」、「芸大・大日如来坐像」、「遣迎院阿弥陀如来立像」(11日から展示)、「清水寺・千手観音坐像」、「金剛峯寺孔雀明王坐像」、「金剛峯寺・四天王像(広目天多聞天」、「金剛峯寺・執金剛神立像」、「金剛峯寺深沙大将立像」、「東大寺阿弥陀如来立像」、「東大寺地蔵菩薩立像」、「耕三寺・阿弥陀如来坐像」、「知恩寺阿弥陀如来立像」、「八葉蓮華寺阿弥陀如来立像」、「青蓮院・兜跋毘沙門天立像」、「随心院・金剛薩堹坐像」、「メトロポリタン・地蔵菩薩立像」、「パラミタ・十一面観音菩薩立像」、「キンベル・釈迦如来立像」、「西方寺・阿弥陀如来立像」、「東大寺・僧形八幡神坐像」、「神護寺・僧形八幡神像(画像)」などなど、初めて鑑賞する像については初心の心で熱心に、再観の像についても改めて注目して、十分に鑑賞させてもらいました。(アンダーラインの展示仏は、私が特に注意して熱心に鑑賞した仏さまです。)
今回の奈良博訪問で拝せなかった仏さま(醍醐寺弥勒菩薩坐像、海住山寺・解脱上人画像、浄光明寺・僧形八幡神画像、醍醐寺東大寺大仏殿図、藤田美術館地蔵菩薩立像、西方院・阿弥陀如来立像など)については、改めてスケジュールを考えて再び奈良博を訪問することにします。一応出かける日程は考えていますが決定ではありません。後日、まとめて報告が出来ればよいと考えています。また皆さんと話し合いが出来ればよいと考えています。
今回の展覧会がきっかけで、無位時代の優秀な作例が創作出来た頃の彼、中盤からの造形を確立した環境やその影響、また後半生の多様な造形仏などに取り組んだ時の気持ちなど、時系列的に観た時、快慶の「人となり」や仏師としての生き様など、どんな状況だったのか、考えてしまいました。
 
なお、興福寺「仮講堂・阿修羅ほか乾漆像群展示」や「東金堂・仏頭展示」へ出かけるのは、まだ期間が十分にあるので、次の機会にまわしました。
 
 
12日(水)は、早朝からホテル近くの「四天王寺」を散歩し、時間調整して「大阪市立美術館」に足を運びました。大阪は曇天でしたが昨日来の雨は上がり、朝の通勤時間帯で駅周辺は結構な混雑です。それでも「四天王寺」や「天王寺公園」は、敷地内の桜は満開と云ったところで、真っ白な叢林が眼に眩しい感じで、せいせいした気分でゆっくり出来ました。つい数年前には、駅前の交差点から公園に向かっては、芝生や植生のあるただ広い公園敷地で、ゴミが目立つような環境だったのが、今回訪ねると周辺に多くの飲食店やショップ、開店準備中のショップやペットショップや犬の遊び場があったり、と目を見張るほどの変貌を遂げていました。手前の「動物園」には、朝から多くの小学生が整列している姿があり、傍らで引率の先生が数人で、一生懸命打合せしていました。美術館前からの「通天閣」の景観も、美術館周囲の桜樹の頭越しに、輝いて顔を覗かせていました。美術館のクラシックな建築様式が荘厳な雰囲気で、朝の低い日差しに陰影濃く印象的でした。一緒に出掛けた二人の知人は、美術館には興味が無く、通天閣大阪城方面に観光に出かけることとなり、美術館前で分かれました。私は建物の様子を見ながら美術館正面玄関の階段を上がりました。案の定、入館者は数えるほどの人数で、館内の職員もまだ緊張感が無く、フラフラしたり、部屋の端に集まっておしゃべりしたりで、屋外のような春の茫洋とした空気が流れているようでした。ここでも朝930から午後230まで飲まず食わずで、館内でフラフラして時間を潰してしまいました。というよりも、今回の連れ二人がどこかへ行ってしまって、午後300新大阪駅集合の約束なので、地理音痴な私は、この場合、分かっている場所を動かず、時間まで長いこと暇を潰すことになります。予め計画を立ててこないものだから惨めです。
主な展示仏ついて、簡単に報告してみます。不明なところは同展図録解説から引用していますので、悪しからず。
〇「菩薩立像」(東博飛鳥時代7世紀):飛鳥仏で非常に扁平な象高1m程の像で、クスノキ一材彫出し、仏さまらしくない大きな単純な顔立ちで、両腕が肘から欠失している。背面に大きな張り紙「聖徳太子御時代/百済国ヨリ調刻ノ/千像之其一躰也」墨書あり。
〇「薬師如来立像」(唐招提寺)(重文)奈良時代8世紀):等身大の如来立像。極端に肉太の体躯でカヤ一材彫出し内刳り無し。
〇「弥勒如来坐像」(東大寺)(国宝)奈良~平安時代89世紀):試みの大仏で国宝になったばかり。ズングリとした体躯で、顔が前に張り出し、目鼻が強調過ぎの感があり、異国風のカヤ一材彫出し。
〇「阿弥陀三尊像」(四天王寺)(重文)平安時代9世紀):大きな高い肉髻で、頭頂部から台座までカヤ一材彫出しの一見平凡な中尊。制作年代が明らかに違う、上半身裸形の片足を後ろに跳ね上げた軽やかな脇侍像。
〇「十一面観音菩薩立像」(長圓寺)(重文)平安時代9世紀):ズングリとした肉太の体躯ながら、檀像様の風合いを感じさせる細かい着衣、天衣の衣文などが、クドイほどの装飾的な造作が背中まで施された像ながら、愛嬌がある印象。「弧思庵」ブログのコメントにも同じようなことをコメントしました。
〇「地蔵菩薩立像」(薬師寺)(重文)平安時代10世紀):温和な顔つきで、平凡な像態ながら、着衣の彫りが単純で大胆な表現。
〇「薬師如来坐像」(宮古薬師堂)(重文)平安時代9世紀):左手は膝上で手のひらを上に向け第三・四指を曲げ、右手は手のひらを正面に向け第一・三指を念じる。針葉樹材の一材で木心が中央。
〇「虚空蔵菩薩立像」(孝恩寺)(重文)平安時代10世紀):等身大の尊像で、一見して半袖で胸元の開いた下着風の衣とヒレ袖様と垂下した大袖。腰部と膝部に二段に大きく前垂れした衣の表現が珍しい感じの頭頂部から脚部までを一材彫出し内刳り無し。背面は頭頂部から脚部まで木割れが大きく残る。
〇「宝誌和尚立像」(西住寺)(重文)平安時代11世紀):等身大の顔部の比較的小さめのバランスの像で、宝誌和尚の顔部が左右に縦に割れ、中からまた顔が現れており、頭部に当たるところに頭上面の一部が著わされており、十一面観音菩薩である。奇抜な表情の像で、中国の説話を伝えているという。顔や腕など身体が鑿跡を残す鉈彫りの彫法が摂られている。
〇「四天王像(持国天)、(多聞天)」(河合寺)(重文)平安時代1112世紀):1mを若干上廻る像高で、名称は不明ながら、旧国宝の指定を受けている像だという。寄木造り内刳りで、繧繝彩色が遺る全体に出来の良い表現で、甲冑帷子の金鎖文様なども丁寧な表現がされており、腰の動きと大きな裳や鰭袖の動的な表現がうまく出来ている感じ。
〇「十一面観音菩薩立像」(櫟野寺)(重文)平安時代11世紀):「櫟野寺展」出展の像。欠失されているが頭頂部の大きな突起は単なる髻ではなく頭上面が取り付けられていたと思われ、十一面観音菩薩像だと考えられる。腰部の左右対称の衣文の表情や、条帛の絡み方などが綺麗。
〇「観音菩薩立像」(櫟野寺)(重文)平安時代12世紀):「櫟野寺展」で西木政統氏が「甲賀様式」として「観音菩薩立像No13」として紹介されている像で、条帛の端が腰まで垂れ、舌状の形で裙の縁に同化している点を指摘されている。
〇「観音菩薩立像」(櫟野寺)(重文)平安時代12世紀):「櫟野寺展」にも出展されていた像で、甲賀様式の観音立像で、頭頂部から脚部先まで一材・内刳りがされており、今回は、像背中側が内刳りの様子が解るように四周から拝観出来る。
〇「十一面観音菩薩立像」(誓光寺)(重文)平安時代12世紀):約1mの均整の取れた、体幹部をヒノキ材で彫出し、体部を前後で割り、漆箔仕上げという。解体時に像内から出た木片で、表面に十一面観音菩薩像の顔部表情を墨書し、墨の枠に沿って鑿を当てた跡が残っている。その木片も展示されている。
〇「千手観音・二天像箱仏」(四天王寺)(重文)平安時代12世紀):20センチ四方くらいの観音開きになっている箱型の厨子で、内部に千手観音菩薩坐像が蓮華台座に座し、光背を背負う形になっている。左右扉内側には岩座に立つ天王像が浮彫りされている。像の材質は白檀ということだった。本当に小さな本像は、大きな像と同じように台座から光背や腕の一本一本まで、頭上の仏面まで、精緻な彫りを施された秀麗な檀像に出来上がっているのが、感激もの。
〇「四天王像」(4体・大門寺)(重文)平安時代12世紀):大門寺本尊如意輪観音を安置する厨子の四周に立つ四天王像という。像高1m程度の4体で、いずれもヒノキ材一木割矧造り、体幹部を前後に割り剥ぎ、内剥りを施すという。
〇「阿弥陀如来坐像」(大門寺)平安時代12世紀):第一・二指を念じる来迎印を結ぶ裳懸須弥坐上に結跏趺坐。定朝様とも思える穏やかな像容は平凡感があるが、裳はしっかりした彫りのように感じる。
〇「阿弥陀如来坐像」(専修寺)(重文)鎌倉時代13世紀)(:第一・三指を念じる説法印で、右足裏を裳から出す結跏趺坐。針葉樹材の寄木造りで、玉眼嵌入で漆箔仕上げとなっている。一流の慶派仏師の造像との評価あり。
〇「阿弥陀如来坐像」(新薬師寺鎌倉時代13世紀):第一・四指を念じて胸前で説法印を結ぶ。ヒノキ材寄木造り、玉眼嵌入の漆箔仕上げになっている。髪際のウエーブが見られ、均整がとれたおとなしい像容。
〇「地蔵菩薩立像」(春覚寺)(重文)鎌倉時代13世紀):左手は宝珠を執り、右手は錫杖を執って蓮華台座に立つ。彩色・截金・玉眼嵌入台座上框底面に墨書銘があり、銘文から周尺で作られていることが分かり、御衣木の由来が大仏殿の替え柱だという。「仏師快成」(かいじょう)の作という。仏師快成は、大仏殿の替え柱を御衣木に用いて作られたことが銘記された「愛染明王像」があり、現在奈良博所蔵となっている。
〇「四天王像」(4体・新薬師寺鎌倉時代13世紀):四躯一具の四天王像で、「大仏殿様四天王像」の典型例で、その形姿と身色が共通する。彫眼・彩色・截金・漆箔仕上げで、各像に多くの納入品があり、一部の紙片に文永六年(1269年)とあり、同時代に造像された四躯と思われる。展示会場の一番奥に展示されており、説明板に、大仏殿様四天王像の持物と身色、方角についての一覧表が掲げられていました。そこに行きつく前に、入場されたお客様から色々と尋ねられた時に、話したのですが、最初からこの説明板を知っていたら苦労はしなかったのに。
〇「釈迦如来立像」(奈良博)(重文)鎌倉時代13世紀):頭髪は網状に渦巻き、同心円状の衣文を見せる袈裟を通肩にまとう清凉寺式釈迦如来立像で、両方の手のひらには生命線、知能線、感情線、運命線の「手相」を刻む。カヤ材による一木造り内刳りが無く、清凉寺式と差異がある。台座上框面に墨書銘があり、五体同時に造られた釈迦像のうちの一体であることが知れる。「仏師玄海」(げんかい)ということも分かるが、他に事績が無い。
〇「普賢菩薩騎象像」(太山寺南北朝時代14世紀):大きな象の背中に綺麗な彩色を施した端麗な姿の普賢菩薩が大きな蓮華台座の上に座する。造像時期が南北朝時代とされ、金泥盛り上げ彩色の上に截金文様で、膝部の裳には、大きな丸紋に草花を描いた表現は傑出している。象も大倉集古館や妙法院の象に比しても出来が良いものである。
〇「十一面観音菩薩立像」(円空)、「秋葉権現三尊像」(円空)江戸時代(17世紀):今までにも何処かで出展されたことのある円空仏
 
*「集いの会」に参加する際には、各像のコピーや図録を持参して、ご覧いただけるようにします。奈良博で貰った「月刊大和路・ならら」(本当は売っているもの)もコピーして行きます。後は、Mさんの紹介資料を参考にして下さい。
 
 
2017414日 Tak
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【以上 Takさんの報告文です】